ラーメンの日に思い出したnoteの極意
本日、7月11日は「ラーメンの日」だそうです。
前回、「私がnoteで重視している数字」について述べてみました。
今回は、力を入れた記事が伸びるわけではない、という話にしようと思います。
記事への力の入れ様
前回、私はこう述べました。
これは、所謂「スキ返し」に限った話ではなく、ビュー数、コメント数、スキ数、それらの全てで見られる現象です。
どれだけ力を入れても、それが読まれるわけではないのです。
力を入れずにつくったのに、何故か読まれているなんてこともよくある話です。
ビュー数、スキ数ともに少なくても、良い記事はあるのです。
ラーメン発見伝の芹沢さん
この話、何かと同じだと気づきませんでしたか。
私はハッとしました。
ラーメン発見伝の芹沢達也さんと同じだと。
「たった30分で適当にでっち上げたラーメン」に対して、芹沢さんはこう述べていました。
世の中には適当につくったものが好評であることなんて、いくらでもあるのです。
芹沢さんの場合は、御本人の「濃口らあめん」が「淡口らあめんに適当に脂をぶっ込んだもの」であったことから、強い説得力を持っています。
御本人がどれだけ力を入れていても、こだわりにこだわっていても、関係ないのです。
「淡口らあめん」より「濃口らあめん」のほうが売れているという、現実は変わらないのです。
芹沢さんは悔しい思いをしながらも、経営として受け入れています。
「濃口らあめん」の黒字で、「淡口らあめん」の赤字が補填出来るからです。
「良いものなら売れる」ではない
芹沢さんの経営哲学はこうです。
「良いものなら売れる」ではないのです。
芹沢さんの「淡口らあめん」のように。
かつて私はこう述べています。
noteの極意その1
力を入れた記事、力を入れたテーマに固執、拘泥するよりも、読まれた記事、読まれたテーマで、執筆能力を向上させるほうが、合理的であろうと思います。
その執筆能力の向上によって、元々述べたかったテーマをより良く述べられるならば、十分です。
習作だと思って述べていれば良いでしょう。
習作が本命よりも評価されているなんてことは、絵画や彫刻でもあるわけですから。
全ての創作物に当てはまるものだと思います。
noteの極意は、絶えざる執筆能力の向上です。
向かないと思っていたテーマが向いていることもあるので、試してみると良いでしょう。
noteの極意その2
もう一つ極意があります。
小泉進次郎さんの言葉です。
(小泉進次郎さんは好きではないのですが。)
「進次郎構文」として挙げられていたものです。
同じことを言っているだけ、とされる進次郎構文ですが、この進次郎構文は素晴らしい。
ありとあらゆるものにおける極意だと思います。
noteでもそうなんです。
何事も一回やってみてください。
次にやる時は二回目になりますから。