「分からない」に対する向き合い方~わからない=不快??~
今日も1日お疲れ様です。
今日は久々にテキストでの投稿です(^^♪
よろしくお願いしますね!!
「わからない」
皆さんは今日1日、「わからない」!!と感じましたか?
相手が話している言葉、
計算方法、
目的地までの道のり、
分からないこと、
理解できないことは、
日常茶飯事です。
そんな時に感じること。
それは、
「不快」
ではないでしょうか?
でも今では、
その不快を感じることが少なくなったように思います。
その理由は、
インターネットの普及で、
すぐに検索できるようになったから。
分からないことはすぐに調べれば、
自分の代わりに答えてくれる。
SNSが解決できない「わからない」
しかし、私たちの「わからない」を全て、
SNSで解決できるかといったら、
そうではありません。
美しい歩き方、
満足されるサービスの提供方法、
秘伝の美味しいスープの作り方、
一応はSNSでも検索できると思いますが、
それを極めようとしたとき、
そこに必要なのは経験です。
そして、
その道の途中では、
「わからない」が付きまといます。
その「わからない」をいちいち不快に思っていたら、
その道のりはその人にとって”いばらの道”以外の何物でもありません。
そして、
「わからない」のは、当たり前なんです。
だって、その価値を決めるのは、他者なんですから。
「分からない」=「未知」
分からないというのは、
自分の知識が足りないというわけではありません。
自分にとって「未知」というだけです。
そのこと自体は決して悪い事ではありません。
そんなことも知らないの?
や、
そんなこともできないの?
という、
当たり前のことに対するネガティブキャンペーンが、
自分の脳みそにインパクトを与えているだけです。
「できないこと」は、
これから行動してできるようになること
そのように捉えると行動に影響を与えにくくなるのかもしれません。
今回は『「分からない」に対する向き合い方~わからない=不快??~』について書かせていただきました。
また次回もお楽しみに(^^♪
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