63 魂の望みに気づくために
「本当の自分で生きる」というコトバがある。
具体的にどーゆー状態のことなのか。
いつもの私のクセで逆説的に考えていく。
すると答えに近づくヒントが見えてくる。
「本当の自分で生きる」ことができていない時、そのコトバに惹かれる(意識する)。
私もそれがテーマの時「本当の自分で生きる」を掲げブログを書いていた時代があった。これって本質をついているのではないだろうか。
昨年あたりまで自己啓発やスピリチュアルを発信する方の記事を見ていた。ほぼ見なくなったけど、今、当時を思い出す。プロフィールの文言や記事の内容にその方のエネルギー状態が乗っていた。
自分のアイデンティティかのように病名や症状名を記載している人や、私のように無意識に一歩先のテーマを自ら掲げている人もいる。
人は、自分の無意識に気づくのは難しいけど、他者の無意識にはかなりの精度で気づくことが可能である。
例えば、AくんはBちゃんが大好き。Aくんはひた隠しにしているつもりでも周りは全員気づいていたりする。それはBちゃんにだけ素っ気なかったり、逆に優しかったりいじめたり…。エネルギーとして周囲に伝わる。
読める人にかかれば無意識ってそのくらいダダ漏れ状態なのだ。読めるのと言語化できるのと分析できるのとは、また違う才能なのだろうと思うが。
まぁ、つまり話を戻すと、テーマだからこそ、そのコトバを掲げる自分に違和感がないし、そのコトバを使用している。
越えるべき壁が何かということに「本当の自分」は実は既に気づいているということだろう。
だから手当たり次第興味の湧くものを手に取れば良い。やってみれば「これは違う」が見えてくる。従って道が定まってくる。
ここは、自らの肉体を使って様々な「体験」をする星。それ故、脳を含め肉体が機能する間に「体験する」ことが望まれる。
ただ、精神世界に精通している方ならやはり、肉体からの欲求を理性でもって抑制することなんて通常運転だろうし、知りたいのは魂の声である“本当の自分の願い”なのだろうと思う。ただ、これは精神の部分を調えていかないことには、その先の魂の領域を触りに行けない。
なぜなら、、これは私だけの感覚なのかもしれないけれど、、無意識もしくは潜在意識を捉えることができないと“本当の自分(魂)”どころの話じゃないから。潜在意識の部分は肉体に付随した意識で、魂ってもっと深い超意識とか言われるところ。
だからそれが分からない状態の人に、たとえ魂が求めるものが目の前に用意されたとて、顕在意識でハネてしまう。要は、顕在意識は潜在意識の一部なのだから、そこはまず仲良しに(同じ)になっておいてもらわないと、という感じ。
手放しとか自己統合とかって、その部分を完了させる作業なのだ。
顕在意識で「本当の願い」だと思い込んでいることは魂目線で見ると真逆だったりする。
おそらく魂の声に従って生き始めると、それまでの自分とは180度変わってしまうから、はたから見ると別人になったと認識される。
肉体、精神が洗われる。すべてが破壊され、創造される。
そのぐらいのレベルで変わるから、今まで通りの生き方など、絶対的にできなくなるのだ。
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私のように「何でも出来るようにならないと!」とか「一人で生活ができるように稼ぐぞ✊😳」とか頭では思っていたら、私の魂は全然違った。
“魂を磨いたのち、ただただ生きる”というのが
魂の望みだった。
暫くの間「うそだぁーーーーーー😱😱😱」と、
のたうち回ったけど、やっぱりそのようだった。
私の場合、“肉体”の面はかなり昔に完了してて、
ずーっと“精神”の部分を触っていた。魂の部分も同時にアプローチしていたけどイマイチ要領を掴むのが難しかったのだ。でもこないだ一区切りついたサインが来た。ここからは自己責任のもと、魂で生きていかねばならない。
私自身、今“ひとり”だと感じる。
