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エンジンがかかった瞬間~勝手に何かが起こることはない~
#エンジンがかかった瞬間
そんなハッシュタグを見つけたときに脳裏に浮かんだのは、10年以上前の出来事。
それはまだ医療従事者として働き初めだったころ。
当時はサッカーのドイツワールドカップで中田英寿選手が引退したり、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻したいわゆる「リーマンショック」があったり混沌とした時代。
そんな時期に、私はリハビリテーションの専門職として働き始めた。
リハビリテーションの専門職というのは主に病院や老人施設、またはプロスポーツの分野でも活躍していますが、私の場合は、脳卒中や脊髄損傷等で半身不随になったり、腕や脚を骨折して手術を受けたり、心臓など内臓を悪くして運動に支障が出るなどして入院された方に対して、そういった方々が元の生活に復帰するための手助けをする仕事である。
当時は、専門学校での知識の詰込み教育から解放され、ようやく実践での知識や技術の習得ができると意気込んでいた。先輩たちの施術をみながら、自分だったらこうするなんて、知識もないくせに新人ながら生意気な考えさえも持っていた。
最近ではそれぐらいの生意気な新人がなんとなく減ってきたことを実感する。生意気というのは一部の先輩からはそう見えるかもしれないが、能動的か受け身的かで言えば、自分の意見を持っている点からして前者だと思っている。よって、仕事に対するスタンスとしては後者よりはマシと思っている。
きっかけ
あるとき、脳梗塞の患者さん(Aさん)が翌日に退院を控え、他の患者さんとの会話を楽しんでいた。
その方は年齢の割に非常に活発で元気で社交的で、病棟のムードメーカーだった。そして自分の力で歩けるようになり嬉しそうだった。
そこへAさんと最も仲の良かった、他の患者さん(Bさん)が卓球をしようと誘い、病棟に備え付けの台を使い2人で卓球を始めた。
Bさんも同じ病気で入院中であり、ようやく歩けるようになってきたところだった。
私は、よりバランスが悪いBさんが倒れないように近くで見守っていた。
何回かのラリーののち、Aさんの後方へボールが転がっていった。
Aさんはゆっくり歩いてボールを拾い、こちらへ振り向こうとしたときである。麻痺している脚に体重を乗せ方向転換しようとしたが支えきれず、転倒した。
絶望
大腿骨頚部骨折だった。
太ももの骨である大腿骨の付け根の若干細くなっている部分(頚部)は転倒による骨折リスクが年齢を重ねるにつれて高くなる。
その部分をAさんは転倒の衝撃で骨折してしまった。
あした退院だったのに。
楽しみにしていたのに。
Aさんは泣いていた。痛みと悲しみで。
私は茫然としていた。
身体が勝手にAさんに駆け寄り、周りのスタッフと処置等をしていたように記憶していたが、頭の中は茫然としていた。
Aさんは、次の日手術を受けた。
3か月の入院の後に退院はしたものの、ほとんど寝たきりの状態になった。
後悔
あのとき、
Aさんがボールを拾いに行くときに一緒についてあげていたら、
方向転換する方向を逆にしていたら、
そもそも卓球は危ないからと、止めていたら・・・
その後しばらくは後悔に苛まれた。
ヒトは問題が起こるとその原因を掘り下げるが、そうしたところで事実が変わるわけではないし、現状が好転するわけでもないし、Aさんが治るわけでもない。
しかし間違いなく言えることは、私のアクションで防げた部分はあった。
そして防げていたとしたら・・・
その思考のループ。
奮起
そのような状況を解決するために不足していた要素。
それは、私の知識・技術不足。
Aさんが卓球をするときに行うと想定される動作で、どのような重心位置なると、どのような動きになって、どのような危険な状態が想定されるのか。
そんな予測は、今では行えるようになりましたが、その根底、きっかけ、基礎にはこの出来事があります。今思えば私にエンジンをかけてくれた、奮起させてくれた存在。Aさん。
それからというもの、毎週のように北海道~沖縄まで各地を回り研修会に参加しました。数年間はお給料のほぼすべてを研修会につぎ込みました。
そのおかげでいただいたご縁・技術・知識、Aさんには本当に感謝しきれません。
今はもうお会いすることはできませんが、時折思い出してご冥福をお祈りするとともに、感謝をしています。
勝手に何かが起こることはない
専門職でありながら技術が足りないという要因で、防げた問題を防げなかった。それは私の分析ではありますが、ほぼ間違っていないと思っています。
免許を取れば誰かを救えると思っていた新人時代。
経験年数が増えれば勝手にスキルが付くと思っていた新人時代。
環境に依存しているというのは停滞しかないこと。
自分が動くことのみ、自分を変えられるということ。
エンジンをかけてくれたのはAさん。
アクセルを踏むのは私。
エンジンをかけてもらったからには、進めるところまで進みたい。
今回は「エンジンがかかった瞬間~勝手に何かが起こることはない~」について書かせていただきました。
また、あした(^^♪