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人生の成長エッセイ

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人生の役に立つ、困るときに見返したくなる、そんなエッセイを書いていきます。独りだな、と感じたらこのマガジンで待ってます。
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#人生

バズりがすべてだった頃の僕に言いたい大切なこと

あの頃の僕は、バカだった! ずっとバズっていた時期があった。通知が止まらなくて投稿の数字を見るたびにテンションが爆上げしていたと同時に、ドーパミンも分泌された結果、もっと欲しくなる。要するに、万バズに自分の脳が完全にやられたと、冷静に考えている今日の頃。 バズればバズるほど、なぜ数字以外の存在を考えなくなるのか不思議でたまらない。自分のことより、数字。ここから、人生で何を優先すればいいのか、力を入れるところも分からなくなった。とにかく、バズれば気持ちいい。大満足。 分か

庭師だった父に謝りたい僕

生まれて40回目の夏が来ようとしているが、最高に楽しめたのは22回だけだ。父ともっと2人の時間を楽しめばよかった。人生における最強のサポーターは父だった。 未だに父が支えてくれている理由は、2人での会話が数秒前にあったように鮮明に思い出せるから。毎日のエネルギーになっている。 やりたいことがあれば、行動する。失敗したとしても自分で選んだ道だから、どんな失敗だとしても苦しんだとしても、成功の元になる。そう父から教わった。 僕の悩みや夢を大切に受け止めながら、優しく丁寧に道の進

言葉の限界は人の行動にある

角を曲がらずに進み続ければ、壁にぶつかる。道の限界が出てくる。どうしても真っ直ぐ行きたいと思っていても、無理な結果に再びぶつかる。曲がってぐるっとしなければいけないという選択肢しかない。裏を返せば、自分の行動で目的地まで辿り着ける。 言葉や学びも全く同じ話になるはずなのに、数メートルの壁はエベレストより高いハードルのように感じて、止まってしまう。ここで知られているようで知られていない現実がある。簡単に見えるから誰も何もせず、できると思って実際にやってみると知識不足で理由を付

好きだからこそ、離れる

好きな食べ物は好きだから食べたくなる。当たり前のことだ。いい気持ちになるものだから、手に入れば入るほど、さらに欲しくなる。そう考えると、人間は簡単な生き物だとつくづく思う。 自分を甘やかして好きなことが増えると、最高の気分になるわけだ。苦しむことも問題なく、嬉しい環境を守りたいという考え方がある。わかる。 昔と比べると、現代社会は「健康であることの幸せ」という感覚が薄くなっていると感じている。美味しいものを食べたいと思う時にすぐ食べられる。新しい靴が欲しい時もお店に行くかネ

古本屋が育てた言葉、成長した本と僕

「鶏が先か卵が先か」という表現が有名で聞いたことがない人はほぼいないと言えるだろう。ここから全く違うジャンルになるけど、同じジレンマが始まる。 本屋さんや図書館に行く時にあまり感じないけど、ある場所にいくと「人が先か本が先か」という言葉がずっと頭から離れない。 人がいなければ、本は生まれない。生まれないけど、本がなければ人は思念しないのではないだろうか。繋がりがありそうで、ない。なさそうで、ある。ここで意外なキャラクターが登場する。 入りにくい場所と思われがちだけど、勇気

バズる弱さ、2人だけの会話の強さ

SNSをしていると、「バズる」という言葉がよく耳に入る。いいねの数字が多ければ多いほど、魅力があるという風に捉えられがちだ。そうして出来上がったこの世界では、普段は興味のない内容でもついつい読んでしまう。言うまでもなく、自分のネタがバズったら花火を盛り上がってニヤニヤして、日常生活にない嬉しさがある。ところが、それは花火のように、一瞬で終わる。その後の気持ちは枯れた桜の木のようだ。 個人の経験から言えるのは、「バズる」という価値は実は大したことがない。このネタはバズる=深く

「人生は一度きり」はただの嘘

人生は一度きりというフレーズはよく聞く。聞くたびに、「確かに」「今やらないとダメ」「チャンスがなくなる前に、死ぬ前にやるしかない」などのことを、僕も実はよく思っていた。よく口にしていた。あの頃の僕はなぜ言っていたのだろう。いや、なぜ信じていたのだろう。 大きな力になると思われがちだが、実はプレッシャーになったり、人生に対する負担が重くなったりすることもある。この「人生は一度きり」が、実は嘘に見えてきた。嘘であることに気が付いたら、自分らしさは再び生まれて楽になった。なぜかと

生きているからこそ、落ち込むことも必要

こんにちは、いつものマッシ(@massi3112)です。 人間は、なんて不思議な存在だ。生きているうちに、周りにあることが当たり前になったり、健康であることの大切さを忘れたり、支え合いの中に生きていることに気がつかない。真っ直ぐな道のように、自分の日常生活を繰り返す中で、たった一つの方向が少しだけ変われば、手と足が止まる。 実は僕も好きなことをしている中で、ある日、止まることがある。 知らない人が無理矢理に自分の家に入ってきたような感覚で、恐怖で何も出来なくなる。居るべき