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統合失調症体験記(⚠️幻覚や妄想が酷かった時に書いた為、支離滅裂です⚠️)

⚠️注意⚠️

※この記事は私の持病である統合失調症になった時の体験が、ものすごく妄想幻覚などで調子が悪くなったときによって書かれています。

順不同で加筆、訂正を時々加えてはいるが、
狂った箇所、脈絡が途絶えている場所はあるかもしれないが、これはこれで面白いと思いある程度このままでブログにあげようと思う。

調子が悪い時は、自己に固執していることがわかるが、私の病気による歪み、弱さが誰かの次に進むための「一歩」、私の次に進むための一歩、それが思いがけぬなにかに繋がると信じ、ここにありのまま私の思考過程を記そうと思う。もともとKindleとして出版するつもりだったが、やり方がよくわからなかったので、やらないよりはいい!ということでとりあえずブログにすることにした。
なので長いです。

⚠️


統合失調症という箱(統合失調症体験記)

変わらざるなにかを追い続けたい。

俺にとって変わらざるものとは、神であり、真実だ。
真実のために死にたい。
そして私にとっての真実とは、愛だ。
それは深遠かつ永遠なる「なにか」から生成発展しやがて死に絶える。
それはまるで川がどんなに分かれても、やがて大いなる海を目指して再開し、そしてそれらは気化し雨となる。

そしてそれはまた山に還ってゆくその循環、そのような大きな流れとしてのエネルギーの循環の過程、それが愛なのだ。

そして愛とは、行動の一面として言えば自己を忘れてしまうほど、他者や何かの価値観に自己を捧げ尽くすことだ。

ところで最近は自分探しというものが流行っている。
私から言わせれば自分なんてものは、ない。

最近巷で言うところの自分らしきものや、夢などは他者との比較から生み出された自我の歪みのようなものだ。
この本にも私の自我や宿命によって刻まれた歪みが、あちこちに刻まれている。

人生とは歪み、汚れていく過程だ。
だからこそ人間は何によって歪み、何によっていかに悩み、いかに汚れるかが大切になってくる。

そして逆説的だが人は自己をなくすことで、
使命や幸福感を得て、初めて「自己らしきもの」が浮き彫りになる。

だから人の五感は基本的に外の情報を得るためにできている。
そして人間とは文字の如く「人の間」と書くように、なにか社会的な価値観を追求することで、初めて人間となる。

それを追わない人間は豚のような家畜としての生であり、ホモサピエンスとしての「ヒト」ではあるが、それを人間として呼べるかは甚だ疑問である。
人間とは、来たるべき存在なのだ。

いま、ここ、目の前の連続を、忘我の瞬間で埋め尽くすことだけを考えている。

そのための決意である足跡を、この祈りを家族や愛する人のために捧げる。
そのために渇く。
そのために苦しむ。
そのために読書をする。
そのために生き、そのために死ぬ。

契約の箱


全てがうつろいゆく中、5年前
俺は今みたいに「聖書」に頼っていた時期があった。
そして部屋のカーテンの隙間から強い太陽の直射日光が俺にかく語った。

「あなたは契約をした時、同等のレベルの『箱』に入れられる」

そしてその時不思議なざわめきを心に感じ、
開いた聖書の中には何百年と生きた人々の名前が記されていた。
ぐっさん、やーさん、まさやん...と言った具合で。
確かそこには俺の名前と思しき名前もあって、
986年位(1000年いかないくらい)生きることになっていた。
そのあと気を失ったのか、あまり覚えていないが、それを読んでいる時は黒いものがたくさん見えた。
それが2019年の2月の頭くらいだったと思う。

そのあとも宗教関連を中心とした強い妄想があって、2019年の2月16日に成増厚生中央病院の閉鎖病棟に入所した。
そして俺は晴れて「キチガイ」の箱に入った。

現在、2024年8月にこれを書こうと思ったのは、
数ヶ月前までオーストラリアという「箱」でシェフとして就職するつもりだったが、前の時みたい5月ごろからにまた世界が俺を中心に回り出したからだ。
そしてまた、全てを失った。

正確に言えばオーストラリアの「精神病棟」という「箱」に舞い戻った。

この人生には、どんな意味があるのだろうかと思う。

ケルビム 回る剣 黒い回る剣
お前は何を守っていて、俺に何を期待する

ケルビム 地下の壁を背後に 回る短剣
人生は、俺に何を求める?

新しく買ったこのノートに俺の、
「事実」を書き連ねる。
安物のノートだからか、新品特有の変なゲロのような匂いがする。
俺の人生もそんな匂いがするのだろうか。

時に俺の世界は全てが移ろいゆく。
だからこそ俺は「動かざる何か」を追い求めて生きている。それは先ほど書いたように2019年2月頃に「成増厚生中央病院の閉鎖病棟」という「箱」に入れらる少し前である2018年11月16日位、つまり最初にひととおり「聖書」を読み終えた位の時だったと記憶する。

それは自分の中で一つのきっかけがあった。
その時の俺の状況としては、父の中華料理店でマネージャーとして働いていたが、売り上げも伸ばすこともできず、鳴かず飛ばずだった。
ハッピーアワーなど作ったが客足も伸びなかった。
そしてその時、世界の全てに対して、

「なぜみんな幸せになりたいのに、なれないのか?」
「なぜうちの親父や俺は、ずーっと働きづめなのに借金があったり、両親の喧嘩が絶えないんだ。」みたいな感覚がずっとあった。
俺はみんな「ことば」が足りてないだけだと思った。
各々の深い思いを繋ぐための「ことば」だ。
だからいろんな書物に言葉を求めた。

で、俺が2ヶ月くらいかけて聖書を読み終えたのは、2018年の11月17日ごろに確か読み終わったかなあ。
やっぱり、好きだから。
日付とかも覚えてるんだよね、なんとなくは。
でそのあと、バッターーーーーーン!!!!!ってトイレの前で倒れたんだよ。
2018年の12月の中頃だったと思う。

それは、俺はあることを決心した直後だった。

まず、自問したんだよ。
俺は人生において、「本当に」何をしたいのか?

そして俺はこう考えた。

「俺は人生においてなにをしたい?
愛する人と暮らしたい。
それは愛されたいのか?違う、それだけじゃない、愛したいのか?それだけじゃない、ああそうだ、俺は愛になる、俺はそれがいい、
俺は、愛になる!」

って。本当にすごく強い「脳力」で、「念った」んだよ、それを。
その時、何か変な雰囲気というか、
そんなのもがその空間に漂っていたかもしれない。
今までに、ないくらいの念力というか、
「祈る」力というか。
こんなに人間強く祈れるのか?ていう、
「それ」は人生で一番強く「何か」を「念じた」時だった。
一つのことに、まるで虫眼鏡で太陽の光を集めたら火が出るみたいに、「人はこんなに強く何かを想えるのか?」ってくらいの力で、
それに焦点を当てたような「感覚」だった。
そうしたらめちゃめちゃすごいめまいの感覚というか、そんな感じがしてそれで倒れた。

その時あたりから黒い塊やカケラのようなものが、ちょくちょく視界の中で騒ぎ出した。

さっきの回る剣(ケルビム)も、そのうちの一つだった。
そしてどこにいる時も、周りに変な人たちが張り付くように感じる時も多くなった。
そして被害妄想なのか、現実なのかもわからないような状態になっていった。
俺の現実に夢が割り込んできたのは、
そこから始まったんだよ。

「もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。」

(
聖書より『コリント人への第二の手紙』 513)