源のような存在(神?)が離れていったような気がするし、ご先祖の見守りや指導も外れた。
“魂が生きている”という感覚がある。近頃また、夢の中が騒がしくて、私は夢からワンネスみたいなものを感じている。
現状、実は「本当の自分」というコトバ自体に引っかかりが持てない。それが普通になったからだろう。本当の自分ではない時に味わった出来事や感情を覚えてはいるものの記憶が曖昧になりつつある。
興味の対象は今も変わり続けている。でもそれが正常であるとも思う。
私は特に昔から“テーマの切り替わりとスピード”が
超絶速い。数ヶ月から数年でパンパン切り替わるから、同じ場所にとどまることが無い。たぶんやることギューギュー詰めにしてるんだと思う。
要は、そのテーマを終えたら、過去に掲げたテーマなんて自ずと変わってしまう。ずっと変わらないことのほうが異常なのだ。
変化しないものなど無い。
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そう考えると、インターネットの世界は私からすると異常である。変わらないからだ。世の中変わり続けているのに、情報だけは一切変わらない。変わっているんじゃないかと思っている人も多いと思うけど、それはコチラ(人間)が変わっただけだ。
数年前に精神世界(スピリチュアルの世界も含む)に没入した私。少し前にやっと現実世界に戻ってきた。
現実世界は時間の流れを感じられるのだけど、スピリチュアルに足を取られると霊的な世界から戻れない感覚に捕らわれるのと同時に、時間が止まったように感じられるときがあった。
インターネット上でそーゆー状態の人にもたくさん出逢った。
足を踏み入れた当初は「おかしな人がいる」と分かるけど、沼にハマり始めるとその感覚が麻痺していく。(※おかしな人ばかりでは決してありません。)
いつも、「私は大丈夫だろうか」と入口扉を見失わないように振り返りながら歩みを進めた。
それでも迷子になりそうな時は立ち止まって地図を広げる。
誰かや何かを頼り、霊的なものを盲信し、自分からは目を逸らし、生身の人間との関わりを嫌う(もしくは選別する)から現実が疎かになる。よって帰り道を見失う。これだけは避けなければならない。
スピリチュアルを長くやっているのに現実が変わらない人は、漏れなくこれらをやってしまっている。
自己統合とはすべては自分なのだと認め、自らの中に受け容れていく作業。逃げてばかりいると、自分の光と闇は統合しない。
不思議な体験をし、目に見えないものを見続け、それを重要視している私だけど、自分を見つめるために「目に見えないものを見る」ことをツールとしているのであって、その世界で目をつむる(眠る)ために入り込む世界では無いと思っている。
今、ここのマガジンで発信している〚もぐぽこタイムのひとりごと〛と〚もぐぽこ日記〛、そもそも〚すべて愛のぽんこつLIFE〛自体、私の好きが詰まっている。自分にできることは何か、自分が信じていることは何か、自分が無理なく出来て楽しいと思えることは何か、を他の様々な事を消去法で徹底的に削ぎ落としていった結果、見つけたものだ。
全く苦じゃなく、それこそ時間を忘れ、喜びを持って取り組めるもの😌。文章を書くのも料理をするのも、楽しい😊
自分の魂が本当に望むものを見つけるのは、なかなか一筋縄ではいかないものである。
「これだ。これに違いない。」と頭で考えたものは大抵違っているから。
では魂が喜ぶものは何なのか。
例えば、とても美味しそうなケーキがある。肉体の反応に忠実に従うと、「購入&平らげる」。
でもそれじゃあ、サバンナでインパラを見つけたチーターじゃないか。ケモノ。
人間は四つ足の獣ではない。
先述した業界の、「癒やし」「心地良いを選ぶ」を真に受けず、そのターンを越えた先へ立ち向かう勇気を持って欲しい。
いかに肉体の欲求を精神で抑制するか。その精神が成熟した先にあるのが魂の領域。
魂とは、そのくらい達観しているのだから。
Ayumi☽