クルマ映画
クルマ。映画。
ほとんどの人はどっちも好きでしょう。でも「クルマ映画」となると途端に好きな人は減っちゃう。
私も巷ではクルマも映画も、どっちも好きだという打ち出しできてるので、「クルマ映画もきっと好きだろう」という仮説が成り立つわけですが、とんでもない。「ワイルドスピード」なんか全然好きじゃないわけです。
幼少の頃、自分でも勘違いしてて、「サーキットの狼」劇場版を見てあきれ、「F2グランプリ」の中井喜一をみて、独特の気持ち悪さを感じ学習した結果「クルマ映画はおもしろくない」という結論に達したわけです。
(この気持ち悪さはもちろん「ベストガイ」の織田裕二に通じます。)
これは車・映画どっちの責任かといえば映画なのは明白です。つまり車が“映画”になってないんですね。元々食い合わせの悪い、うなぎと梅干のようなものかも知れません。
モンテカルロラリーが舞台だと聞いてフランス映画「男と女」を見たのはそんな時で、冒頭の浜辺のシーンで自分の息子にマスタングのオープンカーを運転させて蛇行するところから「ムムッ」と思い、アメリカのナショナルカラーに塗られたフォードGT40がサーキットを疾走するシーンで叩きのめされました。これは完全に車が“映画”になっているじゃないか。ハイライトはラリーを2位でフィニッシュしたジャン・ルイ・トランティニアンが、恋人に会うため、そのままパリまで競技車で帰るところ。「会ったら、何言おうか」「きっと驚くな、彼女は」一人で悶々とわけわかんない試行錯誤をする。ただ、挨拶だけのために数百キロ走る男。こういう男の心情に運転姿以上のシチュエーションがあるのか、あるわけがない。親子であれ、男女であれ、がんばる車が愛を表現しているなんて、すっばらしいじゃないですか。フランス人は偉大だなと思いましたね。日本人が21世紀になっても、とてもとても及ばない世界です。