第二章 「お前が本当に信じたことは、「絶対に」叶う」

これは病気の時に俺の感覚を持って、直感したことだ。
直感だからそれ以上の説明はない。
だから問題は、その祈りが「正しい」ものであるかどうか、
そしてそうであればその願いをどう自己の意識下に置くか、そしていかにそれを常に意識し続けるか?
またそういった環境をいかに自分で作り出すか?ということが重要になってくる。

今にして思う俺の「祈り」の最大の誤謬は、
人は「愛」という概念そのものにはなれないということだ。
人は肉体的な繋がりである横軸と、
魂的な存在を求める縦軸との間に、
葛藤して生きる。

「愛のある社会を実現する」
「愛を持って身の回りの人に接する」
そういったことは多分できるだろう。
だが俺は本気で「愛」そのものに人の身でなろうとした。
そしてそのバランスの歪みから、
俺の地獄のような夢の狭間は始まったのかもしれない。
それはすでに、その望みは既にして「この世」の事柄を超越しているのだろう。

そう言えばベルセルクの中でグリフィスというキャラクターがいた。
彼は中世という時代において低い身分でありながら、自分の国を作るという夢に追われた人物だった。
そして彼は「蝕」という非現実、絶対に避けられぬ「死」の運命の中で彼の兵隊である
「鷹の団」を生贄にしたことで、それは成った。
彼は「渇望の王」としてゴッドハンドの1人になった。

俺の望みもまた、それは「現実」を超越したものだったのかもしれない。

だが今の俺はただグリフィスと対立した「ベルセルク」の主人公であるガッツの如く、ただ「目の前」のことを、日々剣を振る武士の如くこなし、それを「よし」として生きたい。

「今、ここ、目の前」を今あることへの感謝と、「愛する人たち」と「愛のある」日々を送るための祈りの中で生きている。

入院までの流れ

それでその結果、忘れもしない2019年2月17日に成増厚生中央病院に救急車で運ばれて、入所した。
実際成増厚生中央病院の前にどこかの病院に行ったんだけど、あんまりにも俺の症状が酷くて。(笑)

日本で知事の認可で「強制入院」って形で病院に入る結構珍しい(年間百名くらい、
つまりかなりひどい状態)で入院したんだっけかなぁ。あの時は。

ひどくてね、被害妄想とか誇大妄想とか、色々全てぐちゃぐちゃで。
でもその入院するまでに俺は、見たんだよ。
黒いものもそうだし入院する直前、
人の形をしたそれを超えたものというか、
まあ姿形は言ってしまえば、その時はただのおばあさんだったんだけど。
俺は少なくとも神聖な何か「精霊」のような
「雰囲気」を、彼女に感じたんだ。
今みたいに居場所がなくなってる俺だった、
その時も。
俺はその時色々あって、死の淵にいた。
そして、地元の近くにしては珍しい目黒区の大きな公園で項垂れていた。

その時、そのおばあさんは

「そこにいたおじさんが、これをあなたにって。」

と言って黒い女性物の手袋をくれた。
あと少しのお金(5000円だった、そのあとすぐに入院して甘いものを食べるために、すぐにそのお金も使い果たしてしまった。)
その時の温もりは今でも俺の心に残っている。
その温情と手袋、そしてその「赤誠」は、
今でも、俺の心の中に生き続けている。

人間、本当の本当の辛い時残っているのは、
そのギリギリを支えてくれるのは、
各人各々にとっての、過去の本当に美しかった「思い出」だと思う。
小さかった時の、「あの夏」の思い出のようなものだ。
クワガタとかカブトムシを取りに行った、あの「馬鹿らしく」て、「可愛げ」のある、夏だ。

そして俺の心は身体的には孤独である時期は、
とても長い方だと思うが、本当の意味で俺の心は「孤独」ではなかった。
過去の本や、叡智、宗教などが、俺を支えてくれている者達が、心の中には本当の意味で、ずっといてくれた。
そして今もそれらは俺の中にいてくれている。

でも他の同級生や周りの人は就職して、
結婚して、子供を産んで、「フツウ」の幸せを見つけていった。
スポーツをみて、友達と飲み会をして、それで「満足」していった。

俺はその仮初の、「幸せ」じゃあ、まだ満足しきれなかった。
そんなの、本当の幸せじゃないよって、ずっと思って生きていた。

だから俺は「フツウ」じゃなくて、「イジョウ」になった。
「統合失調症」という、頭がおかしな「ビョウキ」になった。

むしろ、俺は当たり前の家族や、自然やそう言ったものだけで十分すでにして、「幸せ」だった。だから何もそれ以上、そもそも要らなかった。
昔からなんでも、人にあげてしまった。
お金を貯めたり欲を持った方がいいと、
言われた時もあった。
でも他の人に比べて、俺にはその心がもうあまり残っていないような気がする。
いい意味でも、悪い意味でも。
それは捉える人によって解釈は変わるだろう。

アブラゼミの鳴き声が聞こえる。
病状が悪い時は「死ね死ね死ね死ね」と聞こえるが、
それは俺の人生を歩むための勇気を、
「行け行け行け行け」と叫んでいるんだ、
鼓舞してくれているんだ と俺自身に、
言い聞かせる。

雲に悩みを相談してみても、
それは悠々と、ただそこに真っ白とあるのみだ。そして人の生き方も実はシンプルで、
かくあるべきなのかもしれない。

今し見よ 白き雲こそ 
忘らるる
我が美しの 歌に聴く 
かそけき響き ま青なる
空のかなたに 我をいざなえ

さすらえる この悲しみと 
喜びを
我が身に抱きて 草枕
旅路の果てを 見つむれば
雲の心を 我も掴まむ

ふるさとを 発ちてさすらう
雲の如 
染まず漂う 陽も海も 
また風すらも さにつらう
妹なね薫る 天の羽衣

(
雲 ヘルマンヘッセ 執行草舟"友よ"より、訳文引用)

人生落ちたと思ったら、そこが大地かもしれないよ。

人生とは誰しもが、気づいたら良くわからない真っ暗闇の中、平均台の上に立たされている。

そしてみんなよくわからないながらも、そこ。歩くようなものだ。

それは互いに見えているようで、
「正しい」らしき土台の上を各個人が歩いている。
だが本質的に人は、一人で生きてゆくしかない。

しかしその落ちた先は地面つまりは大地という名の、自由が広がっているのかもしれない。

特に病状がひどい時など。自他の境界線が、
ほぼない。
それは周りの人からするとそれはある意味
「気が違う」状態なのかもしれない。
だからなのか、周りはどんどん結婚して、
子供を産んで、家族を作って一般的にいうところの普通の「幸せ」を得ていった。
でも俺は俺なりに幸せではあったし、
今も本当にそうだと、最近は特に感じる。

《原詩:ある無名兵士の詩》

大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに謙虚を学ぶようにと 弱さを授かった。
偉大なことができるように健康を求めたのにより良きことをするようにと 病気をたまわった

幸せになろうと富を求めたのに賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに得意にならないようにと 失敗を授かった
人生を楽しもうとして あらゆるものを求めたのにあらゆることを喜べるようにと 命を授かった
求められたものはひとつとして与えられなかったが願いはすべて聞き届けられた神の意にそわぬものであるにもかかわらず心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた私はあらゆる人の中で、
最も豊かに祝福されたのだ

だが同時に彼らとの溝はどんどん深まっていったのも、確かだ。

俺はずーっと馬鹿だったのかもしれないし、
今も本当に馬鹿だと思う。
その溝を埋めるために、本を読みまくって、
結局溝を深めていった。
でもやっぱりかっこ悪くても、
人として俺も生きたい。
情けないことがいっぱいあるが、
一つ一つできる事をするしかない。

