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霧隠才蔵と猿飛佐助が徳川家康の首を狙う。壮大な暗殺行。
【読書感想】2024年99、100冊目「風神の門(上・下)」司馬遼太郎/新潮文庫
pp.8--21 八瀬の里、あまい肌
八瀬の沐浴は、古来、特殊の法をもって諸国に知られている。湯をもちいなかった。炭焼がまに似た巨大な素焼がまを築き、周囲からたきぎをもってかまに火を加え、内部の空気が十分に熱したところで、浴客をかまの室内に入れるのである。・・・
いわゆるサウナのようなものだろうか。少し前に、生まれて初めて砂風呂というものに入った時のことを思いだした。京都付近には、天然の湯が出ないらしい。
pp.54--84 京の雨
(はて、大納言をかどわかすつもりかな)いやいや、と才蔵はおもった。いくら闇夜とはいえ、江戸の政権が、天子の側近をかどわかしはすまい。・・・
「かどわかす」という言葉をはじめて知った。漢字で書くと、「拐かす」と書く。人を力づくで、あるいは騙して、誘拐するということ。
月卿雲客のおん身からみれば、虫のごとき下郎にすぎませぬ。ただこの虫は、なにものの手にも屈せず、なにもののためにもはたらかぬ。ただひたすらに、おのれのためにのみはたらく。・・・
どちらにもつかないという、この服部才蔵の言葉が聞いていて気持ちがいい。事業をしていても誰かに屈指、へりくだりながらの商売は、うまくいくはずがない。自ら道を切り拓いてこそだと僕は思う。
pp.85--115 猫の足音
兵法者は、おのれの技倆をためし、剣名を世にあげるために勝負をかさねてゆくのが稼業だが、忍者は、おなじく戦国時代の必要からうまれた戦闘技術者ながら、勝負師ではない。 むしろ、勝負をさけるところに、その職業の本領があった。・・・
戦わずして勝つというのが、経営でも王道だと思う。世間と同じことをしていては、競争になって価格を叩かれるだけだ。
pp.116--163 濡れた夜、猿飛
男には、まれに、左様な型の者がござりまする。その才は惜しゅうござるが、かような者は、利をくらわしても動ぜず、おどしてもおびえず、他人のたづなで御する方法がござりませぬ・・・
「利をくらわしてても動ぜず」という人を、僕はほとんど知らない。ある人を除いては。
又兵衛と話していると、かれを乞食にまで落してしまった「世の中」のほうこそ虚偽のものであり、かれのみが、真の人間であるように思えてくる。・・・
黒田官兵衛が愛弟子として育てた、この後藤又兵衛の話、すごく面白い。ここには書き尽くせない!
pp.164--250 黒屋敷、青姫さがし
このころの旅籠は、食事をつけない。投宿人が自炊し、マキだけは宿から買うのである。マキ代のことを、木賃といった。・・・
「木賃宿」という言葉の語源は、こんなところにあったのか。はじめて知った。詳しい辞書には出ていた。
きちん‐やど【木賃宿】
〘名〙 江戸時代、宿駅で、客の持参した食料を煮炊きする薪代(木銭、木賃)だけを受け取って宿泊させた、最もふるい形式の旅宿。食事つきの旅籠はたごに対していう。江戸後期には零細庶民、たとえば大道商人、助郷人足、雲助、日雇稼ぎなどを対象とする旅宿を意味し、御安宿、雲助宿、日雇宿などと呼ばれることもあった。明治以後もその名は存続し、屋根銭とか布団代を支払う安宿のことをいった。木銭宿。木賃。
pp.251--297 真田屋敷
伊賀の幻戯についてのべておこう。幻戯とは、相手を催眠状態にしておいて、術者の意のままの幻視、幻聴をおこさせるものである。・・・(幸村はよほどの策師だが、単なる策師ではなく、策を用いた上で、その策を自分自身でさえ忘れきってしまえる稀有な心術のもちぬしではないか)・・・
僕、知らないうちに、この術、使っているかも。相手があやつり人形のようになってしまう。
pp.298--340 暗殺行
才蔵は、炭を炉の中に捨て、掌をひろげてみせた。掌の内側が、むごいばかりに焼けただれている。 「伊賀の古い作法として、貴人からなにがしを刺せと頼まれて承知したとき、承知のしるしとしての作法を致します」・・・
才蔵は、真田幸村から、猿飛佐助とともに、徳川家康を暗殺するよう命じられる。これは、己の肉を滅ぼす覚悟が無くして、人を刺せぬということを示すために、自らこのようなことをして依頼主に示すという伊賀の作法。なんとも壮絶。
pp.341--402 海道の月(上巻読了)
「佐助よいか。伊賀には、七たび人を疑ってなお信ずるなということがあるぞ」・・・
どこかで聞いたようなことばなので、辞書で引いてみた。
ななたび【七度】 尋(たず)ねて人(ひと)を疑(うたが)え・・・物が見当たらないときは、何度も捜し求めた上で人を疑えの意で、人を疑うときには、本当にそうであるかどうか何度も確かめてみなくてはいけないということ。むやみに人を疑うなという教え。
よく似ているけれども、全く逆の意味に近いことばだ。勉強になる。
pp.403--531 ちちろ斬り、駿府城、東軍西上
家康は、若いころから、悲しみだけは深く蔵する男だ。しかしこまったとき、うれしいときだけは、まるで少年のように露骨に表情に出すくせがあった。これは、かれの美点といえた。家康にこの愛嬌があったために、家康の部下たちはかれを愛しぬいてついに天下取りにまで仕上げたのである。・・・
人間にとって、一番大切なものは、愛嬌だと僕は思う。人間らしさとも言えるだろうか。その点、僕は、どうなのだろう。自分を振り返ってみる。
pp.531--617 鷹ヶ峰
学問がふかく、詩文に長じ、丈山の高風をしたう親王、門跡、公卿が多かったから、九十歳で没するまで、京都の情報をあつめるのに事を欠くことがなかった。忍術とはそういうものをいうので、いまどき週刊誌にのっているような奇妙奇天烈なうそばなしをいうのではない。・・・・
情報は週刊誌で集めるものではないと、司馬遼太郎も書いている。
pp.618–761 霞の陣、淀の川風、冬ノ陣、白椿(下巻読了)
真田丸はそういういきさつで、できた出丸である。その位置が敵前の野に突き出ているだけに、一見して、幸村の精神のたたずまいが、城の形をなして天にそびえているようであった。(服部)才蔵は、ひどくこの出丸が気に入った。この男には幸村自身を見るような気がしたからである。・・・
上司を前へ突き出すという態度を見せる部下は、この物語には出てこない。
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