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時代の節目 | 読書日記『真田太平記(六)』

今年初めから読み始めた真田太平記。1/25日に第1巻の感想を書いているのでそれからもうすぐで3ヶ月が経過。

noteを始めてから本を読むより書くのに夢中になり、大分読書のペースはゆっくりに。今は第6巻の家康東下を読んでいる最中。

時代は戦国末期、天下分け目の関ヶ原の合戦にさしかかるところ。

今まで司馬遼太郎の「関ヶ原」、「覇王の家」を読んだことはあった。そこでは家康が主人公として描かれており、加えて作者の演出も含められ、私の中の後年の家康像はいわゆる狸親父の印象が強く残っている。

しかし真田太平記では、真田家の視点からこの戦国時代を捉えているので、その徳川家康をやや俯瞰的な視点から捉えているのが私にとっては興味深く、その違った角度からこの1600年の出来事を捉えるのが斬新に感じられてワクワクして読み進めている。

冒頭に我々は1600年に何が起こり、その後の時勢の流れを知っている側の視点と、その時代に生きていた庶民の視点は全くもって違う、と述べられている。

その時代の人はその時勢の不安定さや緊張感は感じていただろうが、そこが時代の分かれ道だった、という感覚はない。それはそうだ。「関ヶ原」を時代の節目としたのは歴史を書いた「未来の人たち」であるに過ぎないから。

今、私だってそうなのかな、とふと空想をする。今の時代の変化について、どこが節目とされるのか。リーマンショックかトランプ政権なのかBrexitなのか新型ウイルスの大流行なのかウクライナ侵攻か。時代が目まぐるしく大きなうねりをあげて変わりつつある出来事は頭では理解しつつあるし知ってはいる。でも、どこが起点か、なんてその時代を生きている人にとっては全てが流れている中で起こっていることなので線引きは難しいのでは、と考えてしまう。しばらくして未来の人がこの時代を振り返って歴史を書き記す時、その時に納得のいく定義がされるんだろうな、なんて今の時代と関ヶ原での出来事を見比べてみたくなった。

今、大河ドラマの主役はこの家康だ。私はなぜか大河はみない。でも今年の家康がどのようなキャラクターで描かれるのかは興味がある。

池波さんも真田太平記の中、大坂冬の陣・夏の陣での家康をどう表現するのか、それを楽しみに読み進めていきたい。


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