最近特に自我の枠が薄い。
故に一番大切な人たちを気付かぬうちに、
傷つけてしまうことがある。
それが自分のことながら情けなく、悔しい。
そういったことを悔い改めようと思っているが、中々に自分を変えることは難しいのが
正直なところだ。
どこか都会のような人の目が多い場所でなくて、自然の中で本を読みながら心安らかに余生を過ごしたい。
可愛い動物と戯れ、金髪美女とイチャイチャ過ごしたい。

もしかしたら俺の無限に幸福を求めようとする心そのものが、無限に続く不幸という闇を作るのかもしれない。
だがやはり、こんな俺も社会的な一人間として生きたくて足掻いているが、中々できていない。
ただ俺の心には「信じる」ということしか、
大分前から残っていない。

その中でいま、ここ、目の前を自分のできる範囲で、全力で生きる。
とどのつまり、人はそれしかできない。
社会的な目や、その他の意見は結局お前の意見ではないし、それに阿りつづけるなら、
またそれに阿った、結果を生むのは必然だろう。
本を読む時は、本だけを読むために、
姿勢を良くし、息をよく通るようにする。
椅子の高さが合わなければ、合わせる。
そういうことがバカみたいだという人はいるが、少なくとも俺はそういう馬鹿正直な生き方をしてきた。

読書とはそのものが手段ではなく、
それ自体が道そのものであり、それが本来の目的なのだ。
命もまた過程であり、旅こそが目的なのだ。

俺もいまだに、人の意見に阿ってしまうが、
他者の意見をまた尊重することも、
社会的な人間(人の間と書いて人間)として生きていく上では、また必要なことだとも思う。

社会的な繋がりである「横軸」の生き方と、
魂の崇高性を求める「縦軸」の生き方。
この二つの交錯が、そして家柄や国、風土、
文化、環境といった「無限の変数」に置かれ、
結果、それぞれ各個人の「人生」という、
美しき物語を織りなす。
また日本人として、
人に与えてもらった恩や義は、
決して忘れないように生きていたい。

神は私を裸で産んだのだから、
また私も、裸でそこに帰ろう。
神の名は、ほむべきかな。

神は与え、また奪い賜う。
だが神の名は、ほむべきかな。

大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。
巖頭の感より 藤村操

でも俺やっぱり、好きなんだよ。
文化や、歴史、哲学、宗教、そういったものが。どうしようもなくね。
今の人たちが一般的にいうあまり「役に立たない」ものだ。
でも、俺は誰になんと言われようと、
それらの世間一般で言うところの「無用なもの」たちを愛してる。
それは例えるならば、身体の芯である「骨」を作るようなモノだと思う。
だからこそ、それが沁みてくるには、時間がかかる。
特に今の「わかりやすく」て「目先」のものを、
「ラクに」得ようとする世の中では特に、だ。

例えば最初に聖書に触れた時、「この本、本当に血が通ってる」って思ったんだよ。
この本は、「生きてる」って。
本当に思った。最初なんでこんな重大な本が一般の人の目に触れるところに置いてあるんだ!って驚いたっけ。
まあ、それを理解するにも、咀嚼する力が必要なのも、また事実だから。
どんなにいいパンがそこにあっても、
赤子がそれを食べたらお腹を壊すように、
それを理解するには読解力という名の
「咀嚼力」、つまり「歯」みたいなものも、確かに必要だとも思う。
そして現に俺は、お腹を壊してしまった。
そして幻覚、幻聴などこの世のものとは言い難い体験に襲われた。

多分わからない人は、わからない。
でも、それでいいと思う。
むしろ、ああいった神聖な「書物」は、
昔は誰もが触れれるようなものでなかったらしい。
少なくとも俺は、聖書を読んだ時に何か頭を、
なにか白刃で貫かれるような、そんな衝撃を感じたんだよ。
あまりに、それを読んだ時の衝撃や、感動がすごくてね。
相対的に、周りの世の中全てが汚く見えたんだよ。
その中の世界があまりに美しくて。

「俺もこう生きたい!」って思って、
寝る間も惜しんで読んだよ。
俺はずっと「すげぇ!おもしれぇ!」で生きてきた、バカなガキだから。
その分、人様に迷惑をかけ続けて生きてきた。
申し訳ない。それは今も変わらないね。

日本ではそういう「宗教」が好きだと変な目で見られたり、気味悪がられたりするけど、
やっぱり俺は、ずーーーっと、どうしようもなくそれを愛していたし、今でもそうだ。
誰になんと言われようと、だ。

だから、生きている中で旅をしてる時、
色々辛い目に合ったこともある。
というのも、ヨーロッパで仕事してたから。
あっちってキリスト教の信仰が強いから。

2022年ごろ兄貴がルーマニアのブカレストで経営していた「Buddha Lounge」というクラブでマネージャーとして働かしてもらってた。

自信がついて俺はこれからだ!って結局色々あったため(色々と不穏な空気があった為)店を閉じる決断をした。

ボランティアをしてる時なんか、特にそうだった。
というのも、今にして思うとやっぱりそれはキリスト教の人が多くて、彼らからすると「他の人」って感じだったんだと思う。
アルバニアのホステルでボランティアとして働いていた時なんか、周りがみんなヨーロッパの人なのに、英語も上手く喋れなかったし、何か言われても言い返せないしで、周りからすっごく馬鹿にされた。

「なんで日本に帰らないんだ?」
ってそこに宿泊していたオランダ人に心配されて言われたりもした。
その時は本当に生きていることすら恥ずかしくて、本当に嫌な時期だった。
全てが怖くなって、下駄箱(そこにいくには、宿泊客が多くいる共用スペースを通らなければいけなかった)に靴をとりにいくことすら、まともにできなくなっていた。
だから、俺はカフェに逃げたんだ。
たいしてコーヒーも飲めないくせに、
一日5軒ものカフェを梯子した日もあった。
こうやってモノをかきながら、外のベンチで号泣した時もあった。

でも生きていればどこにでも、そういう奴はいるものだ。
だから、そういう人たちは相手にしないようにしよう。
だが、これは「モノの捉え方」という、大きな文化の違いもある。
というのも、そもそもの東洋的な考えと西洋的な考えの違いだ。
東洋圏は「わからぬもの(X)」に対し、
畏怖の念を抱き、「礼」を持って対処した。
に対し、キリスト教が強い「西洋圏」は「わからぬもの(X)」に対し、よくわからないものは異端として切り捨て、排除するか、崇高なるものは「神」の領域として捉えた。
だからこそ、それ以外を扱う「科学」が相対的に生成発展し、そしてそれが世界を台頭し、今に至る。

昔、レオナルドダヴィンチが貴族の庇護を受け、敵を殲滅するため武器の作成を依頼されていたことがあった。
そしてダヴィンチは今で言うところの、
潜水艦のようなものの構図を作り、
突如として、後一歩というところでそれの作成をやめた。
それはなぜか?
それは彼が「これは卑怯であり、神の意に反している」と考えたためだ。
それが正しいのか、悪いことなのかは
この高度に発展し複雑なる現代に生きる、
私たちには難しい問題だ。
ただ、一つ学ぶ教訓があるとするならば、
まだ昔は、そう言った敬虔なる思いがあったということだ。

あゝ科学よ
お前はあの信仰という、
産みの親の苦しみを忘れたのか。
だがそれでもまだ私たちには信じることが、
芥子粒程の信仰が、残っていると信じている。

西洋列強の歴史の黒い面も、確かにある。
だが我々人類が、その恩恵に大いに浴したことにも、決して目を逸らしてはならないと思う。

物事自体は、なんでもニュートラルだ。
ある事を聞いて絶望をする人がいれば、
逆に希望を抱く人もいる。
ただ、なにもせず、文句を垂れ絶望するのことははっきり言って、楽だ。
酒を飲み、ニュースに文句を言い、
ただポテチでも食えば良いだけだからだ。

