防災の日は関東大震災の日だが、伊勢湾台風をきっかけに創設された
明日は防災の日です。
関東大震災が、1923年(大正12年)9月1日であったため、戦後の閣議了解で創設されました。
1960年(昭和35年)と1982年(昭和57年)に、閣議了解が為されています。
現行の防災の日は後者に基づくものです。
昭和35年6月17日閣議了解
昭和35年6月17日閣議了解は伊勢湾台風の翌年に為されたものです。
(伊勢湾台風は、1959年9月26日でした。)
防災というと私は震災を思い浮かべるのですが、防災の日の創設は、台風が契機なんですね。
国会図書館にはこうあります。
「台風高潮、津波、地震等」とあります。
筆頭は台風高潮です。
関東大震災が発生した日を、「防災の日」として創設しているというのに、筆頭は地震ではなく、台風高潮なんです。
伊勢湾台風の翌年であったためです。
昭和35年9月1日官報
「防災の日」が閣議了解で創設された年の官報を引用します。
閣議と同様、官報でも筆頭は台風です。
偶然ではあるのですが、閣議了解と官報の翌年、第二室戸台風が来ています。
昭和57年5月11日閣議了解
現在の「防災の日」は昭和57年5月11日閣議了解に基づくものです。
この閣議了解で「防災週間」が創設されました。
(※昭和58年以降、「毎年8月30日から9月5日」と、中央防災会議決定で固定されました。)
内閣府にはこうあります。
「豪雨、豪雪、洪水」が新たに追加されていますが、筆頭は台風です。
防災思想から防災知識になっていますね。
講演会や展示会が具体例に加えられてもいます。
当時と現在では目的が違う
引用していて気づいたことがあります。
昭和35年と昭和58年では目的が違うのです。
災害に対処する心構えを準備するための日から、災害の未然防止と被害の軽減に資するための日に変質しているのです。
これは賛否があろうと思います。
心構えは必要である
国家が国民の思想、心情、内面に介入するのは、望ましいことではありません。
防災思想から防災知識になったのは、思想面への介入にならないようにする、という側面があると思いはします。
心構えを準備させるとは何事か、という側面は、批判を浴びるかもしれないとも思いはします。
しかしながら、です。
心構えは必要なんです。
災害用備蓄等の物質的備え。
柔軟に対処する心理的構え。
両方必要になってきます。
備えを充実強化させるだけでは足りないのです。
防災鞄ごと瓦礫に埋もれることもありますから。
なのに何故か、思想、心情、内面の部分を弱めています。
備えているだけではいけないのです。
東日本大震災の発災時のように、代替交通手段を模索しない、模索できない、帰宅困難者の群れが生じてしまいますから。
備えがなくても「なんとかする」という心構え。
「多分なんとかなる」は「なんとかはならない」という心の緩みの引き締め。
これが必要なはずなのです。
未然防止と被害の軽減に資する?
また、災害の「未然防止と被害の軽減に資する」ため、というのも、良くはありません。
防止と軽減は目標になりはします。
それは創設直後の官報でもそうでした。
けれども、完全には達成できません。
自然災害は、どれだけ備えても完全に防止できるものではないし、激甚被害は生じ得るものです。
どれだけ想定以上の被災状況になったとしても、「対処する心構え」は必要なのです。
伊勢湾台風の翌年に創設された時の当事者意識が薄れてしまっている、とさえ言わざるを得ない、と私は思います。
未然防止ができなくても、どんな被害状況でも、被災生活は続きます。
被災生活を復興生活にするのは被災者なのです。
元々の趣旨に立ち戻ろう
被災時に必要なのは、未然防止出来るようにしておけば良かったという後悔ではありません。
被災時に必要なのは、どれだけ最小限に抑え込むことが出来るか模索することです。
もう一度、官報を引用します。
「災害の未然防止と被害の軽減に資する」よりも具体的かつ適切な表現になっています。
未然防止「と」被害の軽減、ではないのです。
未然防止「あるいは」被害を最小限に止める、が元々の趣旨です。
東日本大震災のような社畜の群れが待機しているようではいけないのです。
電車を待つ。回線を待つ。上司を待つ。
復旧するかもしれないから待つ。
待機で被害を最小限に出来るわけがありません。
「どうすればよいかは、上司の指示を待つこと」なんて、官報には書いていません。
明日は何の日か
明日は何の日か。
「みんなが」です。
「広く国民の一人一人が」です。
もう一度述べます。
被災時に必要なのは、どれだけ最小限に抑え込むことが出来るか模索することです。
最小限に抑え込めなくても構わないから待機だ、という人間は心構えが足りていないのです。
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