大地震前の作り置きに2度救われた話
行きつけの八百屋でらっきょうが200gで売っていたので、初めてらっきょう漬けに挑戦した。
皮をはがしていくと、ツルッとした身が見えてくる。透明感が美しい。上下を落とし、洗って一つ一つ水気を拭いてから瓶詰めした。
こういう、ちまちまとした作業は大好きだ。
もうじきシソの実の季節になるから、それを漬けるのも楽しみだ。
「保存食」は、仕込んでしまえば長期にわたり食べることができる先人の知恵の結晶だ。
夕飯のそばに乗せたわかめも、三陸産のものを塩漬けにして長期保存できるようにした保存食だ。
保存食とまではいかないが、作り置きが身に染みた経験が2度ある。
2011年3月11日
その時、私は高校の教室にいた。
机の左右にあるフックを掴んでいないと、机がどこかに飛んでいってしまいそうな激しい揺れ。
幸い職場が近かった母が迎えに来てくれて、暗くなる前には家に帰ることができた。
自宅もめちゃくちゃだった。部屋に向かうと本棚は倒れ、引き出しは出てしまっていたし立て鏡は倒れて割れていた。壁には亀裂が入った。
断水こそ免れたものの、停電とガスは使えなかった。
我が家は4人家族。乾パンや缶詰などの保存食はなかった。コンビニは既に食べ物が姿を消していたし、多くのスーパーは営業できないでいた。
母は、前日にカレーを作っていた。
ごはんもかろうじて炊飯器に残っていた。
そういうわけで、我が家は未曾有の大震災下でも、家族揃って「いつものカレー」にありつけたのだ。
数週間前に受けた地学の授業では「福島県は20年以内に大地震がくる確率は20%以下」と教えられていた。「知ってるよ」と思っていたし、まさか自分の住む土地で大地震が起こるなんて考えたこともなかった。情報源はラジオのみで、信じられない情報が次々と伝えられる。
半ばパニック状態だった私たち家族にとって「いつもの味」は唯一の拠り所で、癒しだった。
2021年2月13日
その日、私は親知らずを抜歯したので早めに寝ようと布団に入っていた。
揺れてるなぁ、と思った瞬間、暴力的に強い揺れが一人暮らしのアパート3階を襲った。
震度6弱。
暗闇の中、冷蔵庫が開き、豆腐やキムチ、納豆が飛び出してくる。冷蔵庫の上にあった電子レンジはふるい落とされ、キッチンからは食器や調味料がガシャンガシャンと落ちる音が聞こえてくる。思わず叫んだ。
すぐに出勤、午前4時にふたたび部屋に戻り、少し冷静になった状態でその惨状をみると心が沈んだ。片付ける時間はない。翌日も7時に出勤することが決まっていたので、その日はそのまま泥のように眠った。
少しずつ部屋の片付けを進め、3日後にはキッチンが使えるようになった。
疲れて料理する気なんぞ起きない。
冷蔵庫に何が入っていたかなんて覚えてなかったし、飛び出してしまった食材の多くは半日ほど常温にさらされていたから処分してしまった。
冷蔵庫をのぞくと、タッパーが目に入った。
思い出した。地震の前日、お弁当のおかずにしようとブリ大根を作っていたのだ。
家のレンジは使えなくなってしまったので予定通りお弁当にして職場でタッパーを温めて食べた。
普段しっかり自炊するタイプの私は、3日も調理をしないことはかなり久しぶりだった。
久しぶりに食べた自分でつくったごはんは、数日前のものでも、ものすごく美味しくて涙が出た。
自分が築き上げた部屋がめちゃくちゃになったり、見知った場所が壊れたことに傷ついていたことに、この時気づいた。
10年前の夜食べたカレーの味を思い出した。
自分のことを自分で支えられるようになっていたんだと気づいた。
自炊は自分を支える。当たり前だけど
疲れたり、傷ついてしまう瞬間は予期せず訪れる。災害と同じように。
くたびれるであろう未来の私を支えるために、私は週末、せっせと作り置きを仕込む。
自分や、人がつくるごはんがもたらす強さを知っているから。
このらっきょうが、いつかの私を支えてくれると信じて。