この空にどんな言葉を浮かべよう
✒︎✒︎10/7追記✒︎✒︎
このnoteからもうすぐ2か月。808人から選ばれた42人の人生が20通りの喜怒哀楽爆発劇になり、10/17.18の「ルーツ」第1回公演に向け絶賛稽古中‼︎
今井雅子は10/18(日)の「秋」チーム(15:00-17:00)「運命のテンテキ」と「冬」チーム(18:00-20:00)「私じゃダメですか?」に脚本で参加。
10/18(日)上演・上映の10作品を見られる生配信観劇チケット2000円。
全作品見られる10/17.18通し生配信観劇チケット3000円。
新宿サンモールスタジオでの観劇チケット(各チーム3000円)も。
✒︎✒︎10/7追記終わり✒︎✒︎
脚本家として関わっているユニバーサル・オーディション「ルーツ」が8/10に応募締切を迎えた。「ぎりぎりまで迷っている人、今からその気になった人も受け止めたい」と、23:59までとなっていた期限をカウントダウン生配信の最中に25:30までに延長。「期限をちゃんと守った人、間に合わないのではと慌てた人に申し訳ないのでは?」「でも、縁を感じてくれた一人でも多くの人と出会いたい」。そんな進行形の舞台裏の議論もオープンにしてしまうところが「ルーツ」。
やっぱり開拓型オーディションだなと思う。きれいに整えてパッケージにされた形じゃなくて、あっちに広げたり、こっちに転がったり。何をしたいか、どうしたいか。そのとき、そのとき、今大事なことを主張しあって、進む方向を決めていく。「ルーツ」にレールはない。
記憶と回文が掘り起こされた
応募の呼びかけも好き好きに、思い思いにやった。わたしはnoteを二つ書いた。
✒︎あなたの役をあなたと作るユニバーサル・オーディション「ルーツ」(第1回生配信を視聴して、他のオーディションと何が違うのか、どんな楽しみが待ち受けているのか、気づいたこと)
✒︎人生はオーディションの連続だ(第2回生配信に参加して、受験や就職の面接もオーディションだなと感じたり、広告代理店時代を思い出したり)
「ルーツ」は記憶を掘り起こすシャベルだ。
脚本家になるまでのこと。脚本家になってからのこと。過去の出来事、そのときの気持ちが連想ゲームのように手繰り寄せられる。
そのシャベルは、昔のわたしだけでなく、新しいわたしも掘り下げる。
最近はまっているフォト回文を「ルーツ」に寄せて作ってみた。
回る文と書いて回文。真ん中(太字)で折り返すと、上から読んでも下から読んでも同じになる。濁音や「っ」「ゃ」「ゅ」「ょ」は同じと見なす大らかルール。
コンクールは「ドア」のようなものだとnote「キナリ杯というドア」に書いた。オーディションもそう。「ルーツ」というドアを叩いて、なんなら蹴破って靴の跡でも残して欲しい。回文にするための強引さゆえのやや乱暴なエール。
ひと花咲かせたいという人の背中を押したくて、「名もなき花」を入れた回文も作ってみた。
写真のモデルになった紫の花には日々草という名前があるのだけど、「わたしはまだ何者でもありません。キナモナと呼ばれることもあり、残念です。ちゃんと名前を呼ばれるようになりたい」と思っているかもしれない。
勝手にカウントダウン回文
8/10応募締め切りの5日前からは、カウントダウン回文を毎日作った。
仲間同士の会話。「いかついと暑い」が苦しい。暑苦しい顔だなとエントリーフォーム見て本人がブツブツ言っているのか、まわりが突っ込んでいるのか。
オーディションだから結果の勝ち負けはあるけど、一歩踏み出した時点で今の自分に勝ってる。あの子も、あなたも。
ルーツのサイト見ながら「どうする?」と相談している二人を想像。出しちゃえ‼︎
でも、これ、回文になってない、と今気づいた。「だそうか」のところ、下から読むと「だうそか」に。
カップの後ろにワイヤーの椅子ひとつ。オーディションにエントリーして、椅子取りに来て。というか、この椅子と何する?が「ルーツ」。
いろんなことが塞がれた2020年。
「私あり」を刻む場所がここに、の気持ちを込めて。
最終日のカウントダウン回文は、わたしが回文にはまるきっかけをくれた回文家のコジヤジコさんがTwitterに投稿された回文「つながる予感。なんか夜が、夏。」(つながるよかんなんかよるがなつ)に閃きというか頭としっぽをいただいた。
「夏は(回文が)つながりがち」とコジヤジコさん。「つながるか、夏」「つながるか、受かるか、夏」も回文。
無限から「ひとつ」を選ぶ
最終の応募数は近々「ルーツ」公式Twitterで発表される予定。うれしい悲鳴が上がる数が集まったが、それ以上に圧倒的な熱量が寄せられているらしい。
これからワークショップを受ける100人を選び、10月に配信上演する短編演劇を一緒に作るメンバーを絞り込む。
この先、いくつもの「選ぶ」が繰り返される。どの脚本家、どの演出家と、どの演者を組み合わせるか。どのエピソードを膨らませるのか。どんなセリフで紡ぐのか。どんな動きをするのか。どんな音をつけるのか。
決めるべきことは無数にあり、選択肢は無限にある。何を選ぶか、どう組み合わせるか、そこに作り手の色が出る。
たとえば、雨をはらんだ重い雲が垂れ込めた空に、「流れかな。」を浮かべてみる。
仕方ないのかな。諦めるしかないのかな。ため息のようにこぼれる「流れかな」。つぶやきの主は、きっと視線を落としている。
同じ空に「空、晴らそ。」を浮かべると、逆境をはね返すぞという決意が宿る。視線も顔も上げて、空に誓っているセリフの主の姿が思い浮かぶ。
同じ回文でもどんな空に浮かべるかで印象は変わるし、同じ写真に浮かべる回文を変えると、写真の意味合いが変わる。たった5文字でも。
空は「くう」であり「から」であり「あ(き)」でもある。
「ルーツ」は、未開拓の空だ。
この空にどんな言葉を浮かべよう。
clubhouse朗読をreplayで
2024.2.18 鈴蘭さん