だが希望を抱いたり、本当の意味での楽観をするのは、ある意味では弛まぬ努力がいることだ。
日光浴をした後、朝の散歩をした後、
ジムで汗かいた後にそれを考えるのでは、
違った結果を生むだろう。
そして、誰も自分以外の意識を証明することはできない。
元々、みんな一つの意識だったものが、
どこかのタイミングで様々な物事を経験するために、分離した「可能性」もある。

つまりみんなが不安に足をとられず、
物事の良い側面に注目することで、
「本当に」良い意味での結果の世界が現出する
「可能性」がこの世界には、まだあるということだ。
立場や状況によって、それは難しいのかもしれない。
だからこそ俺は、なるべく自分にとって良い状態を探しつつ、心の状態を良くしつつ、
立場にがんじがらめにされた人、
不安に駆られる者たちに向けて、
「その架け橋」となる言葉と経験を、
旅をしながら、探し続けている。
「動かざる何か」を壊れた世界で探し続けている。
時間も我も忘れてしまうような、
「忘我」の瞬間を、「いま」そして「ここ」で。

「良い」「悪い」その二元論の先を、
「白」と「黒」の先の一番広くて深い
「灰色」の部分を探し続けている。
そしてまたいつか自分のクラブをやって、
ルーマニアにいる仲間や、
他の国の友達と会いたい。それが俺の夢だ。

だから人生の良い部分、悪い部分を含めて、
「よし」とする。

その肚こそが今の時代、本当に求められているものなのではないだろうか。


だからこそ、それを受け入れなお、
恩を忘れずに貪ることをせず、
本当の意味で前進しようとする人間は、
あなたにとって本当に大切である、
「今、ここ、目の前」の課題を生きれるのだ。

もっとも美しい課題は、あなた方の前にある。
オーギュスト・ロダン「遺言」より

そしてそういう人達は、どこにでも多かれ少なかれいるものだ。
そしてそういった人達も一つの生き方としてある意味では、間違いではないのかもしれない。

そしてだからこそ、それを裁かずに相手の問題ではなく、自分の問題として「今、ここで」
何ができるか?そのためにどこまでを「自己」として規定するか?
という「心のあり方」こそが、
この無限に問いがあるこの人生肝要なんだと、俺は思う。
例えば、自分を愛することができれば、
家族を愛せるようになる。
そして本当に家族を愛すれば、その地域や文化、はたまた自国、自国を愛せれば世界も愛すことに繋がると思う。
少なくとも、俺はそうやって生きてきた。

そして、どこまでも何かの「責任」や自己固有の「運命」をよしとして、それを全身で受けいれる。
そしてそういった「苦しみ」を受け入れられる人間は、やはりどこにいっても、
自ずから重宝されるものだ。

だから旅の中で俺の心の奥の信仰のようなものを汚されたと感じたことが多々あった。
そしてそれが、めちゃくちゃに許せなかった。
それと同時にその心の奥底の「信仰」に、
救われてもいたんだよ。
でも、俺はそれを本当に大切なことだから、
あまり人にひけらかしたくない。

だから俺は内村鑑三の主張する無教会主義という考え方で生きている。
確か聖書にある通り、
「主なる自分の神を拝せよ」って言葉があった。
だから、俺はその通りに生きてきた「つもり」だった。
そして、それ以前に俺は一日本原人というか、
武士道も好きだし、騎士道も尊敬している。
武士道とは野蛮性×高貴性から成り立つと思っている。故にその両輪どちらかが欠けても、
それは成り立たない。

そしてどちらも共通項がたくさんあるし、
どちらも大きな文化の「中枢」を担っているものだし、なんといってもどちらもまず、
「かっけぇ」から、それに憧れてやまないのだ。

だからこそ、セルバンデスが書いた
「ドン・キホーテ」の「シンボル」であるスピアーと風車の刺青を左の腕に、スペイン人の友達からオーストラリアのホステル(一つの部屋に何人も住んでいるような、言ってしまえば安宿)で入れてもらった。
その物語のあらすじを簡単に言うと、
時代遅れの頭のおかしな「騎士」に憧れるおっさんが、「風車」を敵に見立てて突進したり、
いろんなヘンテコな旅をする物語だ。
俺はその作品が大好きで、憧れていた。

だから俺も病気だけれど、世界を旅をした。
何度も挫けながらも。
そう言った哲学や、「高貴」なる憧れを心に持ちながら生きるということ、それは現生的には「当たり前に」沢山の困難や、バカを見ることになる。
つまり一般的に言えば、「損をする」のだ。
挙句いろいろな人に迷惑もかけたこともあったが、その分、色々な人に助けていただいた。
ただ慎ましやかに人間生きられれば、
それだけで人間大したものだと今はしみじみと思う。

そして、俺の人生は、それだけだった。
その自分の憧れや、好きなもの、好きな言葉などの「カケラ」を拾い集めていく、
言ってしまえば、俺の人生はそれだけの
「人生」だった。

荒れ狂う我が憧れは、
道から外れ彼かの人を追っていく。
ペトラルカ『カンツォニエーレ』(俗語詩集・ソネット6)より

書く人生でなく、書かれるような人生を。
そう言った憧れを持ちながら自己の人生を、
一片の詩にしたいと思っている。

あなたを愛し、あなたにおいて友人を愛し、
あなたのために敵を愛する人は幸いである。
けっして失われないものにおいて、
すべてのものを愛するもののみが、
自分の愛するものを少しも失わないからである。

(
「告白」より 聖アウグスティヌス著)

私の命を、私の魂をあなたに捧げます。
どうか私を、あなたの口にして下さい。

愛のためだけに生き、
愛の為だけに死ぬ。

その為に必要であるならば、
運命を、辱めを受け入れる。
そして身体的にはただ一人で生き、ただ一人で死ぬとしても。

孤独なる神よ、孤独なる我れのもとに来たれ。

シメオン『神の愛への讃歌』より

だが心の中には遥かなる高みを目指す友たちが常にいてくれている。私の心はけっして一人ではないのだ。

最近は俺の器量はそこまでもないのかもしれないとも思ってしまう、弱い自分もいる。
自分のことすらまともにできていないのに、
他のことや自分ではどうしようもないような突飛なことを、気にしてしまう癖があるからだ。
そして弱く、意気地もないのに人に言われたことに頭にきてしまうことがある。
そして何かミスをしてしまっても、
一つ一つ一人の人間として直して、
小さなことからでもいづれ元の自分のように、社会に貢献できるようになることを、夢見ている。

そして俺も普通の人間のように、小さいところからでも普通に仕事をした方がいいとわかりつつ、今は残念ながら中々上手くいっていない。
誰しも生きていれば、そんな壁にぶち当たる時期もある。

ところで、昨日これを書いている時、
家の中にゴキブリが出てきた。
昔から俺はそれが苦手で。
倒してって反射的に親に頼んだ。
そして、スプレーを吹きかけて、落ちてきたところをよく見ると、それはカメムシだった。
まだ生きていた。だから母が「外に逃して」って言うから、外に逃した。
俺はそこにこの世の不条理のカケラを見る。

