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「エマーソン、レイク&パーマー/石を取れ」

 Emerson,Lake & Palmer。キース・エマーソン(キーボード)、グレッグ・レイク(ベース&ヴォーカル)、カール・パーマー(ドラムス)という3人のイギリス人によって、1970年6月に結成されたロック・バンド。ELPと略されるが、日本に於いてはEL&Pの表記も。

 当時、プログレッシヴ・ロックと呼ばれたイギリスから起こったムーヴメントの一翼を担ったスーパー・グループとして世界的な人気を獲得し、ことにその容姿の良さからミーハー的なファン層までを取り込んだ日本での人気は凄まじかった。

 “Take a Pebble(石を取れ)”は、彼らのデビュー・アルバムの2曲目に収められた曲で、ピアノ・トリオ+ヴォーカルという編成で演奏される12分余りの曲。

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 EL&Pのデビュー・アルバムが発表される前、キース・エマーソンが、新グループについての抱負を語ったインタビューを読んだことがある。

 その中に、「新しいバンドでは、ヴォーカルを重視したい」という発言があったが、実際にアルバムを聴き終えてみると、それにしてはヴォーカルの聞こえている時間が短いという印象を持った。

 今回、本文を書くにあたって、実際に計測してみたのだが、ヴォーカルがメインで聴こえている時間は(ギターやシンセが主旋律を担当する部分のバックコーラスを除外)、トータルで全体の15.47%に過ぎない。これは、ヴォーカルを含むロックのアルバムとしては、かなり少ない部類に入ると思う。インスト曲が半数を占め、ヴォーカル・パートのある曲でさえ、この“Take a Pebble”にしろ“Knife Edge”にしろ、インスト部分の方が圧倒的に長いのである。

 「ヴォーカルを重視したい」と言った、あのキースの発言は、いったい何だったのだろう? 

 最初にアルバムを聴き終えた時にはそう思った。しかし、短い時間であるにも関わらず、その中で、グレッグの歌声は強い印象を残している。

 グレッグが書いた主要メロディーは、実にシンプルなもので、わずか16小節の単純2部形式。これを魅力的にしているのは、ひとえにグレッグの「声」だ。

 今、「歌」と書かずに「声」と書いたのは、理由のないことではない。グレッグは魅力的なシンガーだが、音域は広くないし、多彩な表現力を有しているわけではない。突出した技量の持ち主だとは決して言えないのである。
 そんなグレッグがシンガーとして魅力的なのは、生まれ持った「声質」そのものによるところが大きい。音楽の3要素として、通常は「メロディー、リズム、和音」が挙げられるが、それ以上に重要なのが「音色」並びに「声」であると常々思っている。この曲などは、それを証明する一例と言えそうだ。

 キースにとって、この曲がThe Nice における“Hang on to a Dream”と同じような位置づけになるということは、両方のバンドを知っている人なら分かると思う。他人の手によるフォーキーなメロディーをクラシカル&ジャジーに味付けしてみせ、中間部ではピアノ・ソロを展開する。ライヴでは、さらにそののピアノ・ソロを拡大、ジャズのスタンダードその他を挿入し、ピアノの腕を披露するための見せ場を形作る。ライヴ・ステージで唯一、椅子に掛けて演奏する場面である。これは、両者に共通している。

 ナイスの3rdアルバム“Nice”に収められた、スタジオ録音の“Hang on to a Dream”と、EL&Pファーストの“Take a Pebble”を比較すると、ヴォーカルの力量の違いと、それに伴うアレンジの違いがはっきりと見える。前者では、ピアノのみのシンプルな伴奏型の上でヴォーカルが漂うような形に終始しているが、後者はもっと大胆だ。
 
 まずピアノの内部奏法から始まり、シズル・シンバルが、波紋が広がるような効果をあげる。分散和音を含む分数コードの内部奏法は、途中からマイナーadd9のさざ波のような響きに変る。時間が止まったような静かなイントロだ。
 これは、ヴォーカル開始を効果的に演出することになる。

