はじめて古典芸能を味わう(大阪松竹座「幽玄」)
大阪松竹座「坂東玉三郎×鼓童 初春特別公演」『幽玄』
ありがたいことに冬休みにお誘いをいただいて、大阪松竹座「坂東玉三郎×鼓童 初春特別公演」『幽玄』を観に行ってきた。
概要
人間国宝・坂東玉三郎の舞踊と太鼓芸能集団・鼓童の演奏の共演によって世阿弥が見た“幽玄”の世界を表現するという歌舞伎だった。
つまり、能を大成させた世阿弥が見た世界を歌舞伎で表現するので、『幽玄』を観れば能と歌舞伎のどちらの良さも味わえるのだ!とってもお得!
プログラム
『幽玄』は『羽衣』、『道成寺』、『石橋』の3つの部に分かれていた。
この3つは有名な能の演目らしく、これらを題材に舞踊が構築されていた。この中でも印象的だった「羽衣」について書いていく。
「羽衣」
演目のあらすじ
漁師の伯竜が海辺で松の木に引っかかった綺麗な着物を拾う。あまりにも綺麗な着物なので、伯竜は着物を持って帰って家の宝にしようとする。伯竜が帰ろうとすると、弱った天女が現れて「その着物は私の羽衣なので、返してください。」と訴える。着物が天女のものと知った伯竜はますます返すのが惜しくなってしまう。しかし「羽衣がないと天の世界に帰れない…」と泣いて弱っていく天女を見て、伯竜は羽衣を返すと決める。そのかわりに伯竜は天女に舞を見せてもらうようお願いする。天女は羽衣を受け取ると元気になって舞い踊り、天の世界に帰っていく。
天女現われる
ドラムスティック(のようなもの)で太鼓を叩いて表現されたさざ波の音から物語が始まる。
ピンっと張った空気の中を泳ぐように現れた天女役の坂東玉三郎。 白塗りの顔はしわっぽさがないし、手足の先の動きが柔らかくメリハリがあって美しかった…。御年72歳とはとても思えなかった… 。
坂東玉三郎が人間離れしていたので天女は見たことないけど、天女に説得力があった。
空想を見立てと記号で成り立たせる
舞台上の構成はシンプルで小道具と人(「ワキツレ」というバックダンサーのような感じで演技を補足する人たち)のフォーメーションで情景を表現していて、音響は全て太鼓で成り立っていた。
構成がシンプルなため、着物の柄にも記号的に意味を持たせているところが面白かった!
例を挙げると、天女が水浴びをしていたことを着物の裾の青海波の柄で表していた。上半身の生地は天女の肌の美しさを目立たせるために白地に金の模様が施してあった。
天女の羽衣は鳳凰の羽の模様が袖に描かれているので、羽織って腕を広げると鳳凰が羽を広げているみたいで神々しく感じた。
バックダンサーの役割を果たすワキツレが風を表すように体を大きく上下させながら、天女の周りをぐるぐる回る。 そうすると、ワイヤーアクションではないのに、ふわふわと浮かびあがっているように見える。 体の動き 「見立て」によって空想上のものを成立させているところに奥深さを感じた。
「幽玄」の世界
”幽玄”という言葉の意味がわかっていなかったので、調べてみた。
”幽玄”とは美しさの結晶のような意味だった。音楽だけ、着物だけ、踊りだけ素晴らしくても成り立たず、全てが噛み合って”幽玄”となるらしい。(なんとハードルが高い世界!)
静かな空気の中で太鼓の音に合わせて柔らかく舞う坂東玉三郎の姿はまさに”幽玄”だったんだろう…。人間国宝って本当に国宝だったんだ…と納得した。
古典芸能の敷居は高すぎない
高校時代、古典で赤点すれすれの点数を取っていた身としては、古典芸能を観に行くのは敷居が高いと思っていた。 松竹座に行ったこともなかったし、世阿弥については歴史の教科書の片隅で見た「観阿弥・世阿弥が能を大成させた」くらいしか知らなかった。
音声ガイドのおかげで、古典の教養がなくても内容が理解できて助かったので、必要以上に身構える必要はなさそうだ。これからも音声ガイドに頼っていこう。
さいごに
なかなか触れる機会がない古典芸能の面白さに目を向けられてよかったし、これからは(心理的に)気軽に古典芸能に足を運ぶことができそうだ。
今度は定番の歌舞伎の演目を観に行ってみたいな〜
みなさんもぜひ観劇してみてはいかがでしょうか
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