学力の数値化は人を幸せにしない②
前回の記事はこちら↓
前回に続いて、学力の数値化が人を幸せにするのかについて書きたいと思います。
数値化できない力は軽視される
前回の記事でPISAについて書きました。実はPISAへの批判は、当初からあったようです。
それは、「PISAが子供の能力のごく一部分しか測れていないにもかかわらず、国際的には大きな影響力を持ってしまっている」という批判です。
実際日本でも、PISAでの国際的な順位が下がると、大きな話題になりましたよね。
その結果、PISAで測れる能力が重視されるようになった一方、感性や芸術などの能力が軽視されるようになったそうです。
学校教育においても、「主要4科目」という言葉があるとおり、ペーパーテストで測れる国語・算数・理科・社会の点数が特に重要視されるし、時数も多く設定されています。
一方で、感性や行動力などの数値化しづらい力は相対的に比重が低く置かれがちです。
数値化できず比較しづらい力は、例えそれが大事な力だったとしても、軽視されやすくなってしまいます。
さらに、目に見える数値にばかり意識がいくことで、「そもそもテストでは測れない力がある」ということ自体が認識されづらくなります。
今でこそ非認知能力などと言われるようになりましたが、まだまだ受験などには反映されづらく、未だに旧態依然としたペーパーテストが主流だと感じます。
幸せとは何かが分からなくなる
さらに、こんな批判もあります。
「学力の数値化をすることで、教育が本来もつあいまいさや不確実性を排除し、教育を標準化・単純化してしまっている。」と。
幸せになるためには、いい点を取ればいい。
偏差値の高い大学に入ればいい。
受験に合格すればいい。
こんな風に短絡的に考えてしまいやすくなるのではないでしょうか。
分かりやすいもの、目に見えるもの、数値化できるものが、幸せを決める物差しなんだと勘違いしてしまう。
幸せというのは本来、すごく個人的で主観的な事柄です。
数値化できないし、周りの人が誰かを幸せだとか不幸だとか、本来なら言うことはできないはずです。
それなのに、数値によって幸せまでもが比較可能であるかのように捉えられてしまう危険性があります。
教育は何のためにするのか
そもそも、教育は何のためにするのでしょうか。
私は、人が幸せに生きるために教育をすると思っています。
教育の目的は、その人の人生を豊かにすることだと。
もちろん、日本社会において役立つ人材を育成するためという要素もあるかもしれませんが、第一の目的は個人の幸せでなければならないと思っています。
人生を豊かにするためには、学力の数値化は必要ないし、むしろ害があるのではないかと思っています。
みなさんはどう思われますか?