どうしてみんなはゴキブリは殺して、
カメムシを外に逃すのはなんでだと思う?
カメムシだって臭いよね。
むしろゴキブリは動きが早いのもあって
気持ち悪いけど、臭くはない。
汚いとは言うけど、少なくとも俺は一度もそれで直接、病気になった人も見たことない。
まあ早いから逃しにくいというのはあるが。
でも人によっては手づかみで逃したり、する。
むしろ一般的に「嫌われ者」である彼らがいなければ、代わりにネズミが蔓延り、昔みたいに伝染病が流行ったりする「可能性も」ある。

俺はそこにこの世の不条理のカケラを見る。

昨日干上がっていたハスに水をあげた。
その水をあげたハスのガラスの容器に、
もうボウフラが沸いていた。
やがてここから蚊が出てくるのだろう。
そして俺はまた、いずれそれらに刺されるのだろう。

俺はそこにこの世の不条理のカケラを見る。

だがこの循環の動きのなかに、
何か本質的なものがあるような気がする。
星もまた、いづれ膨張し、爆発する。
しかしのその星はまた次の星の材料となる。
その循環の大きなエネルギーそのもの、
それそのものが「愛」なのだから。

仕事をしたいのに、そういったとりとめもないことを考えてしまう。
その中に世の中に蔓延る「不条理」や、
一般的に「どうしようもないこと」とされることに対する、事物が映ってくる。

俺の一つの見解としては「悟り」(さとり)とは、物事の差を取り去ること(差取り)だと思う。
小手先から抽象へ、抽象から小手先へ、
富士山へ登るとしても様々なルートがある。
3号目から登れる人もいれば、
5号目からの人もいる。
それが人生というものではないだろうか。
だが、全ての道は一つに通ずる。

瀬を早み
岩にせかるる滝川の
われても末に
逢はむとぞ思ふ

崇徳院(77番) 『詞花集』恋・228


あと特に病気の時に、そう言った誰も気にしないような変なことを考える。それは俺の気質だね。
今でこそ見た目はジムに行って鍛えて読書をしたり様々な習慣で補ってる分、弱々しくないがでも繊細なのは変わらない。


誰かに悪口を言われてるとか、そう言ったようなことを感じることも多々ある。

でも最近(特にオーストラリアにワーキングホリデーに行った終わり頃から)急激に色々な不幸が重なったのもあって、感情の起伏が激しかった。
英語がうまく喋れないのも、その大きな一因だ。

だからこそそれが本当にできていたかは、
俺も自信がない。周りの方に沢山迷惑をかけて、それでも「生きさせて」いただいたんだ。

「正しいこと」とか「間違っていること」がわからないから「この時代」だからこそ、
本当の自分の気持ちや、言葉を綴りたい。

色々と数ヶ月前から急激に体調が悪くなり、
夢と現実の狭間のような、世界を生きている。 
俺は自分のことがまともにできないのに、
他の人をやたらと気にしてしまう病気だ。
だからそういったことを考えないように、
ビジネスや社会的に意味のあることをしたいと
思ってはいるのだが、残念ながら中々それもまだ上手くはいっていない。

だから今は心静かに、「統合失調症」のおっさんの物書きとして、今の俺にできる事を、
できる範囲でしてみようと思う。
それが、今の俺にできることなんじゃないかと、「なんとなく」感じるからだ。
というのも、俺は難しい事、わからないから。
そういうのは、「頭のいい」人たちにまかした方がいいと思うんだ。
人間知る必要がある時に、それを知ることができるものだから。
今は俺ができる事を、できる範囲で、
少しずつでもいいから、したいんだ。
そういえば昔品川にある実家から、湘南のおばあちゃんちに、夏休み兄貴と自転車で行った。
子供ってそう言うことするよね。

でも途中兄貴においてかれて、ただ真っ直ぐ行ったら、いつのまにか高速道路に入ってて。
流石に途中引き返したけど。
その時から俺の気持ちはずっと変わらないなあ。ある意味、真っ直ぐの「あの夏」のままだ。

晴れてよし
曇りてもよし
富士の山

山岡鉄舟

ビョウキってどこからが「ビョウキ」で、
どこからが「セイジョウ」かって俺自身も、
正直よく分からないし、なかなかその定義も、難しいところだと思う。
あなたにとってそれを分つものはなんだろうか?

例えば俺は現代で一般的に言う、統合失調症を患っている。
そのままでは、「イジョウ」の箱にいるわけだ。
だが、もしそこからあなたが何か社会的に有用な、例えば幸せを撒くようなことを為せたならそれは「天才」という箱に移動することになる。
わかるかな?俺はそう信じて生きてきた。
その名も
「精神病≒天才ロンダリング possible論」
だ。

ところで、子供の時に見た印象的だった夢がいくつかある。
病気の回復のためにも、それらを綴っていこうと思う。
多分5,6歳くらいだったような気がする。

ガンダムみたいな変な機械に追われて、
思いっきり泣きながら、(あと叫んでたと思う)ちょっと暗くて灰色の階段を駆け降りていく夢だ。
そして一番下の階段まで降りた時、
いきなりシーンが変わって、
頭の上から変なあったかい水と、光りみたいのを浴びて、茶色い髪の人が手を組んで祈っていた夢だっあ。


この夢があったこと自体かなりはっきり覚えてる。たぶん5-7歳かわからないけど、第一次反抗期くらいの時だと思う)

俺なのか俺じゃないのかわからないけど、
俺はその光景を第三者視点で正面から見ていた。
背景がキラキラしてて、金色の感じで、その人の髪はたしか茶色だった思う。
で、その人は祈るように手を組んで、頭を上に傾けて目を瞑っていた。

それで俺はその時の感覚みたいのは、今でも覚えてる。
なんか手の届かない、よくわからないものもすべて許されたような変な感じで、いいようのない気分だった。本当に例えようのない気分だった。

結構印象的な夢だったからなのもあるけど、
その時の夢の最後のシーンと、
その時の「感覚」は、結構はっきり覚えてる。


あと一番古い子供の時の記憶、
母方のおじいちゃんに、雪の中、多分白石蔵王の露天風呂につけてもらった夢だ。
それも何か印象的だった。

あと何個か印象的な夢があったような気がするけど、今は思い出せない。
正直、記憶が最近よくなくて、頭が痛いときも多かった。
でもやっぱり、自分の本当の思いをここに書くことで、俺は新たに自分の人生を生きたい。
だからこそ、俺はこれを書くことを決意した。

これはあの敗戦日数日後(お盆)に俺はこれを書いている。
だから亡くなった祖父たちの想いものせてこれを書いているような、
なんとなくそんな「気がする」んだ。
なんとなく、色んな人が病気の俺を優しく応援してくれてる気がするんだ。
やっぱり、人の目の奥を見れば、その想いは伝わるものだよ。
少なくとも、俺はそう信じているし、
その想いはやっぱり、変わらないよ。

そして文学や、ものを書いて、気持ちを整理することの大切さも学んだ。
だからお陰様で少しずつ、良くなってきた。
こんな俺も、やっぱり今の社会で生きたいんだよ。
だからこうやって自分の気持ちを少しづつでいいから、綴っていく。

だからこそ、俺はこれを書きあげることで
「今、ここで」本当の意味で、自分を変えるんだ。
「本当の意味」で自分を変えるとは、
自分にとっての世界の認識、
つまり、ひいては世界を変えることだからだ。

まず日本人として、身を弁え、軽口をたたかない。そして言葉を慎む。
そしてまず自分を育ててくれた家族を大切にし、周りの人に恩を返していく。
当たり前のことを、当たり前にきちっとする。
その積み重ねをしていきたい。
そして俺は、自分の罪や、運命を全て受け入れる。
バカなことも沢山したけど、誰かが見守ってくれているような気がするから。

