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角田光代の「紙の月」の感想と僕の犯罪性

タイの首都バンコクから東へ100キロほどの港町シーラチャーに越して来て眺めの良い部屋に住み始め、どれくらい眺めが良いかといえば8階の大きな窓から正面いっぱいに空と海が広がり視界を遮るものは何もなく、と言いたいところだけど残念ながら向かって右手にシーラチャーで一番高いと言っていいだろうホテル兼レジデンスが邪魔をしている。

越してきたばかりの頃は「なんて邪魔なんだ。どうせこの街で一番高いってことをウリのひとつにしてるんだろう。全くどうしょうもねえよなあ」と思っていたのだが、しばらくすると天体望遠鏡で覗いたら、あの建物がどれくらい見えるだろう? と疑問が浮かぶようになった。割と質の良いのを買って、例えば2万バーツとかのでどれくらい見えるのかなって、もっといいやつだと20万バーツとかのもあるけど、そうなるとどれくらい見えるのよ〜!って。あの建物の部屋のひとつひとつで行われていることが具体的に見えちゃったりするのかな、なんて思ったりして。

最近仲良くしてるタイ人女性とその見通しの良い部屋から外の見えるソファに座って「天体望遠鏡買おうと思ってるんだよね。星見るんじゃなくて、あの建物を見るのに」って言ったら笑ってて「で、向こうからも同じように見てる人がいたりしてさ」とか言うとまた笑ってて「それはโรคจิต(ロークジット:精神病)だ」って言ってたな。

ヒッチコックのそんなが映画あったなと思いだし「天体望遠鏡で他人を覗く映画って何がある? ヒッチコックので観た記憶があるんだけど」ってchatgptに聞くと「あなたが記憶している映画は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(Rear Window)である可能性が高いです。1954年に公開されたこの映画は、ヒッチコックの代表作の一つであり、ジェームズ・スチュワートが演じる主人公が足を怪我して自宅に閉じ込められ、暇を持て余して望遠鏡で隣のアパートを覗き見するというストーリーです。覗き見という行為と、それが引き起こすサスペンスや恐怖、そして倫理的な問題を巧みに描いた作品です。ヒッチコックの映画の中でも特に高く評価されており、映画史上に残るクラシックなサスペンス映画として知られています。天体望遠鏡を使って他人を覗くという具体的な描写は直接出てこないかもしれませんが、主人公が使う長焦点レンズを装着したカメラ、これが望遠鏡のような役割を果たしています。『裏窓』があなたが思い出している作品である可能性が高いです。」って回答で「そうそう、これこれ」ってなって。

ある夜、天体望遠鏡のことを思い出して、もちろん年がら年中こんなことを考えてるわけじゃないよ、僕だって。日中は一生懸命仕事してるし、本読んだり、絵描いたり、たまには人と会ったりする良心的な一般市民なんだから。たぶん人より好奇心と想像力がいくらか強いだけ、って実際このくらいのこと考える人なんてごまんといるはずだよな。だから「裏窓」だって評価されたわけでしょう。で、天体望遠鏡のことを思い出した時に、向かいの建物のまだ明かりの灯いてるいくつかの部屋を見て具体的に想像してみたわけ。試しにここから天体望遠鏡で覗いてみたら…って。そしたらあの日タイ人女性に話したみたいにやっぱり向こうからも同じようにイカれたサイコ野郎がこっちを覗いてて、望遠鏡越しに目が合ってニヤッとヤバイ笑いをされちゃってさ、マジでおっかねーなーとか思って、こんな小さな街でこんなとんでもないサイコ野郎にこんな形で自分を知られたんじゃ何されるか分からんなって怖くなちゃってさ。あー怖。想像の話ね。

それにやっぱり犯罪だよなってことで「天体望遠鏡で、周りのホテルやコンドミニアムを覗くのって犯罪?」これもgptに聞くと「天体望遠鏡や双眼鏡などを使用して他人のプライベートな空間を覗き見る行為は、多くの国や地域で違法とされています。具体的には、このような行為は「盗撮」や「プライバシーの侵害」とみなされることがあります。法律は国や地域によって異なりますが、一般的には他人の同意なくしてその人の私生活に侵入することは違法行為とされています。また、特に性的な目的での覗き見は、さらに重い犯罪と見なされることが多いです。撮影を伴う場合には、さらに厳しい処罰の対象となる可能性があります。このような行為は、倫理的にも社会的にも受け入れられないものであり、他人のプライバシーを尊重することが重要です。」やっぱりね。ははは。さらに調べてみると「観察や盗撮は犯罪ですが見るのはOK。観察と見るのは違います。」みたいな屁理屈こねてる奴らもいたけど。

それでこの小説の話だけど、主人公は悪気はなかったようだよね。僕の場合、良くないことかなって思えてるから、まともっちゃあまともなんだよ。ただ天体望遠鏡で人間を覗くってのは結構やってる人いるんじゃないかなあ? たくさんいるから良いってもんじゃあないけど、そもそも星だけ見るために天体望遠鏡買う人がどれだけいるっていうのよ? とは思うよ。ヨドバシカメラのページ見ると天体望遠鏡の会社が20以上もあって、星見るのに使う道具を競って作る会社が20もあるんだぜ。

それにしても小説の冒頭と終わりに出てくる角田光代のチェンマイの表現がいかにもチェンマイを想像させて、やっぱり小説家ってすごいなって感心しました。「バンコク中心街ほど発展も喧騒もなく、町自体も小規模だったが、観光客は多く、長旅の末になんとなく居着いてしまった風情の外国人の姿も多く見られた。林立するホテルとゲストハウス、レストランや土産物屋に挟まれるようにして、町なかにも寺があった。夜には巨大な縁日のようなバザールが開かれ、物売りも観光客も弾けるような光のなかを惚(ほう)けたような顔つきで歩きまわっている。そんななかを、観光するでも買い物をするでもなく、梨花はただ歩いた。」と。僕の観たチェンマイを思い出させたってことだけど。この冒頭の表現が終わり近くで一字一句全く同じ表現でもう一度出てくるんだけど、PULP FICTIONの冒頭でハニー・バニーがテーブルの上に乗って強盗をするシーンがまたあとで出てくるみたいのを文章でもやれるんだって。面白いよね。流石だよ。

あぁ、やっぱり天体望遠鏡で覗いてみたいなあ。いや、他人の部屋じゃなくてもちろん星をだよ。

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