まるめろの木

中3で拒食症/その後過食症との闘い30年以上/愛息子2人

まるめろの木

中3で拒食症/その後過食症との闘い30年以上/愛息子2人

最近の記事

過食症とは精神を破壊する病。自己肯定感とか自信とか

過食症が一番恐ろしいのは、自己肯定感が根底から破壊されていくところではないだろうか。これは「食べる」ということから回復したその後の人生も徹底的にむしばんでいく。 過食症とは「できない自分」を積み重ねて健全な精神を破壊していく病であると思う。 自分が立てた目標=食べる量 のコントロールが効かなくなる。目標未達成を繰り返す毎日。 気づけば私は「決めたことができない」「自分はできない人間である」「能力がない」「価値がない」と自己否定しながら生きていくようになった。 誰かに

    • ネイルと深爪と自己肯定感

      ネイルは私に「ふつうのおんなのこ」になる夢をみることを許してくれた。 長らく摂食障害だった私にとって「ふつうのおんなのこ」というのは強烈な憧れだった。わたしだって、「ふつうのおんなのこ」みたいに恋をしたり、青春を謳歌したり、進学のために努力したり、将来に夢を持ったり、そういう「ふつうのこと」がしたかった。でも全部それは私には無理なんだ、私には許されないことなんだ、ってあきらめてた。 摂食障害っていえば、ガリガリの姿とか、嘔吐、下剤の濫用、むくみ、その他、、、どちらかという

      • 都知事選、めっちゃおもしろかった。安野さん。

        都知事選は予想通りの結果だったけど、2位以下がめっちゃおもしろかった。今回の選挙は、未来に希望が持てる気がした。都民、捨てたもんじゃないなと思ったよ。 安野さんを見つけたのは都知事選、投票日前日の夜だった。 誰に入れるか決めかねてて、何となく目に入ったのが、奥さんの演説だった。 何だこれは?よくわからないけど、ここまで言わせる人の本体の演説は何なんだ?と思った。でもXでは奥さんの演説までで動画切れちゃってたから笑、じゃー政策は?と思ってマニフェストを見てみることにした。

        • ひさびさに。言いたいことや書きたいこと。

          なんか、このアカウント、もう少し自由に何でも書いてみようかなと思った。 摂食障害の人に役にたつ、とか、拒食や過食にThemaを置いたものにしようとかいろいろ思ったけど、がんばろうとしすぎた。 もっとてきとーに、好きなことや言いたいことつらつら書こ。 最近、仕事減ったわけじゃないし、でっかい事件は起き続けてるのに、前より追われてる感がないのは、セミナーや執筆がないからかなと思ってみたり。私にとって、人前で話をすると言うことがどんだけ負担が大きかったんだろうかと思う。 よ

          亡霊との決別

          大学の同窓会でした。 正直行くまでは心が重くて。 なぜなら、大学時代はあまりうまく人と関われなかったから。 摂食障害ど真ん中だったから、いつも、友だちと一緒にいても、こんな私はきっとつまらないに違いない、とか、うまく関われなかった。 そのゼミは、大学の中でもキラキラしている人たちが集まっていて。ミスコン一位とか。だからいつも、対等じゃない気がしてて、気おくれしてて。 だけどようやっと、そういうのから解き放たれた気がした。 私なんか、っていう気持ちがいろんな物事を遠ざ

          摂食障害の軌跡まとめ。始まりから解放まで。

          回復と呼べるのかどうかわからないくらい長い期間にわたりすぎているのですが。時々「どうやって回復しましたか?」というようなご質問をいただくことがあり、その都度あまりうまくお答えできなくて大変申し訳ないのですが、、、わたくしの経験ならおつたえできるのかも。ということで。 以下、記憶がおぼろげなので、記録もなくて、多少時系列ずれてるかもしれません。それはゆるしてくださいね。身長は154cm前後くらいです。 【拒食期】 ■中学2年の冬から、食べるものの制限が極端になる。  きっか

          摂食障害の軌跡まとめ。始まりから解放まで。

          精神科の診察

          診察は毎週月曜日の午前中だった。 最初に、いろいろ検査をした。その結果、CTで見たら脳が萎縮していることがわかった。 「こんなこともあるんですね」と先生も少し驚いたようだった。今ネットで調べると低体重と脳の萎縮についての記事がいくつかみられるけど、当時は先生も知らなかったみたい。 これが一時的なもので終わったのか、現在に何かしらの影響を与えているのかはわからない。でも、拒食症前後では、一見の身体は回復したけれど、それまでの記憶していた自分とは頭の使い方がまるで変わってし