俺は猪みたいに直情的で、猪突猛進で、
だから色々と間違いを起こしてしまう事がある。
だからなるべく人を傷つけないように裁かないように、心がけて生きてきたつもりだ。
だが人生か幾度か不運が重なった時も、あったかもしれない。
その結果「心」が擦り減ってしまった。

だから同じような精神病を抱えた人のためにも、自分の「統合失調症」という病をすこしでも良くするためにも、本当の自分の気持ちをここに綴っている。
先も言ったように、病気がひどい時は自己の境界線がなくなってしまう。
気質というか、繊細な方なんだと思う。
だからこそ、都会での生活では少し疲れることもあるのもまた事実だ。
でも人間生きていれば誰しもが、
不安や怖いことがあるのも当たり前のことだ。
だからこれ以上「無駄に」不幸というやつに、
「じぶん」という蜜をくれないようにしよう。
人間、選択を間違えてしまうこともある。
だからこそ生意気にならず、
それをしっかりと受け止めて、
少しづつでもいいから、歩んでいこう。

本当の意味で「今、ここ、目の前」を生きるために、できる範囲からでいいから、
明日のことを思い煩わずに、生きよう。
本当に必要なことや大切なことは、
「いま、ここ、目の前」を気持ちよく、
「ワクワク」という心の羅針盤に従って、
全力で生きていれば、必要なものやことなど、
「それらの方から」自ずから来るよと、
チャネラーのBASHARが言っていた。
それが正しいかどうかは俺は知らない。
でも、そんな気がする。

自分にとっての良いことや、与えてもらっている「いま、ここ、目の前」を感謝して生きよう。
そして感謝したなら、小さくても良いからそれを維持、向上させる為の具体的な行動に結びつけていこう。



お陰様で、日本にいたら病状も少しづつ回復して来たように思う。
やっぱり地元LOVEだなぁ。
後日本語が好きだし、今はもうしばらく日本にいようかなっていう気分だったが、
今の俺ではここでは本当に俺がしたいことは、ここでは成せない。
まだ色々と経験をする必要があるように思う。
だから少しづつ良りつつこの機会に、
また旅をしようと思う。
次はインドネシアに行くつもりだ。
そこでまた兄と何かのビジネスをするつもりだ。

正直まだ海外が少し怖い気持ちもある。
前オーストラリアに行った時に、
体調がかなり悪くなったからだ。
でも旅をすることは恐れと同時に、
それが自分にとって心躍ることでもある。

でも外の世界にまだ怖い気持ちを抱いてしまう、自分自身を許そう。
自分自身の中にある「何か」を許せないような、わだかまりがある「その気持ち自体」を包み込むように許していこう。

恐れは愛の裏返しなのかもしれない。
時として人はそれに魅入られ、動けなる。
そして聖なるものと、非俗なるもの、
それは実は「愛」という架け橋で、繋がっているのかもしれない。

ところで俺はどこにいっても、一日本人として「恥じないよう」には生きようと「努めて」はいるが、出来てない時も、正直かなりある。
だからこそ同時になるべく、他人を裁かないようには努めてきた。
むしろそれを努めすぎた挙句心が折れて、
病気になったんだったなあ。
今にして思えば。大バカ者だ。
ずーっと同じようなところを、ぐるぐる回っていた気がする。

でも生きていれば誰しもが世の中、
どうしようもない不幸の連続や、どん底みたいなときも、あると思う。それはしょうがない。
大切なのは、そこからどうするか?
ということの方だ。

だからこそ、自分の哲学や生き方を重んじ、
どこに出ても恥ずかしくないように生きようとしている。カッコ悪くたとしても、
今でもそう生きているつもりだ。
だからこそ社会的に言えば、大恥をかいたことや、まるで心が死んでしまったように辛いことも多々ある。
正直、今だってそんな気持ちがするときがある。
だけど人間なんだから、そんな時があってもいいんじゃないか?
今はそんな時代なんだと俺は、思う。

だからこそ、少し疲れやすい時があるのも、
また事実だ。
それを良くするためには、必要があれば薬も飲む。
そして日光を浴びたり、しっかり運動をし、
読書をして、良い習慣を保つことが肝要だと思う。

習慣について


習慣の組み方について、ここで語ろうと思う。
「日常」と言う「枠組み」を超えるのは、
それがとても大切なことになるからだ。
そして日常を超え続けることによって、
ある日「飛躍」が訪れる。
それは「する」のではなく「来る」ものだ。
人生は1+1=2ではない。
ある日、ある能力が一つでも伸びてくると、
他のことも「結果的に」爆発的に伸びてくるものだ。
そして習慣とは、意志力を必要としない。
まるで「無意識」にそれができるようになる。

つまり、あなたの人生が勝手に良くなっていく。
だから、そのための鍵としての「習慣」を
俺なりのやり方を具体的にここで語ろうと思う。

まずアプリとしてはメンタリストDaigoもおすすめしていた「Routinery」がおすすめだ(2024/08/23現在 月500円、年間3500円)
そして iPhoneならウェジットで

こう言うふうに、自分がしたいルーティンを
「視覚化」できる。これは「ハッビットチェーン」というもので、カレンダーに丸をつけたり、習慣を「視覚化」することで維持しやすくなる。







↑これは俺の朝の習慣。


また習慣は上記の写真のように数珠繋ぎにすることで、簡単に維持できるようになる。
またマジックナンバー4といって、最低週4日そして4週間やることによって、習慣化されると最近の科学では言われているらしい。
後隙間時間の活用。
俺は必ず本を持ち歩く。
そして常に下記の画像のように物理の本+ウェジットで、別の本を一つ表示するようにしている。


確か精神科医である樺沢紫苑先生(この人の本も本当におすすめ)が言っていた話だが、
鬱病の患者は概して、ボキャブラリーが少ない傾向にあるらしい。
つまり自分の思いや、気持ちを「表現」仕切れていないため、ストレスが溜まっているかもしれない、と言うことだと思う。
今は何かと即物的で、短くて、わかりやすいものが流行っている「時代」だ。
だからこそ、やはり「国語力」というものが、
人とのコミュニケーションにおいても、
今のこのストレス社会では、本当に大切なのだと思う。
また人のストレスの8割は、人間関係からだと聞いたことがある。

だからこそ上記の画像のようにこうして、
本をいつでも読めるように
常に「意識下」に置くことも、また大切だ。

俺はまずやっぱり、刺激に弱い。
疲れやすい。これは気質としてあると思う。
あと、なぜかわからないけど、胃が活発なのか、屁がめちゃめちゃ出やすい。笑(これは体調が良いしるし?なのか?)

