透けた虚栄心、坂を下って
人間とは不可解だ。相手のことなど全くわからなくとも信用関係を築くことができる。もちろん言葉を交わして親睦を深めることはできる。だがその言葉の全てが信頼に値するかどうかなどわからない。何となく雰囲気で、我々はそれらを真実として疑わない。疑ってしまった時点で、正誤がわからない以上、疑った方が不誠実になってしまう。そうなってしまえば、答え合わせのない人間関係などどこまでいっても薄っぺらいものでしかない。
彼はつかみどころのない人間だった。自由奔放で好奇心が強く、自分の気持ちに素直な人間だった。突然いなくなったと思えば、日に焼けた顔で戻ってきて、名前も知らないような海外のお土産を持って帰ってきたりする。
それでいて周りには常に人がいた。カリスマ性とでもいうのだろうか、彼は人に好かれる星のもとに生まれてきたようだった。
もちろん、私も彼のそういった雰囲気に当てられたうちの一人だった。何ものにも縛られることのない彼は、まるで空を舞う鳥のようであり、地をかける牡馬のようでもあった。
彼についてまわる人間は多くいた。だが彼は誰にでも平等に接していた。どんなに胡散臭い人間にでも嫌いだとは言わなかったし、どんなに優しい人間にでも好きだとは言わなかった。
いつしかその狂気に近い羨みから、彼のようになろうとしたこともあった。彼が好きな音楽を聴いてみたり、普段はしない旅行へと出かけたり、自分のやりたいことを、とにかくなんでもした。自由になろうとした。そうすれば彼に好かれると思っていた。それが自分の枷になっていることなど、知る由もなかった。もちろん、彼はそんな私に気づいていただろう。
時が経てば、ならない自分ばかり見つけてしまう。誰かになろうとすることは不可能だと、後になって気づいた。そうわかってからも彼になりたかった。近づけば近づくほど、浅ましい自分を嫌いになるだけだった。
ある時彼に、君は素晴らしいよ、俺はそうはなれない、とこぼしたことがあった。もちろん彼が素敵であることは周知の事実であったが、彼はそれを伝えることを極端に嫌った。発言ののち、あわてて弁解しようと彼の表情を伺うと、彼は悲しそうな顔をしていたのみで、私の無理な言い訳を静かに聞いていた。
それから少しの沈黙があった。私は居心地の悪さにまいっていたが、彼は言葉を選びながら、話し出した。
「僕は自分を自由にしていたいんだ。世の中の人間は多くのものに縛られている。金であったり時間であったり人であったり。でもそれを否定しているわけじゃない。
ただ、縛られている人が、僕をみて羨ましいと思うのは仕方がない。誰だって何かに縛られていたくはないから。けど僕の生き方が正しいかどうかなんて、わからないだろ。安定とは程遠いし、何かあったって一人で対処しないといけない。けど僕はそれを飲み込んでるんだ。これが僕が出した答えで、世の中の人間だってきっと己の信念に基づいて答えを出して今を生きてる。僕はそれを尊重してるし、疑いたくない。
みんな自分が今持ってる幸せには気づかないんだ。安定とかお金とか、そういうたぐいは遅効性だからね。しかも何かに縛られていた方が生きやすいことだってある。
でも僕は、そうして何か大きな機械に組み込まれる部品のような、そんな生き方はしたくないんだ。物事はなんだって黒か白かじゃ決められない。けどそれをどっちかに決めるのが大人だとするなら、今の僕は間違ってる。それが僕の考え方だし、僕だけの生き方だって思ってる。そうしていないと、社会に取り込まれて、いつか己を失ってしまう。それが怖いんだよ」
彼が自分のことを多く語ったのは、後にも先にも、この時だけだった。その言葉の真意など痛いほどわかっていた。だがその時の私には、自分が好きに生きていることを言い訳して、他人を認めたふりをして蔑んで、私を否定する彼が、無性に腹が立った。自分が尊敬してやまない人間の弱い部分など、誰だって知りたくない。
結局言い訳じゃないか。綺麗な言葉を選んで自分を正当化してるだけだ。他人を尊重するなら、俺の生き方を否定する権利なんてないだろ。自分が可愛いだけじゃないか。そりゃみんなあんたを素晴らしいって言うさ。みんながみんな好き勝手に生きてゆけるほど馬鹿じゃないからな。何が部品だよ。社会にいる以上現実から逃げられるわけないだろ。
彼への、そして自分への本心だった。
彼は、何も言わなかった。ただそこで微笑んでいるだけだった。答えなんて、すでにわかっていた。
そんなことがあっても彼は、いつも通り接してくれた。それがいっそう辛かった。彼は彼を否定した人間であっても、それが私だとして、それが私の信念に基づいたものだとして受け入れていた。揺るぎない彼は、今でも高貴なままであった。
──人間とは不可解だ。相手のことなど全くわからなくとも信用関係を築くことができる。もちろん言葉を交わして親睦を深めることはできる。だがその言葉の全てが信頼に値するかどうかなどわからない。何となく雰囲気で、我々はそれらを真実として疑わない。疑ってしまった時点で、正誤がわからない以上、疑った方が不誠実になってしまう。そうなってしまえば、答え合わせのない人間関係などどこまでいっても薄っぺらいものでしかない。
だから私は一人で生きてきた。一人が特段好きというわけでもないが、人間関係という暗中模索を進んで行おうとは思えなかった。
一人の時間は意外と快適だ。何も私を縛ることがない。好きなだけ本にでも音楽にでも浸っていられる。
一人が寂しいという人間もいるが、私には当てはまらない。充実した人間関係を知っているからこそ、孤独な時間に寂しさを見つけるのだ。
いや、本当はそうではない。ただそうして嘘で塗り固めておかなくては、ただ惨めな自分を直視することになる。そんな惨めなことがあるか。他人を羨望して生きていくことこそ、一人であることより醜く、最も汚らわしい。
それか何かで己を満たせばいいのだ。抗うことのできない流れに、酔って周りが見えなくなるほどの何かに。
私はそうはなれなかった。かつて大きな炎に触れた私の心は爛れたままだった。偉大に生きている人間も、そうでない人間も、この社会で部品となってしまえば、その違いなど、ないのも同然だ。
名も無い部品と化す私と対照的に、彼は彼自身の作品を、黙々と作り続けているのだろう。決して誰かをバカにすることもなく、誰かを羨むこともなく、その際限ないキャンバスのみをただ見つめているのだろう。