私は私の本を作った。
我が家の本棚には、皐月まうと書かれた本が4冊並んでいる。どれも私が世に出した、私の本たちだ。同人誌とはいえ、プロの小説のように装丁が本格的ではないとはいえ、胸を張って私の本です、私の作品です、と言えるものたちだ。
本を作ろうと決めたのがいつのことだったか、今となってははっきりと覚えていない。
noteのフォロワーさんが文フリで本を売りはじめた頃だったかもしれない、はたまた一緒に本を出さないか、と文学フリマ出店に誘ってもらったときだったかもしれない。
でもそれよりもっとずっと前から、私は私の作ったものを形にしてみたかったのだと思う。かつては一人ノートの上だけで完結していた、私の創作の世界。そこから漠然と変化を求めて、ネット上で文章を書き連ねることを始めたのは3年半ほど前のこと。それもある程度続けていると、何か他のことはできやしないだろうか、と考えるのは自然なことだ。そこで私が選んだのが、本を作ることだった。
もちろん、抵抗がなかったわけではない。本を作るにはお金がかかるし、無料で公開しているnoteとは違って対価もいただくことになる。だから、それなりに責任が伴う。私ごときが書いたもので、と後ろ向きにならなかったと言えば嘘になる。
でも、私はとにかく今以上の何かをしてみたかった。毎週文章を投稿して、ありがたいことに人に読んでもらえているとはいえ、それはあくまで画面上の情報にすぎなくて、じゃあこのまま続けて何十年も先に何が残るの?と問いかけられると答えに窮する。デジタルは気軽で膨大だけれど、だからこそ儚いのはよく知っているから。
ただ世に出したいだけじゃない。私はずっと、爪痕を残したかったんだと思う。
これまで積み重ねてきた文章や書き下ろしをフォーマットに落とし込んで、自分で表紙も作って、ついに私の本はできあがった。結論から言う。本を作ってみて、本当によかった。
作った本を、私はオンラインショップと文学フリマで販売した。初めての出店は今年の文学フリマ広島。正直、もっと早く出していればよかったと思えるほどの経験だった。
文学フリマで出会う人たちはジャンルも活動場所もてんでばらばらで、だけど創作が好きであることは全員共通していて、私は新たな刺激をばんばん浴びた。売れないかもしれないという心配は杞憂でお客さんにも恵まれ、ブースを訪れてくれた方と友達にもなれた。
ネット上で眺めていた世界がいかに閉鎖的だったか、私はこのとき深く理解した。ネットの世界はこんなにも広いのに、あっけなく狭いのだ。自分の足で歩かないと、本当に大切なものには出会えない。
今、私の数十冊の本たちは全国津々浦々、それどころか海外にまで飛び出して、それぞれの行き先でページを捲られている。その中には、顔も名前も知らない人だっている。だけど私が作り、私の手で包んだ本を手にしてもらえているというだけで、それはデータ上でのつながりよりもずっと価値のあるものだ。
どんなにネットが発展しても、形として残るものに勝るものはないと思う。紙の本は燃えたり流れたりしない限り、いつまでも残り続ける。爪痕を残す、とまではいかなくても、この世に物理的な何かを置いていけただけで、私は十分だと感じている。
ノートの紙から始まった私の創作の旅は、こうして再び同じ紙へと行き着いた。しかも今度は、たくさんの優しい仲間と広い世界を引き連れて。