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TOOLの美しくて不快なモナリザ: "Undertow"30周年によせて

1990年代初頭。グランジ革命とオルタナティブのメジャー化がシーンを席捲した時代。
ただし、この "ヘアメタル" を駆逐した隕石の落下は、メタルの生命力を磨き上げ、ジャンルの多様化や細分化を促すことにもつながりました。
プログレッシブ・メタルというサブジャンルが急成長したのもこの時代。QUEENSRYCHE, FATES WARNING, DREAM THEATER, SHADOW GALLERY といったバンドが、精巧なコンセプトと生き生きとした複雑な音とテクニックでメタルの血と知を混ぜ合わせ、進化させていきました。それでも、長大なトラックと豊富なアイデアを、インダストリアルやオルタナティブのより新しく重厚なジャンルと融合させるという点では、未だ拡大の余地があったのです。

その唯一無二は "Undertow" から始まりました。
最近では、TOOL はそれ自体がひとつの大きな組織となり、ダークで複雑、変幻自在の音楽を作り、カルト的な崇拝を生みながら、フェスティバルを席巻し、何百万枚ものレコードを売り上げてきました。しかし30年前の今日、1993年4月に彼らのデビュー・アルバムがリリースされた当時、TOOL はほぼ無名でしかし、さらに異常な存在だったのです。

TOOL は RAGE AGAINST THE MACHINE と共にロサンゼルスのシーンで育ってきましたが、これまでとは全く異なる種類の激しいサウンドを提供し始めました。アルバムにヘンリー・ロリンズが参加していることから、ハードコア・シーンとのつながりも示唆されましたが、それは不正確でした。そして、JANES ADDICTION, FAITH NO MORE, MELVINS, HELMET といったアーティストたちと CD ラックに並びながらも、TOOL はどこか異彩を放っていたのです。

「僕たちは最初から自分たちらしさを貫いていて、多くの人たちは僕たちをどう評価していいのかわからなかった」とジョーンズは言います。「レーベルのマーケティング部門は、"TOOL というバンドが来ている。彼らと何を比べたらいいのかわからないから、今メタル界で流行っているものと比較することにしよう!" となったんだ。それから NINE INCH NAILS が出てきて、ヒットしたから、今度はインダストリアル・バンドと呼ばれた。それから NIRVANA が大ヒットして、僕らはグランジになった。でも、そんなことは気にしなかった。音楽は最初から、僕らにとっては常に純粋な楽しみだったんだ。
ただ僕たちは、あのころヘア・バンドや髪のフサフサしたヤツらを追い出したくてね。良いクラブ・スペースはすべて彼らに取られていたから。当時、L.A.には素晴らしいアンダーグラウンドの音楽ムーブメントがあったんだけど、それに対抗して、もっと価値のある新しいシーンを作るために、彼らと結束していたんだ」

グランジ?インダストリアル?プログ? この4人組のファースト・アルバムは、ひとつのジャンルやシーンの枠を完全に超越していました。
「僕らの嗜好は、ジョニ・ミッチェル、KING CRIMSON, DEPECHE MODE、そしてカントリーなんだ」と、ギタリストのアダム・ジョーンズは1993年に宣言しています。「僕らはメタル・バンドでもグランジ・バンドでもロック・バンドでもカントリー・バンドでもない。僕らはただ、TOOL なんだ」


1990年に結成された TOOL は、映画業界で働く2人組(ギタリストのアダム・ジョーンズとベーシストのポール・ダムール)と、新進気鋭のミュージシャン(ボーカルのメイナード・ジェイムズ・キーナンとドラマーのダニー・キャリー)からなる4人組。偶然の共通点によって集まった彼らは、すぐに Zoo Entertainment と契約し、WHITE ZOMBIE や RAGE AGAINST THE MACHINE とツアーを行い、1992年の "Opiate EP" に独特の獰猛さとそこに対立的な "カウンターパーツ" を注入しました。
「ハリウッドの映画セットで働きながら、生き延びようと必死だった」とキーナンは振り返ります。「家賃は高かったし、映画業界と音楽業界の両方で起こる奇妙な偽善がたくさんあった。 だから、オリジナル曲の多くは、そういうエネルギーにインスパイアされたものなんだ。音楽は感情的で、とても反動的だった」

