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【読書感想】 2024年107冊目「功名が辻(三)」司馬遼太郎/文春文庫


pp.593-659- 虫売り

(淫らな)  という言葉がうかぶのだ。そういう秀吉の無神経、身勝手さは、もはや、淫ら、という言葉をつかうしか、適当な表現がない。・・・

無神経さというのは、人間の中で最も罪深きことなのかもしれない。

pp.660--757 淀のひと、醍醐の花見

秀吉はなるほど、痛快りんりたるいかにも日本男児の代表、というような男であった。  この点、陰質な家康とは、ひどくちがう。  ちがうが、秀吉の晩年は、成功者にありがちな巨大な痴愚におち入っていた。・・・

この点、自分も気をつけたい。

pp.758--811 雲満つ

伊右衛門はちかごろいよいよ禅に凝っていて、ことばのはしばしに禅語が出る。  随処ニ主トナレというのは、禅のいわば真髄のようなものだ。いつ、どの時期、どの場所、どの瞬間でも、つねに自分が客観状勢の主人でいる、ということで、客観状勢のドレイにならない、ということだ。  それによってはじめて心の自在を得る、つまり何者にも束縛されない智恵と心魂を得るということだ。・・・

禅寺で見習いをしていた時、ある事件の罰として、先輩僧から殴られた時、師匠から「まわりはいろいろあるけど、結局は自分だ」と言われた、そのひと言が、今でも僕を支えている。

pp.812--889 東征(三巻読了)

伊右衛門は、自分の幸運さを信じていた。  かつては信長に属し、ついで秀吉に属し、たった一度小牧・長久手での戦例をのぞいては一度も負けたことがなかった。伊右衛門がつよいわけではない。つねにかれの最高指揮官が戦いに勝ってくれた。 (おれは運がいいのだ)・・・

松下幸之助は、入社面接で、自分は運がいいと思いますかと聞いていたという。運がいいと思える人は、必ず伸びる。

伊右衛門はしゃべりすぎた、と思った。こういう場合の「殿様」の言葉というのはみじかいほうが、より感動を生む。あとは重臣にしゃべらせればよいのである。  急に語調をおとし、 「笑右衛門、わかったか」  と微笑した。・・・

会議などでも、言葉は少ない方がいい。言葉数が少ないほど、相手に威圧感を与えることができる。しゃべりすぎ、書き過ぎは禁物だ。

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松坂 晃太郎  / MATSUSAKA Kotaro
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