お気に入りの服にさあ着替えたなら駆け出して!
有名な歌の歌詞に本記事タイトルがあります。
私が好きな歌の一つです。
かつて、ふと思うことがありました。
「何を着ていようが駆け出せば良い。」
駆け出したいなら駆け出せ、って。
何を着ていようが、駆け出したいならそうしろ、って。
今になって思います。
その頃は、ストレスでひねくれていたんだと。
お気に入りの服に
人生を生きていると、お気に入りの服でない服を着ることがいくらでもあります。
遠く幼い頃から。少年時代にかけては特に。
ものすごくお気に入りの服だったのに、サイズが合わなくなって着れなくなる。
代わりにブカブカの服を我慢して着る。
私は、幼い頃から青年になるまで、そうでした。
私は長男なので、いつも服がブカブカでした。
俺は長男だから我慢出来たけど次男だったら我慢出来なかった。(※言ってみたかっただけ。)
お気に入りの服を着続けることが、出来るようになったのは、青年期になってからです。
さあ着替えたなら
「着替えたなら」とは、お気に入りの服でない服から、お気に入りの服に着替えたということ。
歌詞の人物は、既にお気に入りの服を持っているということです。
そして、それを着ることが出来る。
お気に入りの服が洗濯中ではない人物です。
洗濯を他人に委ねていない。
親が洗濯している少年でない。
嫁が洗濯している老害でない。
歌詞の人物は、きちんとした青年である。
着替えたなら、とはそういうことです。
駆け出して
お気に入りの服にさあ着替えたなら!
着替えてもいないのに駆け出したらどうなるか。
お気に入りでない服で駆け出す、ですね。
極めてコスパが悪い。
洗濯というコスト、極めて小さなコストを他人に委ねてしまっているから、そうなるのです。
パフォーマンスとは何か。
お気に入りの服で駆け出すことです。
我々はお気に入りの服で駆け出すことが出来る。
出来るのです。そうしたいなら出来るのです。
なのに洗濯を委ねるだとか、サボったりだとか、出来ない人間は意外と多い。
(※親や嫁と同居している人には特に。)
お気に入りの服にさあ着替えたなら駆け出して!
素直に受け取って良いんです。
駆け出したいならお気に入りの服で駆け出そう、そういうメッセージなんです。
「着たい服を着たいように着れば良い。」
私は何度でもそう言いたいです。
あきれるほど声をあげて
そして、服に限った話でもないのです。
ペルソナもそうです。
お気に入りのペルソナを纏って駆け出す。
これが望ましい。
人間には色々な側面があります。
時に熱血で、時に温厚で、時に冷酷です。
ありたいペルソナで駆け出せば良いんです。
「本当は言いたくないんだけど」と言う偽善者をたくさん見てきました。
本当に、嫌という程に、たくさん見てきました。
善人のペルソナで駆け出すのが一番です。
どれだけ偽善者であろうとも、悪人のペルソナを一切他人に見せなかったら、善人と呼ばれます。
そういうものです。
お気に入りのペルソナで駆け出す権利は誰にでもあるのです。
大気圏を突破しようぜ
お気に入りの服にさあ着替えたなら。
お気に入りのペルソナをさあ纏ったなら。
駆け出したいなら。
さあ駆け出しましょう。
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