地方からポップに跳べ、ロックに生きろ!
地方に住みながらも、CDをメジャーで出し、本を商業出版(←自費出版じゃないってことね)した、そんな経験を持つ僕は、かなりレアな人材だと思っている。
タレントではないと言う点でいえば、全国的にも相当に珍しいはずだ。
それは、「やって」「みせる」ことを大事にしてきたから。
地方にいるから実力で劣るだとか、一流にはなれないという思い込んでしまう人がなんと多いことか。
だから一流にはなれないし、だからトップを走れないのではあるが。
そうではないことを知ってもらうために、僕は実践をし成果を見てもらってきた。
今は受けていないが、一時期、教育関係者が全国から僕に会いに来てくれるお参りのような場所にもなった。辺境の地、山口県に、である。
(NPO化した今も実質は同じ状況が起こっている)
教育不毛の地にあってこれは非常に稀なことである。
やり続けながら、残念に思うのは、そもそもこれら実績的なものが東京発信になってしまうことだった。
CDは東京のスタジオで録音だし、発売もそう、
本だって結局打ち合わせは東京の出版社、発売もそうだ。
翻って。
時代は進んできた。
曲はすでに、東京を経由せずとも、地方にいながら配信などの形でリリースできる。
本も今や商業出版、自費出版の垣根を超えて、電子書籍をリリースすれば良いだけになった。
いずれも全国流通、いや世界流通である。
すでに僕らは地方にいても、戦える時代に生きている。
もちろんリアルが弱すぎるというハンデは大きいし変わらないが、部分的には十分地方発信が可能なのである。
危惧しているのは、チャレンジできない若者が増えていること。(この投稿のコアはここにある。)
世間でよく言われていることではあるが、僕は直接子どもたちの教育に関わっているため、よりそれが切実なものとして感じられるのだ。
失敗を許さない教育、自ら思考することをとどめようとする教育は、彼ら彼女らのチャレンジする力を奪っている。
今や世界はグローバルを要求するものである。
ところが、最低全国というチャレンジすらしないというのは寂しい限りだ。
人の喜びの一つは、「新しいもの」との出会いである。
チャレンジしなくなることは、この一つの喜びを失うことに等しい。
地方にいようが、都会に住んでいようが、
良いものは良いし、一流は一流である。
そういう気概が欲しいし、そういう人たちと共に仕事をしたいと思う。
軽やかに飛び跳ねるように、そして、自分の道を人の目に臆することなく破天荒に生き抜け!
ポップに跳び、ロックに生きるのだ。
地方にいるからこそ、である。
地方からとびぬけてゆける人材を待っている。
カモン世界、カモン野心家、
一緒に世界を取ろう。
(おわり/facebook投稿より)
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