1年後の1993年4月6日、彼らはフルレングス・デビュー "Undertow" をリリースしました。その後の作品ほど頭脳的で奇妙に洗練されたアルバムではなかったかもしれませんが、むしろそのために生のソングライター、作曲家、プレイヤーとしてのメンバーの才能がはっきりと表れたのかもしれません。
具体的には、TOOL は KING CRIMSON, JUDAS PRIEST, Tom Waits, YES, DEPECHE MODE などの影響を受けつつ、詭弁的なユーモアと "悪夢からそのまま取り出したような本当に醜いもの" との間の絶妙なバランスを築きました。つまり "Undertow" は、おそらく彼らの世代で最も特徴的で挑発的、実験的、多面的で不朽のメタル・バンドの始まりの場所だったのです。

トリッキーな拍子、迷路のような構造、対立的なイメージ、力強い相乗効果など、TOOL の特徴の多くは、キャリアを重ねるにつれて複雑になってきますが、"Undertow" ではその種がたくさん蒔かれています。
前作同様、このアルバムはカリフォルニアのサウンド・シティ・スタジオで、プロデューサーのシルヴィア・マシーと共にレコーディングされました。このアルバムの大半は "Opiate" と同時進行で書かれたため、すぐにまとまり、幸運なことに、バンドは初期EPのタブーなトピックや奇妙なレコーディング・テクニックをさらに発展させることができたのです。

例えば、"Sober" はバンドの友人について書かれたもので、聖書のシニシズム(「Jesus, won't you fucking whistle / Something but the past and done?」)と薬物乱用の寓話を融合させています。Adam Jones はそのタブーについてこう語っています。
「彼は "酔っているとき" が一番芸術的なんだ...多くの人がそのことで彼を非難する。好きなことをするのは構わないが、起こったことには責任を持たなければならないとね。中毒になってジャンキーになったら、それは自分の責任だからと」

不穏なことに、"Prison Sex" は、幼少期の性的暴力から生じる、痴漢や薬物依存を含む内的・外的被害の多世代にわたるパターンを掘り下げています。1996年11月、この曲のライブ・パフォーマンスの前に、キーナンはこう明かしています。「この曲は、自分の中にある虐待の連鎖を認識することを歌っているんだ。それがプロセスの最初のステップなんだ」

バンドはまた、"Undertow" で実に興味深い制作方法やギミックを採用しています。例えば、実験的なクローザー "Disgustipated"(当初CDプレーヤーではトラック69として表示されていた)には、セミの鳴き声と、ショットガンとスレッジハンマーでピアノを破壊する音が組み込まれています。その前の "Bottom" にはヘンリー・ロリンズの話し言葉が、"Intolerance" ではジョーンズが シェーバーとバイブレーターを弦に当てていました。

そうして TOOL は、音楽そのものは好きなようにできたにもかかわらず、他の部分ではかなりの反発に直面していました。
ひとつには、ジョーンズの異常に不気味なアートワーク(肋骨の彫刻、フェイクの屍姦、性器を舐める牛、アルバム・タイトルを皮に削り込んだ豚など)が、KマートやウォルマートなどによるLPのボイコットを招いたこと。実は音楽キャリアが軌道に乗る前、このギタリストはハリウッドの大作映画 "ジュラシック・パーク"、"ターミネーター2"、"バットマン・リターンズ" などを手がけたヴィジュアル・アーティストでした。1993年、ジョーンズは「僕は、一方では不快感を与え、他方では美しいというアートが好きなんだ。グロいけど、とにかく見てしまうもの。決して見たくないけど、美しいものがね」と語っています。

さらに、"Sober" と "Prison Sex" の不穏で抽象的かつ暗示的なストップモーション・ミュージック・ビデオは、ジョーンズと監督のフレッド・ステュアによって制作されましたが、レーベルを悩ませ、かなりの物議を醸しました。実際、後者は最終的にMTVによって放送禁止となり、逆説的ですが、これが "Undertow" の注目を集めるきっかけともなったのです。ただ、両方のクリップが "Beavis and Butt-Head" で放映されたことも、その一助となったことは間違いないでしょうが。キーナンは当時、TOOL の存在をこう例えています。
「ダヴィンチが何を企んでいるのか、何を考えているのかを知らなくても、モナリザを鑑賞することができるはずだ。笑っているのか?しかめっ面をしているのか?」

