「みんなと違う」はヘタクソじゃない
スーパーへ買い出しに行った帰り道。食料で膨らんだ買い物袋を持たされた娘が「ママが持ってよ」と訴えるので、「片方ずつ持とっか」と手を伸ばしたら、「イヤだよそんなさくらんぼみたいなの」と渋られた。
「さくらんぼ?」
少し考えて、「買い物袋から伸びる腕二本を枝に見立ててるわけね」と合点し、「下から枝分かれしたら、さくらんぼと逆じゃない?」と突っ込むと、「みんながそっち上に描いてるだけでしょ」と言い返された。
まあ確かにね。重力に従うと、実のついているほうが下で、下に向かって枝分かれするあのカタチになるけど、逆立ちしているさくらんぼがあったっていい。絵の中なら実は落っこちない。
歩道の植え込みの紫陽花が咲き始めている。この季節になると思い出す出来事がある。
あじさいヘタクソ事件
「今日ね、ママに見せたくないもの、もってかえってきた」
小学2年生だった娘が夕食を終えて、ポツリと言った。
「見せたくないものって何?」
健康診断で引っかかった?
書き取りでしくじった?
連絡帳に何か書かれてる?
想像を巡らせていると、「これ」と画用紙を差し出された。図工の時間に描いたという紫陽花の絵だった。
「よく描けてるよ。どうして見せたくなかったの?」と聞いた。
「へたくそだって言われた。わたしのえは、みんなとちがうんだって」
クラスの子から「なにそのきたないいろ?」「そんなあじさい、さいてないよ」という反応があったという。
ほんとにそう言われたかどうかは、わからない。「変わった色だね」と言われたのを悪意に受け止めて、絵を否定されたと感じたのかもしれない。
でも、娘は、「わたしのえは、へたくそなんだ」と、しょげていた。
クラスのみんなは明るいきれいな色の花びらを描いた。ああいう色にしなきゃダメだったんだ…と。
「これで絵を描くのが嫌いになっちゃ、やだ」と咄嗟に思った。
わたしが襖に黒板塗料を塗って作った黒板に、娘は毎日のように絵を描いていた。黒板消しがすぐにチョークだらけになるので、チョークの粉を吸い込む「ウィンウィン」(と呼ぶ人は関西人に多い)も買った。
みんなと同じじゃなきゃダメ、なんて萎縮するのはまだ早い。みんなと違うことに自信を持って欲しい。誰が何と言おうと、「わたしはこれがいいの」と言える強さを。
でも、それは親が吹き込んで身につくものじゃない。自信は、自分の中から自分で引き出すしかない。
そんなときは、「なんで?」と「そんで?」。
「どうやって、この色をつくったの?」と聞いてみると、「青に赤を少しずつまぜて…」と言う。
「自分が見た紫陽花の色に近づけようと思ったの?」
「うん」
「近づいた?」
「ちょっとちがうけど、にてる」
「じゃあ、こんな色の紫陽花は咲いてたわけだ。自分が見た紫陽花の色を描いたんだよね?」
「うん」
「なんで?」この絵が生まれたのか聞けた。
「そんで?」この絵をどう思っているのか聞いてみる。
「この絵を描いてるとき楽しかった?」
「うん」
「じゃあ、この絵、好き?」
「うん」
「ママも好き。こんな微妙な紫色、真似したくても作れないよ。だから、同じ色の紫陽花の子はいなかったんだね。それってすごいことだよ」
「うん」
「なんで?」と「そんで?」でほぐしていくうち、「ママに見せたくない」は「この絵、好き」に変わった。
あなたにはあなたの色がある
あじさいヘタクソ事件のことをfacebookで報告した。友人たちならどうしただろう。どう思うだろう。反応を知りたかった。娘が自分から「ママに見せたくないもの」の話を持ち出したのも、感想を聞きたかったのかもしれない。
励ましも込めて、「こんな色の紫陽花あり!」と肯定するコメントが寄せられた。
紫陽花をよく観察していることに感心してくれたり、懐かしい紫陽花を思い出してくれたり。独特の色遣いをほめてくれた人も多かった。
広告代理店時代の先輩アートディレクターは、
と書いてくれた。
と書いてくれた友人は小学校の先生。娘に「先生はなんて言ってたの?」と聞いてみると、「工夫して色を作ってますね」と言ってくれたらしい。ちゃんとほめてくれてるじゃないか。
子どもが「みんなと同じ色」を描こうとしてしまう傾向についてのコメントも寄せられた。
たくさんのコメントから浮かび上がってきたのは、「みんなと同じじゃなくていい」というメッセージ。
そんなエールも寄せられた。
「みんなと違う」はヘタクソじゃない。ほめ言葉だ!
