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武士以外に学問は必要ないという流れを、今こそ断ち切ろう
【読書感想】2024年95冊目「現代語訳 論語と算盤 」渋沢栄一・守屋淳=訳/筑摩書房
pp.9--36 第1章 処世と信条
「商才」というものも、もともと道徳を根底としている。不道徳やうそ、外面ばかりで中身のない「商才」など、決して本当の「商才」ではない。そんなのはせいぜい、つまらない才能や、頭がちょっと回る程度でしかないのだ。・・・
「『貸家札』唐様で書く三代目」といって、商売に学問は不要である、学問を覚えればかえって害がある、という時代であった。そこで、身の程知らずながら学問によって経済活動を行わなければならないという決心で、わたしは商売人になったのである。・・・
一万円札で話題の人、渋沢栄一である。まだ僕は見たことがない。家内には、小太りの三人組。おもちゃ銀行みたいに言われている。
以前、僕は、経営会議で道徳の話をして、道徳が事業とどういう関係があるのかと、コンサルや銀行に笑われたことがあった。しかし、渋沢栄一は、その道徳と経済とは一心同体であって、決して別のものではないということを提唱していた人だ。
人が世の中を渡っていくためには、成り行きを広く眺めつつ、気長にチャンスが来るのを待つということも、決して忘れてはならない心がけである。・・・
渋沢栄一は「因果関係」という言葉でこのことを説明している。物事には因果関係があって、無理にそれを変えることはできないと。だから、今自分がやっていることを大切にして、未来へ向けてつなげていくことこそが大切だと、僕は思う。
・・・それは逆境に立たされた場合、どんな人でもまず、 「自己の本分(自分に与えられた社会のなかでの役割分担)」 だと覚悟を決めるのが唯一の策・・・
多くの人は、自分で幸福な運命を招こうとはしないで、かえって最初から自分でねじけた人となってしまい、逆境を招くようなことをしてしまう。それでは順境に立ちたい、幸福な生涯を送りたいと思っても、それを手に入れられるはずがないではないか。・・・
うまくいかないことを、逆境や環境のせいにしない。天は越えられない試練を与えないということばもある。逆境も与えられてた天命だと思えば、腰も据わってくる。うろたえることもない。
「名声とは、常に困難でいきづまった日々の苦闘のなかから生まれてくる。失敗とは、得意になっている時期にその原因が生まれる」・・・
我が社の歴史を振り返っても、そう思う。もうダメだという時に新しい事業が生まれ、世界一になったと浮かれている時に、会社を滅亡に導く種が生まれている。
人は得意になっているとき、「些細なこと」の前に臨んだときのように、 「天下に、わたしのできないことなどあろうか」 という気概で、どんなことも頭から吞んでかかるので、目算が外れがちになり、とんでもない失敗に陥ってしまう。・・・水戸光圀(21)(黄門)公の訓戒のなかに、 「小さなことは分別せよ。大きなことには驚くな」 とあるのは、まことに知恵ある者の言葉である。・・・
この度の大きな不良も、このようなことから発生している。長い間不良が出ないから、大丈夫だろうとたかを括っていたら、とんでもないことになった。些細なことだからと言って、やり過ごすのではなく、小さなことだからこそ、大切にしていかなければならない。
pp.37--51 立志と学問
(明治維新までは)武士への教育には、レベルの高い内容がいろいろと用意されていた。一方で農工商に携わる人には、ほとんど学問がなかった。・・・一ツ橋の高等商業学校は、何回も廃校させられそうになった。これは当時の人が、商人などに高い知識などいらないと思っていたためである。・・
人の品格は明治維新前よりも退歩したと思う。いや、退歩どころではない、消滅すらしないかと心配しているのである。どうも物質文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。・・・
渋沢栄一が、品格、人格や道徳といったものが経済的繁栄の根底にあるという考え方を提唱していたのにも関わらず、なぜ今までそれが実現できていないのか。一つには、武士(今でいう政治家)以外に学問は必要ないという、江戸時代からの流れが今なお色濃く残っているからではないだろうか。
