登野城祭事日記:獅子祀り
「登野城祭事日記」は、石垣島・登野城村の祭事係に新米として参加させていただいている佐藤(月刊まーる二代目代目編集長)の、日記兼備忘録です。
今回のトピック
獅子祀り
場所
登野城公民館3F
日時
2024年8月19日(月):17:00~
出席者
字会長 / 字副会長 / 獅子保存会 / 祭事顧問 / 祭事係 / 旗頭保存会 / 招待客の皆様
持ち物・服装
コーハナ、クンズキン着用
お盆送り日の翌日、8月19日、獅子祀りが盛大に行われた。
当初は公民館の前庭で開催される予定であったが、お盆期間中に降り続いた雨の影響で足場が悪いこともあり、公民館3Fでの開催となった。
獅子祀りというと獅子舞が注目されがちであるが、様々な祭事同様、ニンガイが行われるところから始まる。
昨年度から、獅子頭、弥勒の面の奉納殿が登野城公民館3階に移設されており、ニンガイもここで行われる。
ミィスースーとビギスースーの見分け方は、①ビギスースーの方がやや大きい②ビギスースーの方が上唇の盛り上がり方が大きい(急である)③ミィスースーの眉毛が内から外に向かって広がる三角形に近い形をしているのに対して、ビギスースーの眉毛は平行四辺形に近い形をしている④これらの結果、ビギスースーの方がよりいかめしい佇まいをしている。などである。
一番右側のミルク神の面は、12年に一度の結願祭の時以外は、この獅子祀りでしか見られない。
ニンガイの後には、参列された村の大先輩方との歓談、地謡の皆様の唄三線の上、斉唱などがあったが、それらに夢中になり写真を撮り忘れてしまった…。次年度以降の宿題としたい。
大先輩方との歓談の中では、自分が移住者の新米祭事係であることを受けて、過去の祭事について教えていただいたり、方言のイントネーションについてレクチャーをいただいたり、自分が最近習い始めた三線についてアドバイスをいただいたりと、大変ありがたい時間であった。
「方言をたくさん喋るようになれば、顔の筋肉がこっち(石垣)風になって、顔つきもどんどん島の人になるよ」と言っていただいたことが、なぜかとても心に残った。
そうこうしているうちに一般の観客の方々の姿もちらほらと見え始め、獅子舞の開始時間が近くなる。
獅子舞については、もはやお馴染み『登野城村の歴史と民俗』に記載された牧野清さんの説明が大変にわかりやすいので、引用させていただく。
お盆送り日の翌日に獅子舞を行うことで、グソー(あの世)に戻りきれなかった霊や悪いもの(悪魔)を、獅子舞が追い払うんだよ、と教えていただいた。
ちなみに豊年祭などに登場する獅子頭と、この獅子祀りでの獅子頭は異なっている。獅子祀りの獅子頭は「カンヌマイ」と呼ばれ、年に一度、この獅子祭の時にしかその姿を拝むことができない。
現在の獅子頭(カンヌマイ)はなんと昨年、275年ぶり(!)に新調されたものである。
獅子頭はデイゴの木で作られ、シィシィヌカー(胴体部分)は芭蕉の繊維で作られている。
以下に、『登野城村の歴史と民俗』に記載された、芭蕉の繊維の採取方法などについて抜粋する。(1975年当時のもの)
110人の人手で二日間(220人日!)という、スーマカシもびっくりの手間暇をかけられた作業である。
また、『八重山生活誌』には以下のように記載がある。
『八重山生活誌』の「竹の挟みべら」が、『登野城村の歴史と民俗』で触れられた「バソウピィキクダ」に相当するようで、以下のような記載がある。
バソウピィキクダ=芭蕉引き管、なのかな?と想像しつつ、その姿形を妄想する。
獅子舞づくりに想いを馳せていると、気づけば壇上には獅子と、4名の「カンター棒」たちが姿を現している。
カンター棒はじめ「棒踊り」の文化は沖縄各地に見られるようで、地域ごとに特色が大きく異なる。獅子舞と無関係なカンター棒(パイヌシマ棒)も多く存在するようである。
登野城では"意味不明な"歌ではなく、「スィーヤー、スィーヤー」の掛け声で、獅子を誘き寄せたり、宥めたりする。
獅子たちが舞台から客席へ降りてくると、会場は子供たちの阿鼻叫喚に包まれる。
獅子は病魔を追い払う、ということで、体が丈夫になることを願われた子供達が次々と獅子に噛まれていく。
ひとしきり獅子たちが大暴れした後に、カンター棒が再登場。
両手に持っている金色の球体のことを、「ムンダニ(物種)」と言うんだよ、と、一緒に獅子舞を見ていた大先輩方が教えてくださった。
ムンダニに獅子が、バクンッ!と噛みつこうとするシーンは特に迫力満点であるが、今回写真におさめることはできなかった。
「スィーヤー、スィーヤー」の掛け声とともに、最後は獅子につかまりかかって宥めすかす。その姿は迫力あるとともにどこかコミカルであり、神道でいうところの「荒魂、和魂」的な神様との関係性のにおいがした。
今回は生憎の荒天ゆえ屋内での開催となった獅子祀りであるが、考えてみれば、蛍光灯に照らされ、白金色に輝く獅子の姿が見られるのは、ある意味大変貴重な機会であったはずだ。
おかげで、その金色の芭蕉について深く想いを馳せるきっかけとなった。
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この記事を書いた人
佐藤仁
登野城村(超新米)祭事係。
大阪からの移住者
『月刊まーる』2代目編集長。
本業は、グラフィックやサービスのデザインなど。
自分の事務所に併設の私設図書館「みちくさ文庫」運営中。