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「死をデザインする」


2024年10月某日(2619文字)

9:34

おはよー。あのねぇ。
今日は別に書きたい事がある訳じゃないんだけど。

むしろ、めんどくさいんだけど笑

身体は何か書こうとしてるね😑

うむ。身体は何か書こうとしてる。
これがどういった感覚なのかと言うと、

起きた時から「死をデザインする」って脳みそが、
ずっと言ってる。

つまり、このお話の題名は、
「死をデザインする」になると思う。

昨日、題名をいつ付けるかって話をしたけど。
文字を作ってから題名を付ける私が。
先に題名を付けるパターン。

私の中では、あんまり無い事。

にしても、題材、重くねぇか?笑

えっとねぇ。私からしたら全然重くはない。
むしろ当たり前の事で、

私達は、死ぬ為に生きてる。とも言える。

けどね。読み手からすると。
生と死の境界線が薄いという表現は、

なんだか、ザワザワすると思うんだよね。

死生観ってのは、これもまた様々であり、
むしろ、個性の源でもあるんじゃないかな?

自覚があるかどうかはさて置き。

「死ぬならどんな死に方がいい?」

考えた事あるでしょ?笑
実は何回かは考えてるでしょ?笑

んじゃ、それをデザインした事ある?



ピラミッド。◢◣





私は、自称説を書き出した時。(抹消済み)
この自称説を書き出した時から、
自分の死をデザインし始めたように思う。
でも、それは意識してた訳じゃなくて、
無意識に始めてた。

以前にも話したけど、

「どこでどうやって死んだら1番オモロい?」

死をかなりポップなものと捉えるようになってた。
どうせ死ぬならオモロい死に方。

鬱がなんなのか、やっぱりまだ答えは出ないけど。
この感覚を鬱と言うなら、たぶん私は一生鬱だよ笑

けどさぁ。死を考えないやつなんて、居るの?


それって、生への執着?死への恐怖?


まぁどうでもいいけど。

私が見た前世の記憶。
その時に、そういうのなんて言うんだろ。

死を体験したんだよね。
まぁあくまでもイメージだけど。

小さな村の孤児だった私は、
お城?宮殿の中で死んだのよ✋

お姫様になったとかではないよ笑
まぁかくかくしかじか、宮殿に行く事になってね。

綺麗に整えられたベットの上。
お花がいっぱい添えられてて。
私が息を引き取る瞬間には、
沢山の女の子達に見守られて、
それはそれは、暖かな光の中で息を引き取ったの。

ちなみに、前世でも女だった。
ほんで、すっげー老婆まで生きてた笑

肉体から出て振り返った時。
私の魂は爆笑したんだよ?笑

すっげー老婆なってる!笑
木の根っこみたいな老婆やん!笑。

って笑

どこか他人事なんだよね笑。

んじゃ死ぬ直前の私は、何を思っていたか。
もちろん、
見守ってくれてる人達にありがとうはあるよ。
けど、自分の人生を振り返ってた。

そして、「案外、悪くなかったな。」

そんな事を思ったんだよね笑
んで、振り返ったら木の根っこみたいな老婆よ笑

この時に初めて、私、自分の事好きかも。って。
人生には様々なターニングがあるけども。

あの体験は、ほんとに私の死生観を変えた体験だった。

そして、この記憶がなんなのかの証明は出来ないよね。
全部、私の中で作られたものかもしれないやん?

でも、そうじゃないかもしれないし。
つまり、どうでもいい。どっちでもいい事なんよ。

大事なのは、その体験で何を感じたか。

私はね。こんな面白いストーリーが作れるんだ!
私を書かなきゃ。そんな風に思った。

いつかこの体験を綴りたい。
そんな想いから、自称説が始まった。

以前の活動は、ほぼ前世の私と歩いた道だった。
だから、活動名も前世の名前だった。

1560年代。インドネシア人の私。

でもね。思ったんだよ。今を生きなきゃって。

前世の私がやり残した事を回収しなきゃって、
思ってたけど。

やり切って思ったの。

今世の私を生きなきゃって。
生き別れた最愛の彼が居た。
うん。きっとそれは、そういう宿命で、
その現実を受け止めなきゃいけなかったんだと。

受け止め切れず、前世の私は最期を迎えたけど。

前世の記憶をみて、
私に課せられたものがあったとするなれば、


それは、



「受け入れる。」

と言う事だったのかもしれない。


運命。運ばれる命。

今日も私は、運び運ばれどこに向かうのか。

笑い転げて、転げてぶっ倒れたその先に、
大きな石があって。
そこに後頭部を強打してしまい。

口角釣り上げた顔で死ぬ。
うん。肉体から出た時に振り返った私を、

また爆笑させてやりたいな😀

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

「横尾忠則と瀬戸内寂聴」

瀬戸内寂聴さんとは、得度される前に、
ある新聞広告で対談した。
互いに母と息子のような関係に近いものを感じていて、
瀬戸内さんとは出会うべくして出会ったのだと思える。自分が生かされている何かの力。あるいは超越者の存在を小さいころから身近に感じていたぼくは、
このころから彼岸と比岸への架け橋である禅を体験するようになるのである。
瀬戸内さんとは前世からの縁を実感する。
来世も会うこと間違いなしだ。

画集より。
横尾忠則が描いた瀬戸内寂聴(2009年)



最後の往復書簡です。
読めますか。聞こえますか。(・・・)
セトウチさんとのここ2年間の話題は死が中心で、
現実的にはお葬式セレモニーの演出プランばかり話していました。

「ヨコオさん、葬儀委員長になってね」
「嫌です。僕がやるとアートになってしまいます」
「では弔辞を」
「嫌です。文学者として死にたいセトウチさんは誰か文学者に頼むべきです」
「文学者は嫌いなの」
(分かる。めっちゃ分かる笑)←ジバク?

死後の演出まで愉しんでいる、
セトウチさんの人生は何なの?
人生を遊びと考えている。実に素晴らしい。
(ありがとうありがとう✋)←シバク?

でも、セトウチさんの死の遊びにまき込まれたくない。
(横尾忠則可愛すぎて、悶える)

「でもヨコオさんが棺桶を担ぐのだけは私の方から丁寧にお断りします。またころばれたら困ります」

「いつだって、ころんでケガをして入院するのはセトウチさんじゃないですか」
「何もしないで、一番前の列に座って頂戴」

参列者の座席順まで決めていたセトウチさん。
皆さん、セトウチさんてこういう人です。

画集より。愛おしいお2人のやりとり。



これ好き。めっちゃ笑った。


今日の猫様。

ふっ😏まだ生きてやがる。



そういういや、昨夜数日振りに塩枕して寝たんだけど。
寝落ちする瞬間「(私の名前)ちゃーん」
って名前呼ばれて、飛び起きたわ笑

母の声だった笑。やっぱのっぺり付いてるよな🥴
で、さっきLINE来たわ。

念に気づけば姿現し。

てか、禅って何?

は?意味わからんのやけど🤷🏼‍♀️


踊ろ。


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