受付や帳簿付けといった与えられた仕事を、その時の全生命をかけて真面目にやれないものは、いわゆる手柄を立てて出身出世の運を開くことができない・・・
必ずといっていいほど、数字を間違える人がいた。たとえ小さなことであっても、一事は万事、それがその人の仕事への姿勢をあらわしている。
pp.52--65 第3章 常識と習慣
習慣は老人になってもやはり重視しなければならない。青年時代に身についた悪い習慣でさえ、老後の今日になって、努力すれば改められるものなのだ。・・・「自分に克つ」という心を持って・・・
そうなのだ。強い意志があれば、自分を変えることだってできる。それは他人の力では、どうしようもない。
pp.66--79 第4章 仁義と富貴
「モノの豊かさを実現したい」という欲望を抱く一方で、その欲望を実践に移していくために道理を持ってほしい・・・
道理を知っている、あるいは知っていても実行できない人が多い。まずは、学ぶこと。本を読むこと。本にはさまざまの道理が描かれている。
お金をどうすれば大切にできるのか。それは全て所有者の人格による・・・。
また酒饅頭のことを思い出した。お金の使い方って、その人の人格がそのままあらわれる。
pp.80--94 第5章 理想と迷信
孔子の言葉にも、「理解することは、愛好することの深さに及ばない。愛好することは、楽しむ境地の深さに及ばない」とある。・・・
好きこそものの上手なれという言葉もある。それよりもさらに上が「楽しむ」境地。ただ楽しむだけではなく、理解して、好きになり、そして楽しめるようになるという順序があるように思う。
pp.95--111 第6章 人格と修養
人が動物と異なる点は、道徳を身につけ、知恵を磨き、世の中のためになる貢献ができるという点にある。・・・
と渋沢栄一は述べている。二足歩行ができているから、「人」なのではないのだ。道徳がなく、知恵もなく、世の中に貢献もしていないような人は、動物とたいした違いがないのかもしれない。
pp.112--125 第7章 算盤と権利
道徳は、日常の中にあるべきことで、ちょっと時間を約束して間違えないようにするのも道徳なのだ・・・
もしかすると、「相手に不快を与えない。相手に安心感を与える」というのが道徳なのかもしれない。
pp.126--141 第8章 実業と士道
「武士は喰わねど高楊枝」というような行動様式は、商工業者にとってはあってはならないものだった・・・・
都さんは、武士のような人だったと、今となっては思う。どんな境遇にあっても、人としての気品に満ちていた。僕は、知らず知らずのうちに、祖母から影響を受けて育ってきたのかもしれない。
pp.142--155 第9章 教育と情誼
「子供に孝行させるのではない。親が孝行できるようにしてやるべきだ」という基本的な考え方で子供たちに臨んでいる。・・・・わたしのようになれない子供たちには為す術がない。・・・・
渋沢栄一の子育て観がにじみ出ている部分。しかし、自分の子供が自分よりも劣っていると書いているところは、ちょっと傲慢かなぁ。
pp.155--171 第10章 成敗と運命
興味や楽しさを持って事業(仕事)に携わっていくなら、いかに忙しく、いかに煩わしくとも、飽きてしまったり嫌になってしまうような苦痛を感じるはずもない・・・・
どんなに大変な時も、楽しそうな顔で仕事してしている人と、いつもしかめっ面で仕事をしている人とでは、成果も大きく違っている。仕事は粘り強く続けていってこそ、成果が出るものだから、興味や楽しさというものは、何よりも大切だと僕は思う。
もしその人に優れた知能があって、その上に絶え間ない努力をしていくなら、決して逆境にいるはずがない。・・・自分から積極的に逆境という結果をつくってしまう人がいる・・・
順境と逆境について、わかりやすく書いてある。努力をしないものは、逆境という言い訳を作る。
pp.172--186 渋沢栄一小伝(読了)
一八六七年、岩崎弥太郎から栄一は向島の料亭に招待された。そこで弥太郎が切り出してきたのは、一言でいえば強者連合の誘いだった・・・栄一は腹を立てて、その席にいた馴染みの芸者といっしょに姿を消した。・・・
もしも、彼がこの時、三菱と手を組んでいたら、今の日本はなかっただろうと著者は書く。栄一は、自らの財閥を作らず、国全体のことを考えて行動した。
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