そう言った人は、運動や、読書などの習慣を大切にするといいと思う。
習慣は自己の殻を突き破る、一つの鍵になり得るからだ。


昔の話

小学6年生の時、林間学校の時だ。
友達とカブトムシを取るために、一緒に昼に出たデザートのバナナを残しておいて、
担任の先生に怒られたっけ。

あと、帰りのバスで自分の名前を座席の「肘置き」のところに手裏剣(日光江戸村で買った)で自分の名前を掘ったんだよ。
隣の席に座ってた正義感の強い女子にチクられてめちゃめちゃ、バスの運転手に怒られた。笑

「それ小学六年生の行動じゃないよ、キミ。」って。
あと、その手裏剣(その林間学校で行った、「日光江戸村」で買ったやつ)を研いで、公園の木に向かって投げてたんだ。「でか」っていうあだ名の友達と一緒に。(当時既にして彼の身長は170cmくらいあった、彼のあだ名。「でかピーナッツ」の略)
それ、木に思いっきり、突き刺さっちゃって。

思いっきり引き抜こうとした時、
「クンッ…!!!」っていきなり抜けて。
おでこに刺さった。
まあギリギリ目に刺さらなくて、セーフだったけど。笑
その時はデカも焦ったみたいで、優しくしてくれて。彼が何故か持ってた変なバービー人形の服で止血しようとしてくれて。笑
病院の先生に笑われたなぁ。

今ではそれもいい思い出だな。
今でも俺の心はその時とあまり変わらない、
「バカ」のまんまだ。

だからこそ、俺は俺の「初心」を大切にするし、これを読んでくれた読者の人にも、各人各々の文化や環境、思い出を大切にして欲しいと、俺は切に祈る。


最近は感情の起伏が激しいので、今は愛する家で家族とゆっくり過ごしている。
銭湯が大好きなのですが、オーストラリアで友人に入れてもらったタトゥーのため、埼玉県比企郡の「おがわ温泉花和楽の湯」に行けず、代わりに父と秩父の三峯神社近くの銭湯に行った。

その近くに「大血川」という名の川があり、平将門にまつわる二つの説がある。
一つは、承平天慶の乱で平将門が討たれた際、妻と従者99人が川の源流付近で自害したというもの。もう一つは、彼らが無事に大陽寺に逃れ、平和に暮らしたという説です。
川の名前の由来は、この二つの説に関連している。

そしてそこには、もう既にして「赤とんぼ」がたくさんいた。
今は真夏だけど、俺はもう既に季節の変わり目である、「秋」の匂いを少し感じた。

恋愛について

最近、俺は自分がモテている「気が」する。
だが同時に、「察し」の悪い男だ。
「空気」を読むことはできても、
「察し」が悪いその事、それは自体は変わらない。
そして、本当に好きになった人に対しての
「恋愛」は「基本的に」上手く行った試しがない。
だから、俺の恋愛は「基本的に」すべて、
台無しになった。
なぜかは「察し」が悪いので「わからない」し、
わかる必要もないと思ってる。
そして「嘘」をつくのが、ものすごく下手だ。
あと、「嘘」をつくのが、はっきり言って「嫌い」だった。
上手くやろうとする人達も、「嫌い」だった。
だからこそ同時に俺は酒や、その他の「楽なほう」へ寄りかかってきた「時期」も長くあった。
でも、その結果統合失調症という
「よくわからない」病気になった。
でも実は、今はそれをも愛してる。
それに教わったことが、たくさんあるからだ。

だから「よくわからないこと」も、
世の中にはあってもいいのかもしれないと、
今は思う。
オーストラリアで好きだった人や、
馬鹿をやった大切な「仲間」に、そういうことを教えてもらったような「気がする」からだ。
何故なら自分にとって「よくわからないこと」は、それ以上考えていても、しょうがないからだ。

そして大きな季節の流れ目を感じる。
それに気づけたからこそ、気づかせてもらったからこそ、
俺は、これを読んでくれている、「俺たち」は、心の中の「勝鬨橋」を渡る時なのかもしれない。
いや、実はそれは「渡る」のではなく、
自ずと「来る」ものなのかもしれない。

そして俺は過去の文化を踏まえた上での、
本当の意味での「前」を目指そうとする。
それは、その初心、志だけはどんなに挫けようとも、尚存ずる。

人生意気に感ず。
功銘また誰か復論せん。

魏徴

例え「統合失調症」という「イジョウ」という状態であったとしても、
そう、つまりこうやって「文章」を書いて、
ゆっくりと、ゆっくりと、でも確実に。
「自分自身を見つめ直す」ことによって、だ。

幸せの「青い鳥」を見つけるためにいくつかの国を、旅した。探し続けた。
疲れ果て、何度も壊れて、実家に戻った。
そして気づいた。

「幸せの青い鳥は、すでにして足元にいる。」
青い鳥より メーテルリンク

後もう少し、あと、もう少しだ。
もう少しで、この長いトンネルを抜ける、
そんな気がする。

本当に人生を変えるのはあと「ほんの少し」、
「ほんの一ミリ」の一歩、いや「半歩でも」
でも、「何度でも」そう、俺はそう思う。
そう「信じる」、俺にはもう随分と前から「信じる」ことしか、俺の心には、残されていないんだ。
昔、その昔第一次世界大戦の時に活躍をしていた秋山好古という軍人がいた。
彼は騎兵隊を最も得意としていた軍人だった。
しかし、その人のすごいところは、
「騎兵」を誇りに思っていたのにも関わらず、
第一次世界大戦の時祖国である日本のために、その戦い方を祖国のために、捨て去った事だ。
そんな彼を、俺は男として尊敬する。

そしてその秋山好古の言葉で、感銘に受けたものがある。
彼曰く騎兵隊として、勝負を決するのは「ホンの1ミリ」の「勇気」だそうだ。
それが勝負を分つらしい。
不思議な話だが負けた方は、木っ端微塵のバラバラになるらしい。
そして勝った方は、こちらはなんと傷一つもつかないそうだ。

作用反作用の法則というのが、人生にはある。
1kgの力で壁を押したら、1kgの力で押し戻される。
10kgなら10kg。
人生もそれと一緒で、何かの壁が出てきた時それを穿つのは、ほんの少しだけ、あともう一歩の勇気なんだ。あと0.00000001%だけの勇気なんだよ。

俺の人生も、ほんの1ミリ、もう少しの「勇気」によって、支えられてきた。

「知性とは、勇気のしもべである」
小林秀雄

俺は、自分を賢いとは思わない。
何度というようだが、たくさんのバカをやってしまった。
でもそれでも、いつも誰かがギリギリのところで、「誰か」がいつも支えてくれていたんだ。
俺は、「馬鹿すぎて」それにすら、
今の今までは「本当の」意味で、気づけていなかった。

だからこそ、今改めて「一日本人」としてこれ以上恥じぬように、またほんの「0.0000001ミリ」のもうちょっとの勇気を持って、「今、ここ、目の前」を全力で、
改めて生きる。そう決意する。

人生における、本当に大切なことや、
「志」を立てることは、どこでも、誰でも、
「タダで」できる。
志(こころざし)とは、読んで字の如く、士(武士)の心と書いて、そう読む。

俺はうちの「白井家」は、祖父曰く、農民だったらしい。
でも、俺は「武士の如く」生きたいって願ったんだよなぁ。
新撰組の人たちみたい。
例え人生に於ける負けるような戦、
いわば「壁」のようなものを前にしてでも、「誠」一字に生きたいって。

というのもきっかけがあってそれは、
その祖父が亡くなった時だった。

彼は癌に全身を侵されていた。
それは脳や胃、肺に至るまで、全身を侵していた。
それで痛みを和らげるために、モルヒネを投与された。もう末期という段階で意識が混濁していた。
そして彼が言った事を、未だにハッキリ俺は覚えている。

「まだ死にたくねぇよ」
と言っていた。
彼は「誠実」という言葉を壁に貼ってて、
それを体現したような「頑固」な人だったよ。
お金に少しうるさかったけど。笑
またオリンピックでフェンシングの元銀メダリスト?でもあった。また誇りの高い人だった。
だからこそ、その言葉に俺は少し驚いた。
でも、その死の際での彼の言葉はある意味では「誠実」であった。

