武将は寄贈品を抱きしめて運ばせる
武将の話をもう少しします。
前回は、「良い湯加減だ」以外は言えない話。
今回は、寄贈品を抱きしめて運ばせる話です。
寄贈品を抱きしめて運ばせる
うろ覚えの話が続いてしまいますが、前回読んだ雑誌では、武将の子孫がこう述べていました。
徳川宗家からの寄贈品の皿は、両腕をバツの字にして、抱きしめて運びなさい、と言い続けた。
両腕をバツの字に交差し、抱きしめて運んだら、落とさずに済む。最悪の場合でも骨折で済む。
骨は折れても治るけど、皿が割れてしまったら、御家(オイエ)ごと取り潰しだから。
子孫の方は、こんな感じで仰っていました。
(※うろ覚え)
謎ルールのようで謎ルールでない
前回の話に通ずる話だと思います。
骨よりも御家が大事。
人間が骨折してでも皿を守れとは何事か、という話では無いのです。
徳川宗家からの寄贈品の皿を叩き割ってしまう、というのは、何を意味しかねないか。
徳川宗家なんてこんなふうに叩き割ってくれる、という意思を示した、と取られかねない。
鐘の文字で因縁をつけた徳川宗家は、それほどに恐ろしいものだったのです。
御家ごと取り潰しになり、全滅になるのだけは、絶対に避けたい。
それゆえに、徳川宗家からの寄贈品は抱きしめて運ばせていたのです。
家臣の骨ぐらいだったら、少々折れても良い、という話ではないことが、お分かりいただけたかと思います。
皿を抱きしめさせるのは、家臣を守るため。
これが最重要です。
謎ルールのようで謎ルールでないのです。
当主はフンドシを捨てられない
徳川宗家だったか、御三家だったか、もう忘れてしまったのですが、徳川家の御当主はフンドシを捨てられない、というのもありました。
徳川家康の愛用品は、幾つも現存しており、その中で要らないものだけが、当主の自宅にある。
要るものは、美術館や博物館に寄贈してしまっているから、要らないものしか残っていない。
神君家康公のフンドシは、箱に入れられており、「御大切 放ってはならぬ」と書かれている。
子孫からすれば、有名な先祖のものであろうと、所詮は下着だから要らない。捨ててしまいたい。
子孫の心理的な動きを予測してあるかのように、「御大切 放ってはならぬ」と書き残している。
フンドシを何故残さないといけないのか、と思いながらも、代々残しているのが面白いですね。
フンドシの保存については、寄贈品の皿の運び方とは違って、謎ルールではありますけれども。