世界は誰にとっても等しい世界を見せる〜連続テキスト500日目で思うこと〜
連続テキスト500日目
今日で連続テキスト投稿500回目。
これほどまでに何か一つのことを続けたことがなかったということもあって、
それ自体が何か特別なことのように感じてしまいますが、
それは毎日の繰り返しの積み重ねの結果であって、
毎日繰り返してきたことはそれほど特別では無い、
むしろ普遍的な、その時思ったことを綴るということであって、
至ってシンプルな行動だということに気付きます。
500回になぜ特別感があるのか
特別感があるのは、
それが500回続いたという結果。
その理由は、今まで経験したことがないから。
そして、これから何かを500回続けることができたなら、それはもう特別ではなくなる。
何が言いたいかというと、
それに特別感を抱いたとしても、
次には感じなくなるというのは、
経験による真新しさの欠如であって、
現象としては同じものであるということです。
つまり、同じ現象にどのような意味をつけるかというのは、自分次第ということです。
500回続いた。それだけ。
でも、初めてだから特別。そんな感じ^ ^
まぁでも初めはヒーヒー言いながら続けていたものも、続けてみれば逆にやらないと何かもの足りないと感じる変化を自分自身の中に見出すことができた。
明日が来るのは当たり前?
人生は一度しかないのは当たり前のことですが、
多くの人は明日が当たり前にくると思ってるんじゃないかなと思ってます。
辛いことは明日に後回し。
明日の自分がやってくれる。
やらなかった後悔をする。
未来への投資をする。
『またあしたね〜』と言う。
とは言え、日々はもう帰ってこないので、
いまやることが最も大事なことかなぁと思っていますが、それって意外とその習慣がついていないと難しいこと。
世界は誰にとっても等しい世界を見せる
『今』は誰にでも等しく与えられています。
もちろん環境によってその質は異なるかもしれません。
でも『今』は等しく与えられています。
お金がなくてもnoteを書くことができます。
スマホがなくても紙に書くことができます。
紙がなくても話すことはできます。
話すことができなくても思うことはできます。
今は等しく与えられていると言うのは、
その『今』を使って何をするかは私たちの自由だと言うことです。
ないものでするよりも、既に与えられているもので何をするか。
それが習慣化の一つの秘訣なのかもしれません。
今回は『世界は誰にとっても等しい世界を見せる〜連続テキスト500日目で思うこと〜』について書かせていただきました^ ^
また、あしたね😊✨