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ワーママ✕マネージャーやってみて気付いた管理職と子育ての相性
管理職になりたくないという人が増えている話は数年前からニュースでよく耳にしますよね。
特に女性活躍、女性の管理職割合を増やそうという取組みを国を挙げて行うほどに、女性の管理職割合の少なさは他国に比べても低く、昔からジェンダーギャップの問題になっています。
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これって、給料が上がらないのに残業と責任だけ増えるという、先人たちの愚痴が蓄積した結果ですよね…。
だって、管理職の人がみんなHAPPYに働いてて、管理職オススメだよ~♪って言ってたら、管理職ええやーんてなるはずだもん。笑
かくいう私は産休の数年前に俗に言う管理職に就き、育休後も同じポジションで復帰しており、日々仕事と育児に挟まれてウンウン言ってはいるのですが、
先日そっこそっこさんの記事を読んで、そうそう、管理職って案外悪くないよ!と思ったので
私が感じる管理職と子育ての相性と課題を書いてみました。
会社に文句があるなら管理職ってぴったりよ
独身時代から、会社に不満たらたらだった私は、まさに管理職向きだったと思います。
だって平社員だと「ただの文句」が、役職ついたら「組織のための改善案」になるんです。笑
もちろん提案する裏打ちや体裁は整えますが、自分の不満を解決する一番手っ取り早い方法は自分たちに都合よくルールを変えること。
退職率改善や働き方改革の名目で融通が効く前例を作ったり、自分がどんどん休みを取ることでメンバーも取りやすくなったり、草の根運動で変えられるところもある。
ただ、草の根すら張れないようであれば、その会社でいいのか?というのを考えて、転職を検討したりしました。
育児と管理職って結構似てる
管理職=マネジメントのミッションは「組織」を成長させること、「社員」を成長させること、だと思ってます。
これね、ワーママのみなさん、日頃やってます。笑
先日会社の役員と話していた際に、育児書とマネジメントの本は書いてあることが本質的に一緒、という話で盛り上がりまして、
本当にその通りなんですよ。詳細は別で書こうかと思いますが、人を育てるというミッションの極意は一緒。
だから育児にしっかり向き合ってる人は管理職経験者だと思う。
管理職の方がぶっちゃけ気楽?
子どもがイヤイヤ最盛期の身から言うと、正直、仕事の方が気楽です。
会話が通じることが多いし、通じないとんでも社員がいても、その人が周囲に嫌われても、給料が下がっても、退職しても別に私個人には全く影響ないですもん。(管理職としてどう評価されるかは置いといて)
子どもはちゃんと生きていけるように育てる責任を親は負っているけど、部下は所詮他人。
部下一人ひとりのキャリアや得意不得意をどうしたら伸ばせるか、この子にどうしたら分かってもらえるか…と胃痛がする程悩んだこともあったのですが、今はもう、そこは本人の領域だなと思うようにしました。
相手を直す、という考えもやめて、指摘して無理ならそのままでも業務が回る方法を考えます。
もちろんメンバーは好きだし、マネジメントには注力してるつもりですが、自分と他者を混同せずに考えられるようになりました。
管理職はタイパが悪いのか?
管理職になったら残業も責任も増えるのに給料は増えない問題。
これ、管理職のタイパが悪いんじゃなくてその会社が悪い!・・・ですよね?
管理職にだけしわ寄せが来ていてもそのまま待遇を改善せず、労働環境も改善されてないなという会社はきっと淘汰されていく。平社員だろうが管理職だろうが、その会社は長く働く会社じゃない。
よし、みんなで転職しよう。笑
というのは極論ですが、管理職になりたくない、だから平社員しか選択肢がない、と決めつけず、自分の理想の働き方を模索して新しい管理職像を作っていこうよ、と思ったりしています。
もちろんめちゃくちゃ理想論なんですけどね。
子育てと仕事を両立するには、人間、時間が足りなすぎる。
子育てがない人が管理職になっただけでも時間不足なのに、その上に子育てのアドオンなんて無理すぎる。
それはそうなんだけど、会社員として上がっていくのに管理職って絶対出てくるし、ポジションとしては大事だと思ってます。
個人的には管理職って育児者と「仕事の」親和性は高いと思うので
「時間の」親和性が上がるように、密度の濃いマネージャーになりたいなぁと、無能ながら日々奔走しています。