庭師だった父に謝りたい僕
生まれて40回目の夏が来ようとしているが、最高に楽しめたのは22回だけだ。父ともっと2人の時間を楽しめばよかった。人生における最強のサポーターは父だった。
未だに父が支えてくれている理由は、2人での会話が数秒前にあったように鮮明に思い出せるから。毎日のエネルギーになっている。
やりたいことがあれば、行動する。失敗したとしても自分で選んだ道だから、どんな失敗だとしても苦しんだとしても、成功の元になる。そう父から教わった。
僕の悩みや夢を大切に受け止めながら、優しく丁寧に道の進み方を案内してくれた。
「なりたい自分」という質問は、一生解決できない。その理由は、毎日新しいことが始まるからだ。
なりたい自分って、答えられない。はっきり言葉にできないけど、なりたい自分はいつも「言葉」に挟まれていることに気がついた。最初は父の言葉。そして自分の言葉。進学は文学部外国語だったし、仕事は日伊通訳、そしてライターに至るまで。
どう考えても、どこを見ても、共通点は言葉。形にならない言葉、文章になっている言葉。そう考えると、自分の言葉を活かして相手を喜ばせたい。一瞬だけでも、相手の人生の役に立ちたい。心の響きに近づきたい。そう感じている僕がいる。
「なりたい自分」をはっきり言えない中で、父からもらった言葉を皆さんと分け合いたい。僕の中にいる父のように、知らない方にも道案内をしてあげたい。
父のため。相手のため。
「なりたい自分」は「陰ながら相手を支えられる自分」だ。
なぜそうしたいかというと、父に謝らないといけないことがあるから。少年の頃の話になる。父に「庭師になりたい?」と聞かれた時に「なりたくない」とバッサリ答えた。何回も父の手伝いで庭仕事をしていて、嫌な仕事だと思ったこともないのに、「なりたくない」と答えてしまった。
そういえば、この質問は一回だけだった。
「何になりたい?」ということより、「どう相手の役に立ちたい?」の方が多かったから、無意識にどんな相手に対しても「役に立ちたい」という気持ちの種が芽吹いてきていた。この種は、庭師だった父の贈り物だと思っている。
「庭師になりたくない」の一言は、現在も僕の心に深く突き刺さって痛い。2度と同じ気持ちにさせたくないから、父のように平和な言葉をうまく使いながら、人生で出会える言葉の語り部になりたい。
僕が語り部になりたかったことはおそらく、当時の父は分かっていた気がする。教えてくれなかったことで、人生の重要な勉強になった。
庭師だった父に、ありがとう。
Massi