幸運な病のレシピ 2020年11月11日(2444)〜2020年11月20日(2460)
30代の方と話す機会があった。いつものように食事を素材から作る話になったのだが、50年前には食事を売っている店がないという話をしたら、信じられないという顔をされた。
そのとおりであろう。物心ついた頃から商品化された食事しかしたことのない人には信じられないだろう。僕でさえ、忘れるところだった。
僕も高校時代までの両親と暮らした経験がなければ、信じられなかったかも知れない。しかし、本当なのだ。1980年くらいまでは外で食事をすることは難しかった。弁当や総菜などは高級で手が出なかった。料亭もあり、外食もできたが法事や結婚式でもなければ使うことはなかった。今とは全く概念が違った。
浪人をして東京に暮らし始めたころ沢山のお店があったことに驚いた。まだ、「賄い付きの下宿」というのが多くあっった。
吉野家のテレビでの宣伝を見たのもこの頃であった。「フードチェンストア」が生まれて時代である。この社会の変化は、一気に多方面で生まれた。
専業農家の比率は減り、食料自給率は落ち続ける。海外に生産拠点を持つことが企業の効率化だと言われた時代だ。しかし、考えてもらいたい、企業の経営者やオーナーは儲かるだろうが、その工場で働いていた労働者はクビになるのだ。
それが良いことであるように学者たちは煽った。「学者や政治家」は経営者の手先である。社会の中の余った金を食っているのだ。企業の剰余金は仕入れを安くすることで上がり、経営者の預金通帳にはZEROが並ぶ。仕入れの一番削りやすいのは人件費だ。他人ならば生活を破壊できる。家族は見殺しには出来ない(注)。
海外の時給労働者を雇い製品を作る。下請けにして部品を作らせる。系列かという形で発注元の会社の利益を向上させる。そして下請けの労働者ならば首を切っても、下請けの経営者が首を切っても、労働者が勝手に自殺しても何も痛みもない。まさに人非人の自由主義である。自殺も首切りも自由である。
←11/1〜11/10 毎日素材から料理を作る →11/21〜
10日すぎるのが早い。あっという間である。
11月20日 99.9kg おでん、鳥カツ、鮭、
今日も飲まなかった。
おでんを作った。パンチが足りないので鶏肉のカツを作った。青みが足りないのでピーマンを揚げた。おでんにカブの菜を入れた
おやつはミスドである。フレンチクルーラーとチェロが好きだ。
残り物を食べた。
11月19日 100.2kg 手羽元トマトソース、ハンバーグ、ラーメン、厚揚げねぎ焼き
今日も飲まなかった。もう生きていなくともいいということだろうか?
清々しい。
夜中に、チョコ食べたいと思った。せんべいも食っちまった。
は朝作ったトマトソースを食べた。
ひき肉が悪くなりそうだったのでハンバーグにした。和風にした。
モヤシと肉を一杯入れたラーメン食べた。麺は半分。
朝は妻の作った卵焼き、夜のために手羽元をトマトで保温鍋で煮始めた。
11月18日 101.0kg 肩ロース炙り焼き、糠メザシ、カツとじ
今日は飲んでおらん。自殺を考えているからだろうか。
妻が菊を買ってきてむしっておる。昔は母に手伝わせれたものだ。
朝の魚をメインに食べる。肉は適度に食べた。美味いものである。
肩ロースは炙り焼きにした。野菜を切って一緒に炙った。ガッツリ美味しかった。低い温度120度〜160度で10分+5分休みを3回繰り返した。低温だと柔らかいが真ん中が赤いので最後にスライスして、肉汁をソースにして火を入れた。
刺し身のズケが残っていたので食べた。これって発酵しているよね(笑)。
標準的な朝食である。めざしが激旨だ。夜も食べる。
妻の作った目玉焼き、カツの卵とじ、糠めざし、鮭、ヅケ、ナメコ、玄米。何とも地味であるが生命にあふれている。
11月17日 101.4kg 春巻き、餃子、のど黒、鳥、さつまいも、じゃがいも、パスタ、汁
101.4kgであった。酒は飲んでおらんが、お菓子食った。パスタ食った。痩せたいから食事作っているわけではないが、やっぱ、スマートになって世界を見返してやりたい。とは言っても、食いたいものは食いたい。人生は辛い。
パスタを水で戻して茹でた。残りは冷凍である。レトルトのソースである(笑)。ウーンマかった。汁に糠漬け、昼に作った鶏の唐揚げである。ビール飲まなかった。
唐揚げ軍団である。じゃがいもとさつまいもを素揚げにした。春巻き・餃子は前に作って冷凍しておいた。
朝は蕎麦食っちまった。ご飯がなかったのである。
11月16日 ---kg ★★ビール、八宝菜、刺し身、色々なもの
糠イワシがあまりに美味しかったのでnoteを一本書いた。妻がパート帰りに、安い刺し身買ってきてくれた。大騒ぎの一日であった。
夜は牛肉炒めた。
朝は糠イワシをバッドで焼いた。激旨である。今度まとめる。ー>今日の分はまとめた(笑)。
11月15日 ---kg 餃子、ロールキャベツ、餅(パン焼き機でついた)
飲んでいない、大変だ。
夜は餃子にロールキャベツ。