それで、その時、俺はいつでも死ねる人間になろうと思った。でもお恥ずかしながら、俺はそんな器ですらなかった。

だからこそ、俺はいつでもどこでもどんなにダサくても、「誠実」な人間になろうと、
そのために、何事にも自分に与えられた宿命(すでに決まってしまって、動かざること)や、運命(宿命によって、運ばれてくるであろう少し先の「今」)を全力で目の前を生きようと、
誰かに受けた「恩」を決して忘れぬように、
人からもらった手紙を壁に貼ったり、
いろいろと工夫して自分ができる事をしようといつからか、思ったんだっけかなぁ。そういえば。
だからこそ、未だにルーマニア人の元カノのことがいまだに忘れられなくて。
どちらかというと、彼女に対する恩というか、
「もっと彼女を幸せにできたのに、申し訳ない」
みたいな、変な気持ちだよ。
自分で振ったくせにね。馬鹿みたいな話だよ。
でも彼女も若くていい女性だ。
だからこそ彼女もいろいろ経験して、幸せになってほしいと、切に願う。
俺も今無職だしね。合わせる顔がないんだよ。
一人の男としてね。
「クラブ自分の作るから、今はそれに集中してぇんだ」とか馬鹿みたいにカッコつけたこと抜かした癖にね。

それでいいチャンスもいくつかあったけど、
全部ダメにしてしまった。

昔から、何にも上手くいかなかったよ。笑
特に「ここぞ!」って時にね。笑
でもその分、小手先みたいな技術は覚えた。
だけど、本当に自分の人生で大切だったことは、何かに挑もうとする気持ちや、姿勢にこそあったのかもしれないなあ。
今になって、そんな気がするんだよ。
その俺の「欠点」も愛してるんだなあってね。
今はしみじみ思えるようになってきたんだよ。
素晴らしき「元カノ」たちにも、恥じぬようにね。

"今は冬だ、なにもかも眠っている。
だけど、良い土であれば、お前はまた目を覚ますだろう。
待つんだよ。お前が善良なら、全てうまくいくだろう。でもそうでないなら、しようがない。
何故なら、それ以上できないからだ。
それに、何故あくせく、それ以上を望むんだい?

望む、また生きる、それは別々のことだ。
大切なのは、ねぇ、なにかを望んだり、
生きたりするのを、諦めないことだ。

"英雄とは自分のできることをする人のことだ"

(
ジャンクリストフ、主人公であるゴットフリートの言葉より、ロマンローラン著)

やはり恋愛でも、自分の心に正直な思いを相手に伝えるしかない。
だけど、俺は恥ずかしがり屋だ。
そして思いを伝えられない時が、多々あった。

ワーキングホリデーで行った、オーストラリアでもそうだった。
Coffs harborという綺麗な街にファームワークで行った時、イギリス人の綺麗でナイスバディ(特に尻が魅力的)で青い目をもつ、本当に素敵な女性にあった。
結構久々に、本当に恋に落ちた。
「俺はこんなに人を好きになれるのか?」
と言った感じで、
正にboy meets girl ,and fall in loveであった。

↑こんな感じのお人形のような、女の子。



共用スペースのホステルの椅子で、いつもみたいに本を読んでいたとき、他の席が空いてるのにわざわざ俺の隣にチョコンと座って来て、
俺英語勉強していたのに、流暢で速い英語はあまり聞き取れなくて、会話の30%くらいしか理解できなかったなぁ。
オーストラリア人の英語も、最後の方まではあまり理解できなかった。
英語、そんなに得意じゃないんだよね。

だからやっぱり、日本でゆっくりしようかな。
あと本を読むのに必死だったから。
昔から一つのことに集中すると、他のことが目に見えなくて。
あっちの現地人が経営するカフェで就職するはずで、やっとビザ取って就職するぞ!お金貯めるぞ!ってやっと人生が軌道に乗って来てうまく行きそうだったところで、また病気の具合というか、色々あって具合が急激に悪くなった。
ジムとか行ったり、走ったり、してたから大丈夫だと思ったけど、まあ友達とお酒飲みまくったり、いろいろと酔いすぎたり、してたから。笑(そんなにすごい悪いことは、してないよ。)
まあ友達と一緒に仲良く楽しんで、
平和に暮らしていたわけだ。

で、いきなりいろいろと立て続けに、
不運なことが「ドドドーーー」と雪崩の如く続いた。まあ俺の人生、こういう時期はちょこちょこあるんだけど。病気とか、自分の気質もあるしね。

あと英語も完璧に聞き取れてたわけじゃないし。
だからこそ、ここらへんの事はあまり語りたくない。言い訳しても、人生は始まらないしね。

で、ホステルを追い出されて、仕事もクビになって、Coffs harborの精神病院に入院した。
ここら辺の思い出は、結構きつかったよ。

で、やっと俺の人生が好きな環境で回りだすぞ!ってところで、全て「ドカーン!!!」って、ちゃぶ台返したみたいに、台無しになった。
さっき言った好きな人もいたけど、
その人に顔向けできるような状態ではなかったしね。
まあたまーーーに人生には、あるじゃんね。
絶対に越えられない「壁」みたいなものが。
そんなものにぶち当たったんだと思う。
正直、吐きそうな想いだった。

ただ俺は、平和に暮らしたかっただけなのにね。
まあ人生には「時勢」と「運命」ってものがあるから。
しょうがない時は、しようがないんだよ。
ただただ、俺は本当に悔しかった。
でも俺はそれをバネに、生きる。
そう決意した。

何故なら、もともと俺にはそれしかできないからだ。

まあ彼女とも本当に心が通じていたのなら、
また相寄るだろう。俺はそう信じてる。
その時はまた、笑顔で会いたいな。

そして自己の宿命、運命、そういったものを全て受け入れる。
そしてそれを全て「よし」とする。
それが「一日本原人」としての、俺の生き方だからだ。
それが日本人としての、俺の「恩」の返し方だからだ。そして

恩は売るものではなく、
返すものなのだから。

海外から戻ってきた俺は、地元を歩いていた。
スーパーに行けば一つ110円の安いコロッケがあっても、昔から馴染みのおばさんがやっているいつからやってるかもわからないボロボロのお店で、
お金が500円しかなくたとしても、200円のコロッケを笑顔で「いつもありがとうね、おばちゃん。」といって、買う。
そういったある意味で言えば、
日本人特有の愚かしい、温かみをこの体全体で感じる。
俺はそう言った気持ちを、
これからも大切にして生きていきたい。
一日本人として愚かしくも、美しく生きていきたい。

算盤勘定ただけでは語れない、
そう言った「気持ち」が、
今こそ、この物質文明の先の世界に必要なのではないだろうか?

あの小学生の時の、みんなで集まって駄菓子屋時、握っていたあの500円玉はとても大きかった。
でも実は、俺にとってそれはまだ大きなままだ。

頭がおかしくても、俺は俺の人生を持ってまず愛すべき家族、そして自分の住む地域、そして祖国である日本、そして世界に「それ」を返し続けようと思う。
でもその前にまず自分を愛することを忘れずに。
「〜しなければいけない」だった自分から、
「〜してみたい」という方向へシフトしていくつもりだ。まず自分のワクワクを追っていく。

統合失調症という病気の中で、
全てがうつろいゆくその流れの中でも尚、
「変わらざる何か」を追い求めることだけのために、これからも生きていきたい。
それだけが俺の生きる意味であり、志だ。

オーストラリアの終わりから、今までで俺の一つの人生は終わったと思って、改めて日本でこれを書き終えた後、また一から、兄とインドネシアでビジネスをする。

そして自分ができる範囲で、いずれ祖国である日本に恩返しをしようと思う。少しづつでも。
一日一歩でも。
半歩でも。でも何度でも。

もう、俺はこれ以上言い訳をしない。
だからいま、ここで俺のできる事を、していこう。何故なら、結局俺にはそれ以上できないからだ。

俺は俺の夢の中を生きる。
だからお前はお前の夢の中を生きろ。
それが俺のこの「夢と現実」の狭間で
見た光、つまり「愛」であり、祈りなのだ。

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