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書くことは「救う」こと


ふと思う。なぜ人は書くのだろうか、と。


この原始的な疑問を抱いて書く行為をしている人はどのくらいいるのだろうか。多くの人はまるで呼吸をするように文章を書いている。呼吸をするのは生きるためだが、別に書かなくとも死にはしない。

でも、私たちは書く。なぜだ。私はこの疑問を考え続けながら生きてきた。


研究者ではないから、深い答えは出ないだろう。Googleではないから、精度の高い答えは出ないだろう。

それでも私が考える、私なりの解をここに記しておきたい。曲がりなりにも文章を書く端くれだ。この疑問について、いつでも議論できるようにはしていたい。

書くこと、それは『救う』こと。
これが、私なりの解だ。


相手を救う

この言葉に救われた、という人はたくさんいる。今回は書くことがテーマなので、本や広告のコピーにしぼるが、それでも多くの人の支えになっているはずだ。

本でいえば、「深夜特急」に心を救われた。

ここで書かれているのは旅のことだけでない。金銭面的に不自由な主人公や現地の人のことが書かれている。ここから、「こんな生き方もあるよ」という「自由さ」を学んだ。

今の仕事はとてもお堅い仕事であるが、そのなかでも自由奔放な精神を忘れていないのはこの本があったからともいえる。


コピーで一番好きなのはこちらだ。


「くう ねる あそぶ」

私を書く世界に誘った糸井重里さんと、最も刺激を受けたアーティスト井上陽水さんのコラボ。ゆるっとした世界観がとても好きだ。

やらねばならないことは、とても単純。くう、ねる、あそぶ、ただそれだけ。こんな風に生きたいものだ。

みなさん、お元気ですかあ~?
……失礼しまぁす。
という陽水さんのCM。
このゆるさに心を救われたのだった。

さらに、このブログになんども心を救われた。

書いてあることは刺激的で、ドライ。だがひとつひとつの指摘が的確で、わかりやすく、励みになる。悩みがちな私がとてもお世話になったブログだ。

特に自尊心と自己愛の記事には、今でも支えてもらっている。

自尊心を育てるためにやることリストを実践し、ある程度は自尊心を得ることができた。感謝してもしきれない。

このような文章が書けるようになりたい、と常々考える。悩み、ネットで検索し、出会った言葉に救われる。そういう体験が提供できたらこの上ない喜びだ。


自分を救う

書いてある文章を読むことで救われるだけでなく、書くこと自体で救われることもある。以前に少し書いたが、私は高校3年間を費やして、ひとつの小説を書いた。四季折々の自然のうつろいと、それに合わせて成長していく男女を、文体を変えながら描写していく作品だ。

高校一年の春、桜が散り、新しくできた友達同士で花見に行く人を側目に、私は小説を書いていた。高校二年の夏、友人に彼女ができたという報告に興味も示さず、私は小説を書いていた。高校三年の秋、受験勉強一色のなか、図書館に入り浸って本ばかり読んで、私は小説を書いていた。ひとつの小説を、たったひとつの物語を、書き続けていた。いわゆる貴重な高校生活を賭して、小説を書いた。



書くしかなかった。今この時に感じた、四季の美しさを、こころの機微を、短い人生で得た哲学を、ここに収めねば、私が忘れてしまったらその時の私がいなくなってしまうような気がしたのだ。



ときを経てその小説を読み返すと、書いていた時の景色やにおいまでもが思い返される。校庭一面、雪が積もっていた日、外に出ているものは私だけだった。雪の白さ、冷たさ、一面の雪景色、あの光景がよみがえるのだった。制服のまま雪のなかに倒れこみ、ほほにふれる雪の冷たさを思い出せる。驚くしかなかった。



その文章を今はどうやっても書けないだろう。だから創作活動は面白い。伝えたいことを伝えられるのは「今」しかない。残すことができるのも「今」しかない。この時の経験があるからこそ、個人でnoteやSNSで発信するモチベーションになっている。過去の言葉に救われている。

誰がこんなもの読むんだ?と思う日もある。だが、あの時のわたしならこういうだろう。
「俺のために書け」
この思いを胸に、これからも書き続けたい。








誰かを救うために

大それたことを言うと、我ながら思う。だが、今まで生きてきて、文章にはたくさん救われてきた。今度は誰かを救えればいいと思っている。

意地悪な人は「いい歳にもなって人を救えたためしがないのに、この先も救えることなんてあるわけがない」と言いそうだ。

私には文章を書く才能がないのかもしれない。人の心を揺さぶるような文章を書く才能が。なんとも認めがたい事実だ。

とある人が才能について言っていたことを思い出した。

「『才能』は『好き』で居続られること。
才能があるから、他人が動くのではない。『好き』が上手いこと相手に伝わったから、である」


この言葉を愚直に信じたい。誰かを救いたい、文章を書くのが好きだ。この「好き」が誰かに伝わるまで、めげずに書き続けたい。


くうねるあそぶの引用サイト
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