谷川嘉浩『スマホ時代の哲学』
※2月10日分
谷川嘉浩という人の『スマホ時代の哲学』という本を買って読んでみたのでそれについて書いてみたいと思う。この著者についてはまったく存じ上げないがタイトルに「スマホ」と入っていたのでついつい手に取ってしまった。
内容としては哲学に関する記述が多く、わかるようでよくわからないところが多かった。スマホと我々の関係を哲学者の考えと絡めながら描かれているのだが、どうも抽象的でよくわからなかった。これについてはまぁ私の理解力不足でしかない。今まで色々な哲学の本を読んでみたが、どうやら自分には哲学は合わないようだ。哲学に関する文章を読んでいると、ただ単に文字だけを追ってしまう感じになる。死んでも哲学を体得できる自信が無い。
それはさておき、哲学に関する部分以外でも印象に残る点はあったので、そこを抜き出して書いてみたい。
多くの人がスマホを使用する理由として「自閉接触ポジション」という点から論じられている。私はスマホに依存するような長時間の使用はそれ自体が楽しいから、コンテンツやアプリに魅力を見出しているからとばかり考えていたが、そうとは言い切れないようだ。
自閉接触ポジションから考えると、スマホを通じた単純な作業や何も考えない視聴や閲覧(ゲームや単調なチャット、YouTube、Instagramなど)は、それ自体に心地よさがあるということだ。そこでは単調さや一定のリズムといった条件が重要となり、それらを満たすサービスこそが人気を獲得する。
私は毎日満員電車に乗って通勤するが、その時隣の人のスマホが嫌でも目に入る時がある。その時、次々とメッセージを見たり、アプリを開いては閉じてを繰り返す人がよくいる。私はずっと暇を潰すために何かを探していると思っていいたがそれだけではない。自閉接触ポジションから考えるとそういう単調な刺激や反応が却って落ち着きを与えているという事なのかもしれない。
これについては人気のあるSNSサービスを見ればよくわかる。例えば昔はブログや掲示板、mixiなど、文章を投稿するようなサービスが主流であった。確かに、昔であれば写真や動画をアップロードする環境やシステムが整っていなかったということもあろうが、日記や比較的長めの文章を投稿するものが多かったように感じる。
しかし、それが例えば、Twitterのような短い文章をやりとりする形になって、そこからInstagramやTikTokといった写真や動画のサービスに移り変わっていったように感じる。確かに、文章よりも写真や動画を観る方がインパクトがあってそのモノを認識するのには有利だ。
だが、それは言い換えれば、より早く、よりわかりやすくというインスタントな態度が強くあるということにもなる。長々とした文章ではなく、パッと見て面白いかどうか、興味を惹くモノかどうかを判断したいという姿勢がそこにはある。最近ではYouTubeでもショート動画は多く見られるようになった。より早く、手軽に視聴したいというニーズがハッキリと見て取れる。
友達も誰も、注文した食事が運ばれてくるのを待つ間や何かを食べている最中に、一生懸命にスマホを見ている。それはスマホがマルチタスキングを助けるアイテムだからであり、マルチタスクキングが求められるくらい社会や同調圧力がスピードを求めてくるからだ。
そういった現状の中では対面でのやり取りや会話ですらマルチタスキングの一つとして処理されれてしまう。(LINEを返しながら隣の人の質問に生返事をするなど)リアルのコミュニケーションだからと言う理由で最優先される世の中ではもはやないということだ。
我々の多くは常時接続やマルチタスクキングといった環境から「孤独」を味わう時間を失った。1人で何かを考えるのではなく、自分を見つめ直すのではなく、安易にスマホを通じて答えや返事を求めてしまっている。
また、インターネットやSNSの力を使えば「寂しさ」が埋められると考えるのは早計である。それは単にマルチタスキングを通して一時のごまかしを行なっているだけなのだ。スマホを通じたコミュニケーションは根本的な解決にはなり得ない。
本著を読んで思ったのは、スマホをばかり触ってしまうには心理的な理由もが考えられるという可能性と、スマホが孤独や寂しさのあり方を変えてしまったという点だ。スマホがいけない、スマホ依存とは言うものの、では実際に何がどうダメでどういうデメリットがあるのかを説明できる人は多くはないだろう。
本著はそういった曖昧な部分を炙り出して示してくれる。引用にはほとんど載せていなが、哲学に関する記述がかなり多く、哲学が好きな人は特にオススメだ。
頂けたサポートは書籍代にさせていただきます( ^^)