教師の裏側を知りたいあなたへ。【休職中23歳教員のリアルを語らせていただきます:その1】
教師になりたい、その理由は?
このように問うと、世の中ではたいていこのように答えられるそうです。
「尊敬する先生がいて、自分もそうなりたいから。」
「教えることが好きだから。」
「子供が好きだから。」
「公務員だし、収入が安定するから。」
「部活をもって、指導したいから。」
などです。
すごいですね。
私はこのどれも当てはまっていないまま教師を志しました。(笑)
正確に言うと、全て後付けの理由なのです。
なんとなくはじめて、経験していくうちに面白さに気づいていったタイプなのです。
ですが、一年半という短い勤務でも休職に追い込まれるほどの日々を過ごしてきました。ですので、これらの志望理由が甘いというか、全てに反論というか、物申せる気がします。(笑)
ということで今回は、教師の裏側を知りたいあなたへ、休職中23歳教員が現実の厳しさを語ろうと思います。かなり長くなるので、少し分けて書きたいと思います。
※誤解のないように事前に申し上げますが、教師という仕事を否定するわけではありません。教育なくして今の日本、今の私も存在しないと思うので、そこはご承知おきください。目指すのも自由ですし、なることが悪というわけでもありません。一意見としてお読みください。
強い想いややる気だけで生き残れる職業ではない
今の時代、教師になりたいという人が素直に「やりたい」と言える空気ではなくなってきていると思います。SNSなどを中心に、教師の働き方や待遇などがネガティブに捉えられ、その感情がものすごい勢いで拡散されるためです。中には教師になったことのない人間でさえ「教師はやめとけ」と声を上げるほどなのです。
筆者も風当たりの強い中、周囲の反対を押し切ってでも教師になった一人です。親戚に仕事の話を聞かれ、教師になると伝えると真剣な顔で
「もっと別の道があるんじゃないのか」
と言われたのです。(笑)
教職とは、日本の未来を創る、子どもの人生を豊かにするきっかけを作る、そして何より、私の夢であった「人の心を育てる」ことに直結した仕事です。そういう意味でとても尊い仕事なんだと思い、高い熱意をもって教職の世界に飛び込んだのです。
しかし、現実は甘くありませんでした。
新人なので、当然失敗の日々が続きます。
職員室での仕事、子どもとのかかわり方、そして何より授業準備のための時間のなさなど、全てが降りかかることで物理的に時間が無くなり、しっぜんと残業時間が増え、心身ともに疲弊していくのです。
どれだけ残業をしても仕事は増えていく一方...。
給特法による残業代の固定なども相まって、子どものためにと思ってどれだけ働いても「報われない」瞬間の方が多いため、熱意は消えていきます。
次第に考えるようになるのは、いかに楽をするか。
働く社会人であれば、仕事を省略するとかそういう対処をすることで自分に余裕を作ることをするのは当然だと思うでしょう。
しかし、教師の場合はその手抜きが周囲につつかれる原因となるのです。
例えば、学級通信を5クラス中1クラスだけが作らなかったとしましょう。
すると保護者や生徒から、
「なんでうちのクラスだけないんですか?」
「クラスの様子を知りたいので作っていただけるとありがたいのですが」
などと言われ、YESと言わざる負えないのです。
私がそうでした。担任を始めたての頃はやる気に満ち溢れており、学級通信などを出していましたが、校務分掌の多さや生徒指導、部活指導に追われるうちに余裕がなくなっていき、出せなくなってしまったのです。
部活も同じです。今や地域移行が進んでいて、教員の負担を減らす方向に進んでいるというのに、雇った指導者が体罰気質な元教員とかで、結局部活から目を離せない。むしろよく見ていかないと、大問題が発生するリスクを抱えていたりするのです。
ですので、いくら仕事を省略しようとしても、「子供のため」という魔法の言葉で結局業務量の多い働き方に逆戻りしてしまうのです。
そういった、物理的な時間のなさから、自分が本来持っていた熱意ややる気が削がれていき、何のために働いているのかさえ分からなくなっていくのです。
ですので、まずは異常なまでの忍耐力が必要となるでしょう。
自分の想いが実現するとは限らない
教師になる以上、何らかの「想い」をもってこの仕事に臨むのではないでしょうか。
例えば、