 ― Just take a pebble

 この動きのある歌詞が、突然のようにグレッグの存在感のある美声で聞こえてくる。それを追って、本来の鍵盤奏によるピアノの装飾的できらめくような上行音型が奏でられる。まるで瞑想から揺り起こされ、みるみる視界が開がってゆくかのような、印象的な瞬間だ。

 歌い出しは、ハーモニーの基本をグレッグのベースが支え、音の充填は最低限にとどめられる。わりとスカスカの状態を保ったまま(これがグレッグの声の存在感を強調することになっている)、上行・下行を繰り返すピアノが、歌詞の内容(海、小石を投げる、波紋など)を描写するように、輝く光のような効果をあげる。

 2コーラス目の歌い出しでは、キースもアプローチを変えている。「記憶の切れ端、傷ついた笑いの言葉、過去の墓場」という歌詞に対応するように、低音で苛立ち呻くような、いびつな音型を差し挟む。
 そして歌い上げる箇所では、グレッグの歌唱を盛り上げるように、ピアノが低音域をがっちりと押さえ、シズル・シンバルが心を揺さぶってくる。実に起伏に富んでいて、ドラマチックに構成されている。これは、リー・ジャクソンのヴォーカルを前提にした場合だと、絶対に考えられないアレンジである。
 キース・エマーソンが「ヴォーカルを重視したい」と言ったのは、時間的なことではなく、この曲に見られるように「ヴォーカルを効果的に聴かせる」といった意味だったのかも知れない。

 EL&P加入前に在籍した King Crimson で、名盤の誉れ高き『クリムゾン・キングの宮殿』を残しているグレッグだが、「声を活かす」という意味においては、この“Take a Pebble”が、その後の活動を通じてもベスト・トラックだと思う。
 
 ここで、ひとまず全体の構成を見渡してみる。
                    調       演奏時間
①イントロ+テーマ           E♭m       (2:27)
②テーマの変奏             F              (1:13)
③アコースティック・ギター・ソロ    D          (2:46)
④ピアノ・ソロ→ピアノ・トリオ      F        (4:34)
⑤テーマ                E♭m         (1:36)

 以上5つのパートに、はっきりと分かれている。各部分について、気ままにあれこれと考えを巡らせてみようと思う。

②テーマの変奏
 テーマ①部分のシリアスな余韻に浸る間もなく、アップテンポのピアノ・ソロが聞こえてくる。①の最後の和音E♭を受け、E♭→ C → A♭ と、曲想の一部としてコードチェンジの度に遠隔転調するクラシック近代みたいな進行を経て、Fの属和音に滑り込み、左手による印象的なオスティナートが始まる。そこに疾走感を強調するようなブラシ・ワークとベースが加わり、テーマの変奏が颯爽と聞こえてくるのだが、テンポの違いだけでなく、装飾されたメロディー、動き回るベースなど、①とは様々な点で対照的。

 この部分では、ピアノに絡むグレッグのベースも印象的だが、これはたぶんキース・エマーソンによる“書き譜”ではないかと思われる。最後を破壊的な和音の響きでガツンと決めると、1分足らずであっさりと次の場面への移行部分へ。

 C/E → Dsus4add9 → C/B♭→ G9 → E♭9 → D  という流れでDへ転調。低音域へと移行してゆくオープン・ハーモニーのピアノの響きが瑞々しい。
 最後はそよ風のような内部奏法がフェイド・アウト気味に消えてゆき、アコースティック・ギターへと主役を譲り渡す。