幸運なことに、そうした反発のどれもが、アルバムの人気を妨げることにはなりませんでした。"Undertow" はメディアの賞賛を得て、1993年にはRIAAからゴールド認定を受けます(1995年にはプラチナ認定)。同じ頃、"Sober" のミュージック・ビデオはビルボードの "Best Video By a New Artist" を受賞し、"Prison Sex" のミュージック・ビデオは1994年のMTVミュージック・ビデオ・アワードで "Best Special Effects" にノミネートされました。
ジョーンズはこうした称賛を確かに受け入れながらも、名声と富は TOOL の主な目標ではないと告白していました。
「僕らにとって重要なのは......評価してくれる人々のために本物の音楽を作ることであり、ヒット曲を作ることではない」

ただし、問題も。ベースを弾くことに満足できずギターに持ち替えたがっていたダムールとバンドの間に摩擦が生じ始めていたのです。彼はまた、バンドがよりヘヴィな音楽を演奏することを望んでいました。そしてバンドの次のアルバム、"Aenima" 制作の途中で、創造性の相違があまりにも大きな障害となり、ダムールは解雇され、ジャスティン・チャンセラーが後任となりました。
「ポールは早くからギタリストになりたかったんだ。"Undertow" を始める前から、彼はギターを弾くために他のベーシストをバンドに入れたがっていた。でも僕たちはみんな、"このバンドにもう一人ギタリストを入れるなんてありえない" と思っていたんだ。彼は本当に今のままでは不満だった。時間が経つにつれて、それがどんどん明らかになっていったんだ」

今にして思えば、"Undertow" の真正性とスタイルの大胆さは、同時代の作品とは一線を画すと同時に、その後の TOOL の作品を予感させるものでした。
"Sober" と "Prison Sex" には、バンドの最も代表的なトレードマーク、現在の雛形があります。催眠術のようなパーカッション、悪意に満ちたベースライン、数式のようにシャープなギターワーク、露骨でありながら詩的なリリック、スペーシーなトランジション、繊細でありながら強靭な歌声…この2曲は以降の彼らの生々しいアプローチを実践していて、今でもバンドの2大トラックであり続けています。

他のシークエンスも負けてはいません。オープニングの "Intolerance"、そのサイケデリックなエフェクト、シンコペーションのオフビート、アグレッシブなヴァース、パームミュートの幾何学的リフは、バンドが2000年代に進む先を暗示しています。
さらに "4°" のカラフルなシタールのストロークは、"Fear Inoculum" や "Lipan Conjuring" の折衷的な楽器編成への道をたしかに開きました。そして、16分近い "Disgustipated" は、その長くてアバンギャルドな性質で、TOOL の未来を指し示したのです。

「大勢の人たちが表面だけを讃えて理解してくれないよりも、小さなグループが自分たちのやっていることを本当に尊重してくれて、本当に理解してくれる方がいい」とジョーンズはその時語っています。彼は、TOOL がモダン・メタル界で最も尊敬され、野心的で刺激的なアクトのひとつとなり、魅惑的で冒険的であると同時に学問的に謎めいた、完全に独特なケミストリーを持つようになるとは当時知るよしもなかったのです。

300万枚以上のセールスを記録し、30年経った今、"Undertow" は例え TOOL の最も完成度の高い作品ではなかったとしても、間違いなく彼らの最も重要な作品の一つであり、創造的で影響力のある存在として際立っています。サウンドとヴィジュアルに対するタブーを破り、メインストリームだけでなく、しばしば一緒に語られる同世代のオルタナティブ・ロックにさえも真の対抗策を提示した名品。

メタルであろうとなかろうと、後続のアーティストによりハードに、より奇妙に、より破壊的になる許可を与えたのです。ダニー・キャリーは言います。
「あのころの、いわゆるオルタナティヴ・バンドは、ラジオから流れてくるようなシンプルな小曲ばかりだった。少なくとも僕たちのバンドには、何か夢中になれるものがあると感じたね。僕たちは作曲をし、人々の感情を解放し、人々の精神に深い影響を与えるような、より複雑なアレンジを考え出そうとしていたから。もう少し頭脳的でスピリチュアルなものを共有したかったんだ。彼らはただ、ロックして酒を飲んでパーティーするための曲を作りたかっただけのように思えるね。僕たちはそれに代わる真のオルタナティブだと感じたんだ」


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