「丁寧でわかりやすい授業をするぞ!」
「自分がやっていたスポーツの部活をもって、全国に行くんだ!」
「子供の悩みに寄り添って、解決してあげられる先生になるんだ!」
「日本の未来のためにこの身をささげるんだ!」
全て素晴らしい想いです。これ自体否定するつもりは全くありません。
ですが、現状自分の想いを実現する前に心身に限界が来ます。
私も、今の時代に合った学び方を実現するんだと意気込み、「探求的な学び」を実践したいがためにたくさん勉強しましたが、結局その準備をするに至りませんでした。
まずはやはり、物理的な時間のなさが原因です。
若いうちは特に、いろいろ経験した方がいいという理由で仕事がたくさん回ってきます。それらをさばくのに時間がかかり、質のいい授業を創るための準備時間が無くなっていくのです。
もう一つ時間がなくなる原因として、勤務校の生徒の実態が絡んできます。
学力が高く、落ち着いた生徒の多い学校では、教員も自身の授業研究に落ち着いて取り組めます。しかし、私のように学力が全体として低く、落ち着きのない生徒がほとんどを占める学校では、教師の仕事よりも先に「子育て」からスタートします。いわゆる「社会で子育て」です。
要は、授業以前のレベルだということです。
順番を守る、人の話を聞く、人をたたかない殴らない、悪口を言わない、じっと座るなど、「小学校までで習わなかったか?」と思うことを、毎日毎日繰り返し指摘しながら生活しなければなりません。
今の子はそれでも直りません。
どころか、ちょっと強く注意すると保護者が出てきたり、教育委員会を後ろ盾に脅しをかけてきます。子供がです。
生徒指導も教師の仕事の内、と思うかもしれません。
ですが、子どもたちに暴力や暴言、意地悪などをしてはいけない理由を聞いても、「わからない」か「わかってやってる」のどちらかが返ってきます。
挙句、「ばれなければいいと思った」など、犯罪めいた思考を持ち合わせている子も少なくはないのです。
ちょっと愚痴っぽくなってしまいましたが...。
とにかく、強い想いを持ったくさんの先生方の授業を見学させていただきましたが、子どものためになっている授業をする先生ほど、休日出勤が多かったり、残業時間が長いという気がしました。
それだけ体力削って準備に時間を割いているんでしょう。
まあ、落ち着いた学校に配属されることを願うしかありません。
子どもを嫌いになる未来が待っている可能性が高い
前項でも触れましたが、学生時代に夢見ていた子供の純粋な姿は幻想だということに気が付くはずです。
私も最初は子供が大好きで大好きで、何をされてもかわいいもんだと思えていたのですが、それは「遊んでいるから」であって、教師として子どもと向き合ったときに同じ感覚は得られません。
想像してください。
教壇に立つと生徒に囲まれます。幸せですね。
誰かが自分に話しかけてきます。
すると同時に、別の誰かが全く関係ない話題を話し始めます。
皆自分の話を一番に聞いてほしいのです。
誰かと大事な話をしていても、生徒指導をしていても、授業中でも、どんな時でもお構いなしです。
またまた想像してください。
職員室での仕事に追われ、時間のない中やっと作り上げた授業。
生徒には不評の嵐。
信頼関係は崩れていき、必死に授業を作っても、誰も参加意欲がない。
成績が下がる。
保護者からクレームを受ける。
何とかしようと体に鞭を打って働く。
ストレスがたまり空回り。
仕事が溜まりさらに時間が無くなる。
単純にイライラしてしまいますよね。
最近の子は本当にどうでもいい報告ばかりして去っていき、いちいちこちらの時間を奪っていきます。
子どもは本来教師にとって、時間をかけるべき存在なんです。
ですが次第に時間を奪い取る存在に見えてしまうのです。
どうですか、この負のスパイラルに耐えられそうですか。
全てに対応しようとすると自分が壊れます。
少し注意をすると親が出てきます。教育委員会を後ろ盾に脅されます。
先輩や管理職に相談しても、話を聞いてもらえるだけ。
若手に残された選択肢は「ただ耐えること」。
報われない日々を、社会の常識でいう「3年間は勤める」に従ってただひたすらに耐える。ちなみに残業代は出ません。
私は耐えられませんでした(⌒∇⌒)
そしてこれはまだまだ序の口。
後半戦は以下の記事で!
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