幸運な病のレシピ 2020年11月21日(2461)〜2020年11月30日(2477)
医師や栄養士の生命観は「人間機械論(DNAという設計図で作られた部品の組み立てられたもので、意識という運転手が脳の中にいて操縦する)」から一歩も抜け出せていない。そしてこの生命観こそ『生活習慣病・難病・膠原病、『「病因」の無い「症状だけの病」』に手も足も出ない(注)理由である。
彼ら(医師や栄養士)はこう考える『食事は燃料だ。三大栄養素の比率を正しく、バランスよく、身体の中で作れない栄養素が十分とれていれば健康になる。健康診断を欠かさず受けて、「疾病の原因」である検査値を薬で下げればいい』(笑)。体調が崩れれば食事のバランスが悪いし、免疫が弱っている証拠。良くなったならば、バランスがいいのだし免疫力がアップしたのだ。どちらにしても医者の妄言は外れない。医学が見つけた「必須栄養素」とは『単純に現象と結びつきが観察できる代謝物』にしか過ぎない。確かに大きな勝利では有ったがそれだけのことだ。私達が苦しんでいる時代の背景を抜きにした栄養学は役に立たない。
僕は、この50年の間の社会の変化に原因を見る。素材から食事を家庭で作っていた時代には、元気に死ぬまで生きた。今は何種類もの薬を飲んで、同じような手術を繰り返して管だらけになって生きる。商品化された食事にこそ問題あがある。
肉魚野菜、全て細胞からできている。その細胞の内側には「水」がある。多くの代謝系(タンパク質と脂質の組み合わされた仕掛け)が溶け込んでいる水だ。一つの細胞の中には80億のタンパク質が溶け込んでいる。それが生命なのだ。
商品化された食事は「その水=生命」を捨ててしまう。食事は人が生きる上で欠くことが出来ない。「乾燥・抽出・濃縮」ノークレームの商品を生み出す工程がこの状況を生んでいる。
この記事の終わりに続きますー>
←11/10〜11/21 毎日素材から料理を作る →12/1〜12/11
11月30日 -----kg
カレー皆食べた。手羽先にネギをはさみ爪楊枝で止めて醤油で炙り焼きにする。絶品である。
11月29日 -----kg ★★ビール、白波、カレー
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保温鍋でカレーを作った。
11月28日 101.5kg ★★しらなみ
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パスタを食べたのである。酒に合うのは何故であろうか。
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揚げ物軍団、妻の弁当を作る日である。
11月27日 100.4kg 野菜たっぷりの焼きそば、すき焼き(ちょっと高い肉半額だった)、★★さつま白波3合
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11月26日 ----kg サンマのトマト煮、ロール白菜、ハマチのカマ焼き(絶品)
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11月25日 101.0kg ハマチ880円、刺し身、ぶり大根
夜食食っちまった。かなり食った。納豆大きいやつ2パックにご飯漬け丼に、お煎餅である。参ったなあ。
ハンバーグ悪くなっていた。
昼買ってきてすぐに捌いた。夜食べた。明日も食べる。
11月24日 101.2kg コルドンブルー、インゲン揚げ、手羽元カレー味、汁、糠イワシ焼き
イワシ焼いた、ヌカ補充した。楽しみである。
妻がパートの日は揚げ物になる。
鶏肉を叩いて薄くしてチーズをまいた。前回より上手く出来た。
10月29日コルドンブルーであった。今日は少しやり方を変えた。
11月23日 101.1kg 鮭、サワラ西京、手羽元醤油てりやき、おでん仕立直し、肩ブロックソテー、ペンネグラタン
今日は飲んでいない。一日雨であった。
霜降りの豚肩ブロックであった。厚めに切って叩いてソテーした。グラタンは数日前の手羽元のトマト煮の仕立直し。これでお腹いっぱい。よる少し菓子パンを食べる予定(笑)。