餃子とロールキャベツを同じ餡で作った。少し前からニラもにんにくも入れないことが多い。両方とも餃子に入っていなくともいいということに気がついたのだ。キャベツとえのき茸だけだ。なかなか美味しい。無理に使い切るつもりで包むと無理が出る。なので適切に餃子は作り、余った餡はキャベツで巻いて汁にした。これはいいことだ。
朝は餅をついた(笑)
11月14日 ---kg ★★ビールと焼酎、唐揚げ、刺し身
色々と大変であった(笑)。妻がパートなので作ったのである。刺し身を買って帰ってきたので一杯やった。
11月13日 ---kg 鮭タジン、煮しめ、青梗菜炒め
アイス食った。酒のんどらん。
鮭のタジン蒸しは美味しい。レモンを入れたりしうることが多いかと思うが、うちは奥さんが嫌いなので入れない。その代わりポン酢で食べるがよろしい。カレーが余っていたので食べた。
朝食は妻が作り、僕は遅めにおきて味噌汁と貰う。野菜炒めなどを作り、妻は昼食にする。僕は前日の残ってものを食べることが多い、玄米ご飯が美味しかったのでお代わりして昨日の酢豚も食べた。ひき肉が悪くなりそうなので、煮しめを作った。夜も食べる。
11月12日 101.4kg ★★ビールと焼酎、糠漬けイワシ、酢豚
やっぱ夜食はてきめんだ。今日は酒飲んじまった。これもテキメンである。ちょっとくたびれておる。頭が痛い。妻はパートで夜遅い。
美味しい生パインが売っていたので酢豚と相成った。
酢豚を作った。昨日のレバ茄子と同じ要領である。
ヌカイワシはバッドで焼くととても良いことが分かった。糠自身の香りの高さがイワシの油と相まってトタも美味しい。
朝はいわし丸干しを焼いた。糠漬けである。目玉焼きと味噌汁は妻作である。娘が早くに出るので作って一緒に食べている。僕は寝ていることが多い。
11月11日 ---kg 野菜炒め、レバ茄子、春菊の天ぷら、天ぷらうどん、糠漬け、
夜食食っちまった。マユがウドンを横目で狙っておる。この納豆はお気に入りだ。
レバニラの変形である。油通しを出来るようになると料理の幅が広がると思う。妻には酢豚のようだと言われた。たしかに同じルールで作られている料理である。
朝は食べないで寝ている。ここしばらく忙しいので仕方がない。妻が娘のために味噌汁を作り卵を焼く。これがまた美味しい。
←11/1〜11/10 毎日素材から料理を作る →11/21〜
ー>先頭からの続きです。
商品化された食事は、多くの問題を生む。
お店の主人が「作りそして、お金をいただく」間は何ら問題はない。家族に食事を食べてもらうことの延長である。しかし、フランチャイズのように、経営と食事作りが分離する。食事を作るのは若いバイトさんでも出来るようになると、話が変わる。海外工場で作ったものを日本で解答して食べる様な場合を考えるとよく分かる。この2つの乖離は重大な問題を引き起こしている。
フード・インクという映画を僕は高く評価する。しかし、問題はもっと先にあるのだ。「グローバリズムという獣」についてもっと明確に言葉で表さねばならない。金も時間もないのに、それは駄目だと行っても仕方がない。ワンコインで満腹になるのに、もっと楽しいことが有るのに、食事に金と手間をかけろと言っても、「ハイそうですか」ですかとは言わない。医者も栄養士もトクホやサプリやよく効く薬を売って生活しておる。
まだまだ考えねばならないことでは有るが、方向は間違えていないと思う。食事の価値を信じてこれからの人生を送り、記録したいと思う。
まずは自分で食事を作ることだ。そこから始まる。
誰かが同じ様に信じてくれるだろう。
そして、母の台所に立つ姿を思い出しながら毎日食事を作る。
そもそも、企業と家庭が同じもので、徒弟的な関係が経営者と弟子たちの間には成立していた。家族だったのだ。食事もともにした。
Company(会社)という言葉の語源はは「com(共に)+pany(パンを食べる)」という。社会の変化こそが多くの問題を引き起こしたのだ。
母が生まれる少し前の実家。母の父はタンス職人だった。共に飯を食い、同じく看取りトイレを使い。蚊に刺され、多くのマイクロバイオームを共有していた。これが会社の家族で経営であった。食事を提供して食べる間柄であった。グローバリズムはすべて吹き飛ばした。それは自由の獲得であったがそれ以前んのメンタリティは残り、現実のとの隔離が私達を苦しめている。
恐らくセックスも共有されていたと思う。食事とセックスは強い関連を持つ。家庭とは私達を守ることにーでありながら、欲望を閉じ込める檻でもあったのだ。今では企業や組織の中で同じ様に振る舞うが、パワハラやセクハラと言われる。
DV,近親相姦を厳しく規制する「ルールが有る」ということは一般的に「多く見られる」ことの証左である。パワハラ・セクハラが企業という枠で発生する。かつては家庭という枠の中で起こっていたのだ。既に家庭という枠は粉微塵である。しかし、ヒトというコミュニティを作る生き物は、同等の構造を求めるのだ。不倫を責めるメディアも妻が許せばそこで終わる。この話はまた今度。