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今日も、読書。 |”色彩”を持つ文章、キャンバスに絵の具を乗せるように

皆さんは、小説を読んでいて、”色”を感じた経験はあるだろうか。


一般的な書籍は、基本的にモノクロである。白地の紙に、黒の活字が印刷されている。

もちろん、小説を読みながら、書かれている情景描写を思い浮かべて、色彩を感じることはある。

どこまでも広がる海の青、鬱蒼と生い茂る植物の緑。脳内に色とりどりの情景が浮かび、美しさを感じることはある。


今回ご紹介するのは、その色彩感覚とは少し異なる種類の、”色”を感じる読書体験。

うまく言葉にできないけれど、モノクロのはずの活字に色がついているように見えるというか、紙に水彩絵の具が乗っているように見えるというか——。

そんな、少し不思議な読書のお話。



ハン・ガン|すべての、白いものたちの


おくるみ、うぶぎ、しお、ゆき、こおり、つき、こめ……。「白いもの」の目録を書きとめ紡がれた六十五の物語。生後すぐ亡くなった姉をめぐり、ホロコースト後に再建されたワルシャワの街と、朝鮮半島の記憶が交差する、儚くも偉大な命の鎮魂と恢復への祈り。アジアを代表する作家による奇蹟的傑作。

あらすじ


著者ハン・ガンさんは、韓国出身の作家。『菜食主義者』という作品で、アジア語圏では初の、ブッカー賞を受賞している。

本作『すべての、白いものたちの』は、彼女が2016年に発表した作品で、複数の掌編で構成されている。小説のようでもあり、一貫した主題を持つ詩集のようでもある。

きっと、”小説”や”詩”など、作品のジャンルを何かひとつに定めようとする考え方が、誤っているのだろう。そう思わせる、唯一無二の文章である。


本作は、「おくるみ」「うぶぎ」「しお」「ゆき」……など、一貫して「白いもの」をテーマに書かれている。

白いものについて書こうと決めた。春。そのとき私が最初にやったのは、目録を作ることだった。

おくるみ
うぶぎ
しお
ゆき
こおり
つき
こめ
なみ
はくもくれん
しろいとり
しろくわらう
はくし
しろいいぬ
はくはつ
寿衣

p9-10より引用

「白いもの」を、各掌編のタイトルに配し、丁寧に紡がれる言葉たち。それらは読者の心を優しく撫で、ゆっくり時間をかけて浸透していく。


会えない姉と、ワルシャワの街

本作は、「1. 私」「2. 彼女」「3. すべての、白いものたちの」の3部構成となっている。

「1. 私」は、著者自身の一人称視点で語られる。続く「2. 彼女」では、著者が生まれる前に亡くなった姉の、三人称視点に切り替わる。

「もし姉が生きていたら、私はこの世にいなかったのだろうか」

著者が内に抱えていた、姉の死のうえに立つ自身の存在の不確かさ。彼女は本作で、自身の魂と身体を明け渡し、姉をこの世に呼び込む。


姉が生きるのは、かつて人的災厄により破壊され、復興の途を辿る白い街。

作中で明言されることはないが、かつてナチス・ドイツによって完全に破壊され、残った土台や柱を使い市民の手で再建された、ポーランドのワルシャワがモデルと考えられる。

彼らの悲哀や傷跡、そして薄明に灯る微かな希望。そんな、白い街に漂うすべての想いの狭間に、著者は会ったことのない姉の気配を感じ取る。


本作は、姉が吐き出した白い息を、著者が吸い込むことで幕を閉じる。

生と死の境界を超えて繋がった、姉と妹。本書を書き終え、著者は何を思ったのか。それは、読者の想像に委ねられている。


「生」と「死」の色彩を感じる

「死」は、白い。「生」は、無数の色に満ちている。

本書を読みながら、私は生まれて初めて、生と死に対する色彩感覚を意識したかもしれない。


本書に一貫して感じられる”白さ”には、「死」や「喪失」、あるいは「消えゆくもの」の存在が、密接に関わっている。

行間に差し込まれる写真にも、純白の静寂が宿り、その繊細で儚い白さが、「死」や「喪失」を想起させる。

テーマだけでなく、例えば文章の運び方にも、白のイメージを想起させる静謐さがある。これは、訳者である斎藤真理子さんの力も大きい。


対照的に、本書を読む中で、一瞬「生」が垣間見えたとき、驚くほど鮮やかな色彩が浮かび上がってくる。

「死」の白さもさることながら、「生」の色彩の豊かさにも、私は初めて気づかされた。


生と死の色は、互いの存在があってこそ際立つ。すぐ隣同士にあるそれらは、相互に交流・補完しながら、人生を彩っていく。

死者を意識し、死者の声に耳を傾けるとき、人は白の世界に包まれている。それは、世界に溢れる無数の生の色彩と溶け合う、色とりどりの白である。


キャンバスに絵の具を乗せるように

本書を読み、うまく言語化できない感覚があるな……と思っていたら、解説の平野啓一郎さんが完璧に言語化されていて、なんだか悔しかった。笑

本書は全編を通して、真っ白なキャンバスのようである。

どこまでも純白のキャンバス。黒いはずの活字がなんだか白く感じられる、それほどまでに徹底された、白の世界。


だからこそ、時折登場する赤や緑などの色彩が、驚くほど鮮やかに感じられる。

真っ白なキャンバスのうえに点々と、水彩絵の具の雫が広がっていくようなイメージ。黒いはずの活字に、赤や緑が色づいていく。

特に鮮烈だったのが、「血」の赤。

血は、「正」の象徴、生きていることの証である。姉が生まれた瞬間に広がった血の赤は、やがて来る彼女の死を浮き彫りにするかのように、とにかく鮮烈な印象を残した。


読書をしていて、読んでいる文章に”色彩”を感じたのは、初めての経験だった。




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