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”思考のとびら”をひらく

いよいよ新年度がはじまる。
授業も一からのスタートになる。
毎年この時期に思うこと。
それは…

「一体自分は、授業で”何を期待しているのだろう?”」ということ。
それは、自分自身に対して、そして、生徒に対しても。

授業とは、教師が生徒に一方的に知識を与える場ではない。
もちろん、知識として、言葉の定義、時代や思想家たちが捉えた対象の認識の方法については伝える必要はある。
しかし、この知識を単に伝えたところで、一次的な暗記に陥ってしまってはその時間は何のためにあったのか?ということになる。
定期試験やそれにともなって生じる評価のために学習している部分はあるのかもしれないが、それで終わってしまっては、なんだか意味というか価値がものすごく小さくなってしまうような気がして仕方がない。

「思考のメガネ」の衝撃が強すぎて…

「思考のメガネ」という言葉を知った。

そして、また悩んだ。
「思考のメガネ」という言葉を手にした私は、あまりの衝撃に、手にすることのうれしさだけに着目をしていた

思考のメガネを手にした自分や生徒たちは、それで…。

「思考のメガネ」を通じて、「思考のとびら」をひらく

新年度のはじまりを目前にしてようやくたどり着いた。
授業を通じて、何がどのようになってほしいのか?
その答えは、こうだ。

私自身も生徒自身の中にもきっと何枚もあるであろう「思考のとびら」というものを開きたいし、開いてほしいと思っているのだ。
そして、それを通じて、自身と社会との良き関係性を見いだしてほしいと思っているのだ。

悩んだ結果また同じ結末にたどり着く。でも、一歩また前に進んだ!

「思考のメガネ」だけで全てが説明できると感じていたけれど、時間がたつと何か不足しているような感覚に陥っていた。
それが、「思考のとびら」であった。
ただ、悩んだ末にたどり着いたのはまた同じ結末であった。

「自己と対象の良き関係性を結ぶ応援をしたい」

これが、ゆるぎない自分にとっての教育のあり方なのだろう。
また、きっと迷って悩んでたちどまることがあるかもしれない。
でもきっとここに帰ってくる。

よし、一歩前に進んだ!
せっかくいただいた「大切な授業という時間」そこに集う全員にとってよりよい時間となるようにがんばろう!!

今日も新しい気づきをありがとうございました。

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