③アコースティック・ギター・ソロ
 疾走は止まり、再び新たな扉が開かれる。シンプルの極みのような静かなギターの爪弾きに、水滴が落ちるような効果音が重ねられるのは、冒頭の歌詞のイメージから来ているのだろう。しかし、そこには音楽的な関連性は見当たらない。ここでの狙いは、ひたすらChange of moods。極端に音量を落とし単音が続くという静けさが、実に効果的だ。ロックのアルバムで、ここまで音を減らすというのは、かなり大胆な試みだと言えるのではないか…。
 初めて聴いたとき、この部分がひときわ印象に残った。Dmajorという調性の醸し出す明るい色彩の中、和声的緊張から開放された主和音がゆったりと横たわり、テンポは自在に揺れ動き余韻たっぷりに引き伸ばされる。
 淡い夢でも見ているような雰囲気が漂うが、それも束の間。まどろみは揺り起こされ、カントリー調のリフが陽気に奏され、手拍子と掛け声、そして口笛まで飛び出し、テーマのシリアスな内省的世界からかけ離れた地平へと辿り着いてしまう。
 しかし、それもチラリと気配を漂わせるだけで、すぐに終了。再びまどろみの世界へと落ちてゆく。

④ピアノ・ソロ → ピアノ・トリオ
 アコギ・ソロの余韻を受け継いだ後、深くリヴァーブがかかった状態から次第に霧が晴れるようにピアノがフェイド・インしてくる。この部分の美しさにも憧れたものだ。
 この部分では、レコーディング・エンジニア、エディー・オフォードのミックス処理が効果をあげている。DからFへと転調し、②で使われたピアノのオスティナートが再び聞こえてくる。

 ナイス時代から度々、左手でのオスティナートを曲中に取り入れているキースだが、この曲におけるそれは、他より少しばかり複雑な形になっている。これはフリードリッヒ・グルダのジャズ・ナンバーからの直接な影響ではないかと思う。キースは、グルダの“Fugue”の影響を受けて、ナイス時代に“High Level Fugue”を、EL&P結成後は、アルバム“Trilogy”で“fugue”を書き、さらにはライヴで本家グルダのフーガをそのまんまプレイしている。

 30年ほど前に、ルーツ確認の一環として、元曲の“Prelude and Fugue”が収められているグルダのジャズ・アルバムを入手したことがある(タイトルは、確か“The Air from Other Planets”だったと思う)。そのLPは何年か前に手元を離れ、そのまま永久の旅に出てしまい、現在地不明。現在入手困難かと思われるので、非常に残念なのだが、その行方不明アルバムの中に、直接のヒントになったと思われる曲が収録されている。そのG♭の曲のオスティナートの構成音は、[ルート、4th、5th、7th]。“Take a Pebble”のそれは[ルート、4th、5th、9th]。EL&Pのライヴでそのまま取り上げたとしても、全く違和感のない曲だった。

 ここでのキースのピアノ・ソロは、かつて、ジャズ評論家の故油井正一氏をして「なんて美しい」と言わしめた。たぶん、「瑞々しい」とか「音が綺麗」、あるいは「透明感がある」等々、まだ他にも表現があるかも知れないが、とにかくピアノの音色に関して魅力を感じる人も少なくないのではないだろうか。
 ライヴ録音では、ガンガンと力を込めて弾きまくり、後年右手の腱を痛めてしまったという極端な人なのだが、ここでは、そんな攻撃的な弾き方とは一味違ったアプローチが聴かれる。高めの音域と柔らかい響きの和音が選択され、ひたすら走るなどということも無く、割と丁寧に弾かれている。リズムのヨレなどのほつれが全く気にならないわけでもないが、そんなところがまた瑞々さに繋がり、欠点よりも魅力が勝っている。当時、ピアノ・ソロだけで、ここまで長い時間聴かせるというのもまた大胆な試みだった。

 音色が綺麗に仕上がっている裏には、前述のエディー・オフォードの存在も見逃せない。ギター・ソロへの移行部分、逆にそこから再びピアノへと移行する部分のフェーダーの処理、ディレイ、リヴァーブの細かい設定、イコライジングなどはもちろんだが、ピアノの録音に関しては、全体を通じて右手、左手の音量・音質調整なども複数のマイクを立て、意図的に行っているようだ。 

