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映画「護られなかった者たちへ」~生活保護受給とスティグマ~

この映画、封切られたばかりだが、もうすぐ終わってしまうかもしれないという友人に誘われて観に行った。東日本大震災と貧困問題をテーマにした社会派ミステリーというのだろうか。

東日本大震災から9年が経った宮城県の都市部で、被害者の全身を縛った状態で放置して餓死させるむごたらしい連続殺人事件が起こる。容疑者として捜査線上に浮かんだのは、知人を助けるために放火と傷害事件を起こし、刑期を終えて出所したばかりの利根(佐藤健)。被害者二人からある共通項を見つけ出した宮城県警の刑事・笘篠(阿部寛)は、それをもとに利根を追い詰めていく。やがて、被害者たちが餓死させられることになった驚くべき事件の真相が明らかになる。

さほど期待しないで見に行ったたためか、案外面白かった。
出演者も演技派ぞろいで、演出も丁寧に作られている映画であった。

しかし、見終わって、時間がたつにつれ、わたしの中に、なにかモヤモヤとした感情が湧き上がってきた。それが何なのかを突き詰めてみた。

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東日本大震災の後、社会的弱者はさらに追い詰められていく。まさに、護られなかった者なのだが・・・。
この映画では、彼らを支援する役割なはずの福祉事務所の職員が殺人事件の被害者になる。犯人は誰なのか?という社会派ミステリーなのだが・・・。

わたしのなかのモヤモヤ感は、被害者も犯人も描き方が、いい人過ぎ、そして、無力すぎることだった。

政府は、生活保護を抑制しようとして、スティグマを利用してはいるが、健全財政を維持しようと本気でやっているわけではない。
そんなことは、福祉事務所の職員だって、刑事だって、いや、一般の民間人だって、みんな知っているわけである。

なのに、なぜ、社会的弱者が追い詰められてしまうのか。

被害者は、自分が殺されるくらいの怨恨を持たれていたとは思いもしなかったろうし、犯人の、殺したいほどの思いもよくわからなかった。

だから、なおさら、彼らの無力感だけが残るのだった。

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 ただし、出演者はみな熱演だった。
 しかし、なんだかこじんまりとまとめていて、社会の底辺で起きる殺人事件を描いた作品として、心に残る映画にはならなかった。

 社会の底辺を描こうとしたら、制作陣側に、良くも悪くも、もっとエネルギーがないとダメなのだということをつくづく感じさせられてしまった映画であった。

 そこまで考えたとき、この映画の製作陣と、被害者として出てくる福祉事務所所長が重なって見えた。
 
役人とクリエーターを一緒にしてはなんだが、個人のメンタリティーは、同じような気がした。現実に疲れていて、諦めに慣れているのじゃないだろうか。

 日本映画界の現実も、生活保護の現場と変わらないのかもしれないと思うと、体制にとって「いい人」を求められる社会は、無力感にあふれる人たちを作り出しているのかもしれないと思った。


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松幸 けい
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