妻の作った汁、牛肉入りでポン酢で味を入れる。
11月22日 100.1kg ファミレスな昼、ハンバーガーな夜
今日は家族で会食である。食事はただ物を食うだけのものではない。関係性の中に人は生きる。
ハンバーガーとおでんである。ハンバーガーもポテトうまし(笑)!今日は商品化された食事の一日であった。後片付けがないというのは嬉しいものである。正月みたい。
ここ一年位でお店に行ったのは1−2回だと思う。娘のボーナスでゴチに成った。人生は色々とある。ビールのんだ。蕎麦もご飯も食べた。食後6時間で血糖値は215mg/dlである。軽く300mg/dlは超えたであろう。
朝はおでんである。納豆も食った。
11月21日 100.1kg トンカツ、すき焼き、すき焼きうどん
妻はパート先で弁当を食ってくるが、家に帰ったからもなにか汁を用意する様にしている。たくさんの野菜と肉が入ったすきやき丼は美味しい。夜の汁は身体が落ち着く。
夕食はカツを食べるのだが、焼き豆腐があったので糸コン買ってきてすき焼き鍋にした。
揚げ物の日である。トンカツ肉があった。そのtなおいろいろなものを揚げた。
残っていたカツの卵とじを作った。何も作らなかった。それでも、マユのご飯と糠漬けは返す(笑)。
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->前文からの続き
生命は機械ではない。中世の宗教から科学が生まれるためには「神秘の生命の元」を否定しなければならなかった。
しかし、まだ何も分かっていないのに全てを解明したというのは間違えている。そこで止まってしまう。
果たして生命のような複雑系を解明できるかどうかはわからない。しかし、謎と神秘に満ちていると認めなければ向き合うことは出来ない。僕は自分の人生のために毎日食事を作る。
素材から作る食事は大変な時間がかかる。しかし、食事には価値がある。500円で満腹になる食事こそが問題なのだ。そんな食事をするほかなくなった私帯の社会の問題なのだ。
医学という「金のなる木」が大事なことは分かる。しかし、自分の人生の終わりを考えてみれば、もっと大事なものがあることに気がつくであろう。医師や研究者にこそ気がついてもらいたい。自分もそうなってしまうのだからね。しかし、権威の頂上にいる人間がその権威自身を否定する事は難しい。登っているハシゴを切るようなものだ。
マイクロバイオームとは目に見えない細胞レベルの大きさの生命で、私達は「細菌とかウイルス」と呼んでいる。
この20年間で生命に関しての研究飛躍的に変わった。
「身体」という「皮膚と粘膜に囲まれた『海』」は80兆個の私細胞とそれ以外の多くの細胞レベルの生命が操縦している。精子と卵子に由来するDNAを持った細胞群と、それ以外のDNAを持った細胞群が共に「身体というコロニー」に乗って地上(乾燥環境)に増え満ちていく。僕はそう考えている。
この生命のモデルは大変面白い帰結を導き出す。セックスや社会の成り立ち、進化の謎、家族の苦痛、全く違ったものが見えてくる。
注)「病因」の無い「症状だけの病」
病因というのは、感染症の病原菌(結核、梅毒)単純な欠乏症を生む必須栄養素(ビタミンC)を考えれば分かる。治療をすることで元にもどり治療は終りがある。
長い航海で壊血病になってもビタミンCの投与で回復する。ところが問題はその後である。また欠乏した食事を続けていたら同じことが起こるのだ。若者が「菓子パンで満腹になるような食事をしていると唐突に難病になる。そして病院に入院するとケロッと治るのである。医師は原因不明という。バッカじゃなかろうか。特定の代謝物との因果関係はないが、食事が変わって症状が消えたとは思えないのか?では食事が原因である。しかし、食事の中に原因の物質(過剰か欠乏か侵襲)を見つけることが出来ない。馬鹿の一つ覚えのように「バランス・免疫力」が大事だと繰り返す。そうそう、運動不足という(自己責任)のもあったなあ。
生活習慣病と言われる状況とそれに続く多くの苦しみは「病因」はない。そのヒトの状態に向き合った食事必要なのだ。
問題は、人にあった食事を作ってくれる「家族というシェルター」が失われたことにある。