 左手による印象的なオスティナートとともにMajor7thの柔らかい響きで開始されるピアノ・ソロは、短めのメロディックなフレーズを継ぎ足しながら、次第にタッチを強め、テンポも上がり、そしてバッハ:インヴェンション第1番のテーマ引用(ちなみに、この演奏は原曲のフレーズ構造を無視したもので、真似をしてクラシックのレッスンに持ってゆくと、先生を嘆かせることになる)、両手を交差させての低音の強奏を挟み、そして決めのフレーズが分厚い和音を伴ってダイナミックに鳴らされた後、リズム隊が加わってくる。

 たぶんキースはグレッグとカールに多くの注文を出したと思われる。かなり計画的なもののようではあるが、そこには血の通ったインタープレイが存在している。そこが、The Nice と大きく異なる点だと言えよう。
 1曲目の“The Barbarian”でもそうだが、この曲でも演奏に熱が入ってくると、それに伴ってテンポも上がってゆく。これは有機的かつ必要不可欠な要素で、1拍=192から最速238までと、かなりの振幅で変化している。

 ピアノ・トリオでの演奏は、盛り上がりのピークを形成することなく、クール・ダウンしたところで、ピアノの上行スケールにより流れは遮られ、山場はグレッグの歌が加わる次の場面に持ち越される。

⑤テーマ(再現)
 冒頭では、歌のバックに回っていたピアノの下降音型が、長めのブレイクの後、目一杯華やかに鳴らされ、流れとしてはかなり強引にテーマを呼び寄せる。キーボード小僧だった当時、このアルバムを初めて聴いて胸をときめかせたた部分だ。

 それに続き、多少大袈裟とも思えるティンパニの演出に乗っかって、グレッグの歌声が再び聞こえてくる。この大仰なアレンジも、グレッグの歌唱力あってこそのもので、ナイスでは決して得られなかった「高らかに歌い上げるヴォーカル」によるドラマチックなクライマックスで曲は締めくくられる。

 全体を見渡すと、“Take a Pebble”というタイトルの1曲というよりは、テーマから出発して、場面から場面へと移ろい、遠い異国まで迷い込み、そして再び長い旅に出て、もとのテーマに戻ってくるという音絵巻のように展開になっており、④のピアノを中心とした即興では、テーマの変奏で使われた伴奏型がオスティナートとして貫かれることによって、統一感が保たれている。
 中間部で聞こえるグレッグのアコースティック・ギター・ソロを除けば、「グレッグ・レイクのテーマによる、ロック・ピアノ・トリオのための作品」とでも呼べそうなだが、DVD『展覧会の絵・完全版』に収められたライヴ・ステージのMCで、キースは、この曲を“Greg Lake Composition~”と紹介している。その言葉を聞くたびに、いつも何か不自然さを感じてしまう。曲全体を組み立て、構成したのはほとんど、キース・エマーソンだ。

 この曲紹介の仕方には、アルバムのプロデュースが、グレッグ名義になっていることと同じ臭いを感じてしまう。後にキースが語ったことであるが、実質的なプロデュースはEL&Pなのだが、バンド内のバランスを考えて、グレッグ名義にした、というのが実情らしい。

 DVD“Beyond the Beginning”に“Karn Evil9”の練習風景が収められているが、それを見ると、常にキースが音楽的イニシアティヴを取り続け、譜面の読めない2人に手取り足取り教え込んでいる。「3人の個性がぶつかり合うのが、このバンドの魅力」という表現を何度も目にしたことがあるが、キース主導の曲に関する限りは、そうとも言えないことが分かる。

 逆に、2人にしてみれば、音楽的にキースのワンマンバンドたるべく完全に牛耳られる事に対して、大きな抵抗が生まれたとしても無理はない。ビデオの練習風景で映し出されるグレッグの表情からも、かなりふて腐れている様子が見て取れる。

 後に、キース・エマーソンが、「ナイスとEL&Pは同じバンドだと思っている」という発言をしている。彼にとって、EL&Pで実現させたかったのは、自分の音楽の創造だったわけで、そのために、曲作り以外の場面では、常に2人に、特にグレッグには気を使い続けていたことだろう。バンド結成当時はそれが上手くいっていたが、アルバム“Brain Salad Surgery”の頃になると、そのバランスも限界に達したようだ。

 

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