そういえば、わたしの脚本デビュー映画『パコダテ人』(2002年公開。前田哲監督)の中で、シッポが生えてきた高校生の娘に、マイペースな母親が言っている。
「個性的って、いいことじゃない♪」
『パコダテ人』のキャッチコピーは「ハッピーが生えてきた」。
わたしに多大な影響を与えてくれた中学一年のときの担任の吉田恵子先生は、美術の先生だった。「今井には今井の色がある」とわたしの絵を面白がってくれた。「うまい」と言われたことはなかったと思う。
「あなたにはあなたの色がある」
そう言ってくれる人がいるだけで、「人とは違う自分」にリボンをかけてもらえる。
友人たちから寄せられた感想は、娘の色に、色とりどりのリボンをかけてくれた。
自分を大切にできると他人も大切にできる
子どものときに大人(とくに親)にかけられる言葉について、コメントを寄せてくれた人もいた。
と習い事を思い出した人。
と書いてくれた島袋千栄さんは絵本『わにのだんす』(ENBOOKS)でご一緒したイラストレーター。
という縫い絵作家で映像作家の大島亜佐子さんのコメントを読んで、自分が「好き」って思ったものを大好きな人と一緒にいいねって分かち合いたい気持ちが表現の原点なのかなと思った。
「ねえ見て、こんなのかいたよ、できたよ」
その作品を最初に見せるのは身近な家族、とくに親。いいねと言われたうれしさが次の作品を作っていく力になる。相手が親から学校の先生や同級生、そして見知らぬどこかの誰かに広がっても、根っこには、最初に言われた「いいね」がある。
手仕事の心地よいあたたかみが宿る大島亜佐子さんの世界はこちら。
と子育てを振り返るコメントもあった。
その年の12月、大阪市内の小中学校合同の人権講演会で話す機会があった。
学校での講演を依頼されるとき、「他尊」の気持ちを高めるお話をとよく言われる。「自尊」と対になる言葉だ。自分を大切にできると、他人も大切にできる。
「みんな違って面白い」と講演のタイトルをつけ、あじさいヘタクソ事件の話をした。
後日届いた感想の中で、小学生の男の子が「もし自分の弟に同じことが起きたら、『なんで?』じゃなくて『だれにヘタクソて言われたんや?』となったと思う。でも、弟を悲しませた相手をこらしめるのではなく、弟の絵をほめればいいんだと気づいた」といったことを書いてくれていた。
部屋のどこかに眠っている感想を掘り出して記憶と答え合わせしたいが、「誰に?」を引き合いに出してくれたことで、「なんで?」「そんで?」が寄り添って問題を掘り下げ、「好き」や「大丈夫」を引き出す言葉なのだとわたしも気づくことができた。
それからも度々、講演のネタにしている。2018年5月、大阪市立校園PTA役員・委員研修会の分科会にて《石ころを宝石に〜「なんで?」と「そんで?」で光らせる》と題して講演したときは、映画館のスクリーンのような大画面に紫陽花の絵を映していただいた。
「ヘタクソ」の元は十分に取った。
facebookでの反響も続いた。
あじさいヘタクソ事件から数年後、近所の花屋の店先で目に留まった紫陽花を買い求めた。紫色のグラデーションがきれいで、娘が描いた紫陽花を鮮やかにしたらこんな感じかなと思った。
日が経つと、どんどん娘の描いた紫陽花の色に近づいた。
次の年も紫陽花は鮮やかな紫から渋みのある紫に変わり、ヘタクソ事件を思い出させてくれた。
この紫陽花を娘が大人になるまで大事に育てて、結婚式でスピーチのネタにさせてもらおう。
と思っていたら、枯れてしまった。ごめんよ。
さらに数年経ち、「自分らしさをテーマにした人権標語」の宿題を出された娘が、提出日の朝に「思いつかないからヒントちょうだい!」と言ってきた。
「ママの中学校の先生は、あなたにはあなたの色があるって言ってくれたよ」と吉田先生の話をして、「金子みすゞの『みんな違ってみんないい』って言葉があるけど、あなたの色もわたしの色もいいねって認め合うのが人権を大事にするってこと」と続けた。
「ほら、あじさいヘタクソ事件。あったでしょ?」
「覚えてない」
拍子抜けした。
わたしは講演で何度も話して記憶が更新され続けているけれど、娘にとってはそんなものなのか。
宿題の人権標語は「誰にでもそれぞれ違った色がある」と書いたらしい。
それからさらに時は流れた。道端の紫陽花を見ても、娘は何も思い出さないが、今も絵を描くのは大好きだ。
clubhouse朗読をreplayで
2022.2.8 宮村麻未さん
2022.3.4 宮村麻未さん
2022.4.19 宮村麻未さん
2022.5.15 宮村麻未さん
2022.6.20 宮村麻未さん
2022.10.26 宮村麻未さん
2022.11.20 宮村麻未さん
2023.2.19 宮村麻未さん(「イジラとクルカ」朗読も)
2023.3.21 宮村麻未さん
2023.4.18 宮村麻未さん
2023.5.14 宮村麻未さん
2023.6.23 宮村麻未さん
2023.10.30 宮村麻未さん
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。