失敗が存在する理由~猿も木から落ちるが、また登る〜
今日も1日お疲れ様でした😊
今回のnoteのテーマは『失敗が存在する理由』です。
失敗の解釈
まずは『失敗』の解釈について簡単に考えていきたいんですが、失敗ってその字の如く、ネガティブな印象が染み付いているんじゃないかなぁと思っていて、"してはいけないもの"のように扱われていると思うんです。
同時に、失敗というのは、行動することをベースとして、成功の対極にある価値観のように扱われていると思うんです。
でも、行動していれば、成功もあればもちろん失敗もある。
サルも木から落ちるが、木に登らなければ餌にありつけない
犬も歩けば棒に当たる・・・
サルも木から落ちる・・・
しかし、
犬も歩くということをしなければ棒に当たることもないし、
サルも木にさえ登らなければ、落ちることもありません。
要は、行動さえ起こさなければ、失敗しません。
ただ、成功もしません。成果は何も得られないからです。
成功というのが、初めに思い描いた理想に近づくことと定義づけるのであれば、その反対が失敗だと思うんですね。
でも、それだけです。
本来はそこに”ネガティブ”という個人の解釈を添付する必要はないんじゃないかと思っていて、客観的な事実と、個人の感情や主観が強烈に結びつくと、失敗イコールネガティブのような、いわゆるステレオタイプが構築されてしまうんじゃないかと思っています。
失敗が存在する理由
失敗が存在するのは、そこに解釈があるからだと思っています。
解釈さえしなければ、ただの事実で留まるでしょう。
サルも木から落ちたとしても、
また登ればいいだけの話。
犬も歩けば棒に当たるが、
次は気を付けて歩けばいいだけの話。
それだけの話。
今回は『失敗が存在する理由~猿も木から落ちるが、また登る〜』について書かせていただきました。
また、あしたね(^^)/~~~