地毛証明を求めているの親だ! 役人は、うるさい親には黙って従う。 親はADHD、だの学習障害だのと他の子を蹴落とすことばかり考える。 どうせ、一生時給で働いて家賃を払い続ける大人にしかなれない。
そもそもはこの記事についてのnoteを読んで考えた。校則に厳格に従わせろという学校の方針に関しての批判的な記事である。
この問題はいつも起こる、僕が小さい頃も、その後も繰り返される。なぜなのか、そして自由とはなにかを考えたい。
この方針に対してはnoteに記事を書く方々は憤慨するだろう(笑)。
しかし、ちょっと考えてもらいたい。子供を枠にはめたがるのも親である。そして学校行政は、うるさい親の希望に従う。
そこを勘違いすると、まるで役人が勝手に校則を決めているように思っってしまうのだ。僕はそうは思わない。世界は私達を「写す鏡」なのだ。そこに醜い姿が映ると見る人もいれば、まだまだ足りないと見る人もいる。
フィールド・オブ・ドリームス(注)と言う映画
生涯のベストに入る映画だ。映画の中で図書館の蔵書についてのPTA集会が行われるシーンが有る。僕はここを見ると涙が止まらないのだ。
学校をどう運営したいかは、地域を、そして国家を、世界をどうしたいかという問題である。この映画では、PTAの集会があって、戦いが起こるのだ。
コイツラは、地域のボス連中だ。黙って時給で働かせて自分は小金持ちである。社員は、社長や上司、地域のボスの言うとおりに生きるほかない。今の日本のようである。そして私たちの社会の『律』なのだ。
どちらが正しいなどということは誰にもわからない。「黙って時給で働く連中=奴隷」が多いほうが格差の上は嬉しい。問題は深い。けど、僕は自由のほうがいい。きっともっと上がお前らを苦しめるということに気がついていないだけ。
地域でブイブイいわしている部品メーカーが海外に生産を移した大手から仕事干されてご臨終である。新発田にも全国ベースのメーカーが有ったが、販売チェーンにそっぽ向かれて今じゃ工場の跡地にはドラッグストアがっっている。
戦争は、上の連中が黙って言うことを聞けとか、彼奴等をにくめとかいう言葉から始まる。僕は、子どもたちに戦争に行ってもらいたくない。他国からも侵略されたくない。
小さな勝利、映画だから起こること。悲しいが、仕方ない。
2015年に僕はPTAの副会長だったそして校長室でイジメは起こったのだ。
校長は学校にイジメはないと言いたかったのだろうが、どう考えても有ると僕には見えた。その事を議論しようとしたら発言を止めさせられた。
僕は黙っていれなかった。
このペーパーです。すぐ見れるように画像で書き出した。
このときの校長は栄転、PTA会長は市会議員になる。無論、地域のボス連中の子供はイイコイイコで大学行って帰ってきたら親の会社で幹部候補。そういう連中にとってはこの世界は住みやすい。
けどね、今のように際限なく下を苦しめていたらテロで多くの人間が苦しむのだ。これこそが格差の方程式なのだ。
なぜ「今がこうなのか」をいつも考える。おそらく80年前はこうではなかった。そうなるべきか考えねばならない。しかし、格差の上の側の連中はこのままがいいのだ。
やっぱ、デスノートがいるわ。
若い頃、刑務所に入ってしまった人がいる。
今では立派に家を建てて、子供を育てていた。子供が校則に合わない髪型をしていたので校門で捕まり力ずくで水道で洗わされて、家に帰された。中退して、東京で辛い目にあった。親たちは、そのこの親の悪口を言う。学校では子供は親の言うことを聞き、遊ばないようにして、追い詰めていく。教師もあの親の子だと最初からひどい扱いをする。自分お大事な親を傷つけようとする奴らと戦う子供は素晴らしい。そんな奴らと一緒に生きる必要はない。
彼は僕の一番尊敬している親友だ。人はジャンプする高さで価値がわかる。若い頃道を外したかもしれないが、覚せい剤に手を出したり刑務所入ったりしても、彼は飛べたのだ。一番凄い。
僕は自分が駄目になりそうになった時に、彼の頑張りとガッツを思う。
社会には、それぞれに異なった道を歩み生きている人が多いのだ。皆それなりに尊重されて、十分な生活が出来るような社会になってもらいたい。
僕らは公平で自由な社会を実現させるために戦わなければならない。
人を奴隷に使うことは誰もが望むことっだ。制度がいくら立派でも人が社会を作るのだ。今の政治を見れば分かる、民主主義は金持ちに買い占められたのだ。
奴隷でない人生をい起きるには、常に戦わなければならないのだ。もちろん、自分と戦うのだ。
人の集団の「律」と僕は考える。会社でも家庭でも学校でも、人を言いなりにしようとするのだ。それは教育との違いはわからない。パワハラしている上司が悪いのか覚えの悪い部下が悪いのか(笑)。僕は覚えの悪い部下で、今ではパワハラする社長である。
労働争議で1億3千万のストライキをした時の話。
こちらもどうぞ。
注)フィールド・オブ・ドリームス
いい映画だと思う。というか、僕はこの映画を見ていいと思う人の側にいる。当然大嫌いな方々もいる。つまりこの映画の立場を認めると自分が否定される方々である。実社会でも、他人を奴隷にすることでらくする方々なのだ。エイミー・マディガンすごく素敵。彼女が居なかったら成り立たない映画。今見ちゃった(笑)。仕事にならん。
社会は、格差の上と下とで金を争うのだ。文句があるなら俺を殺しに来い(笑)。こちとら人の家に土足で怒鳴り込んだり、警察が来たりの実践武闘派だ(笑)。命なんぞ惜しくない。
髪の毛がチリチリになった経緯はこちら。
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この問題を考えると僕はこの曲を思い出す
槇原さんも歌うのだねえ。地方の小さい子ミュニティのボスが地域を牛耳っている物語である。元は中島みゆきさんの曲であるが、秀逸である。
2016年に母が亡くなった時に、僕は会社を潰せと恫喝された。そいつは父の土地を盗もうとしたのだ。危うく殺そうとした。常に人間関係は他者を奴隷にしようとする。
けどね、「家庭という檻」にも同じことが言えるのだ。父親と母親は子供えを守ろうとして傷つける。
そして親は早く死ぬ。