冒険
私は生きるという言葉が嫌いだ。
この世の中にいると、色々と考えなくてはならなくて、
他の目が気になって、しんどくて死にたくなるからだ。
だから自分の中で生きていることを“冒険“と捉えるようにした。
人の運命っていうものは決まっていて、最後はみんな死が待っている。
でも、その死までの選択は沢山あってそれも自分で決められる。
その選択は間違えればゴールまで近道をすることになるし、
遠回りでたどり着く人もいる。
その大きな冒険には神様が仕掛けた落とし穴もあって、病気や事故などで落とし穴に落ちてリタイアしなければならない人もいるし、お医者さんが手を伸ばして引っ張り上げてくれることもある。
それだけじゃスリルはないなと神様は沢山の障害物やアイテムを散らばめている。
テストという障害物を拾ったら、勉強というアイテムが落ちていて、
そのアイテムを拾うか、拾わないかは自分次第。
学校へ行くという選択をすれば、その選択をした沢山の人と、バスに乗る。
卒業をすれば、他のバスを選んで乗る。それは飛行機かもしれないし、車かもしれない。
途中で下車する人もいる。
でもその人たちもみんなよりはスピードは遅いけど歩いて進んでいる。
後から来たバスに乗る人だっている。
一人暮らしをすれば、親の車を降りて、自分で運転することになるし、
自分でガソリンを入れたり、運転するのが嫌で親の車に帰ってくる人もいる
結婚をすれば、パートナーを乗せ、運転することになるし、
お父さんになれば家族を乗せた車をずっと運転し続けなければならない。
その大きな冒険の最中にも、小さな挑戦は沢山していて、
お箸というアイテムを拾った人は、お箸で食べれるようになり、
鉛筆というアイテムを拾った人は、勉強ができるようになって、
スマホというアイテムを拾った人は、連絡を取ることができるようになる
足が速くなるアイテムを拾った人は、陸上競技をしてみたり、
字が綺麗になるアイテムを拾った人は、習字をやったりしている。
各自のペースでアイテムをレベルアップしながら、冒険を進めている。
人それぞれの選択はあって、その選択の先に結果はもうわかっているってこと。
でも、途中で拾うアイテムによっては、途中で出てくる道を変えれば、結果は変わるということ。
これを『運命』というのだ
何が言いたいかというと、
人は生きているだけで大きな冒険をしていて、
スポーツをすること、学校へ行くこと、会社に行くことなどは冒険の最中にある小さな障害物だということ。
その障害物に躓こうが、冒険は終わらないということ。
でも、挑戦者は先の見えない道を歩いているから近道もしたくなるし、
1つ1つの障害物が大きく見える。
そんな時は他の挑戦者に攻略法を聞いてもいいし、ちょっとくらい障害物の前で休んでもいいし、アイテムを探したり、磨くことに集中してもいい。
各自のペースで、冒険が終わるまでは前に進むこと。
寄り道をしてもいいから、2人で肩車をして障害物を乗り越えてもいいから
神様が与えてくれたスリルを楽しもうと思えば
どんな障害物だって少しは楽に感じることができるかもしれない