          精神科の診察

          不登校、そして母の監視。

          しばらく保健室に通ったりをしていたけど、2学期のいつごろからか、だんだん学校に行けなくなった。体力がなくなりすぎて、すでに学校まで歩くことすら辛くなっていた。 寝る時間以外は、ずっと台所にいた。 当時暮らしていた家は狭くて、台所の床の上にちゃぶ台を置いて、そこでご飯を食べたりしていた。テレビもこたつもそこにあった。 台所は6畳くらいだったのかな?水回りと、冷蔵庫、食器棚、炊飯器、3段カラーボックス2つ程度、テレビ、ごみ箱、そこにちゃぶ台を置いたらそれだけでいっぱいになっ

          不登校、そして母の監視。

          思春期やせ症

          当時まだ「摂食障害」という言葉はなかった。いや、あったのかもしれないけど、私は知らなかった。「拒食症」という言葉はかろうじてあったかな。 その代わり雑誌などでよくみかけたのは「思春期やせ症」ということばだった。週刊誌には、ガリガリの女の子の写真が掲載されていた。 カレン・カーペンターが拒食症が原因でなくなったとか。カレン・カーペンターってだれ?そういう人がいたんだ。ふーん。洋楽に興味のなかった私にとってはそれも衝撃ではなかった。 思春期やせ症の原因?大人になることへの拒

          思春期やせ症

          初めての精神科。

          中学3年の2学期、9月くらいだったか? 父が突然言いました。 「病院いくぞ」 「え?」 そうなんだ。。。よくわからないけど、ほっとした。なんだか、助けてもらえる気がした。 父が運転する車に乗って、父と母に連れられて。地元の大学病院に着いたのは朝9:00くらいだっただろうか。確か、月曜日。病院はとても混んでいて。 精神科の入り口にはそこだけガラス扉があって、その扉を開けないと入れないようになっていた。けれど、普通の病院と違っていたのはそこだけで。「精神科」ときいて今ま

          初めての精神科。

          【現在】

          ~中学2年生の途中、転校する前まで。ちゃんと生きてる、って気がした。後から思い返すと、それは小学校3~4年までくらいまでで、小学校5年生くらいから序章は始まっていたようだけれど。 それでも、生きてた。将来に夢をもってくらす、普通の子だった。 中学2年生の秋、転校してから~大学入学まで。そこは闇でしかない。 そして大学入学から就職まで。ずっと自分を卑下してくらした。過食症と闘い続け、何をするにも「こんな私なんて」がつきまとい、何をやってもうまくいかない。 就職してから、

          夏休み。叔母の家に滞在する。

          どんどんやつれていく娘。食べろと言っても食べない。何を言っても聞かない。母も追い詰められていったのだと思います。 「だいたい、パンの耳かじるようになったころからおかしいとおもってたんだわ!!」 けんかばかりでした。 そんな中「東京のおばさんちにしばらく遊びにいってこない?」と言われました。母の姉です。あまりに悩んだ母がいろいろ相談して、一旦環境を変えて距離を置いてみたらどうかと。東京で預かるよ、という話になったようです。 「東京のおばさんならあんまりうるさいこと言わな

          夏休み。叔母の家に滞在する。

          中学3年の1学期。だんだん見た目にも異様になっていく。

          中学3年になって、クラス替えがありました。 今まで仲良しグループだった子とはクラスが分かれ、休み時間などは別の子と一緒に行動するようになりました。教室移動やお昼ごはん、一人ではないのですが、なんとなく居場所がない感じが続いていました。 春には修学旅行がありました。その時も気になったのは食べ物のこと。せっかくいい感じで体重減ってきたのにここでペースを崩すわけにはいかない。どう対応しようか。 新幹線や別のところで友達からおやつを「食べる?」と言われるたびに「ありがとう」と受

          中学3年の1学期。だんだん見た目にも異様になっていく。

          食べないことを隠すようになる

          だんだん、食べる前にグラム数を測ることが習慣になり、カロリーが分からないとものを食べられなくなっていきました。 このごはん茶碗は@グラムだから、この秤に載せてごはんと合わせて合計@グラムならおっけー、という感じです。毎回測るんです。 その頃ちょうど、パンの耳を食べるのが自分の中ではやっていて、1単位=30グラム分を測って食べるようになっていきました。 この頃になると、少しずつ、自分が食べている量を隠すようになっていました。なんだろう?食べる量を減らしていることのうしろめ

          食べないことを隠すようになる

          鍋とカロリーブック

          転校して少し落ち着いたころ、冬がやってきました。 夜は鍋ものになることが多くて。 長ネギのおいしさに目覚めて長ネギをたらふく食べて。そんな生活をしていたある日ふと、体重が減っていることに気づきました。 これ、いいんじゃん?そこから、鍋の時は野菜ばかり食べるようになりました。 ちょうどその頃だったでしょうか。我が家に糖尿病用のカロリーハンドブックと調理用はかりが登場しました。糖尿病だった父のために母が購入したものです。 糖尿病では80Kcal=1単位として、その人の状

          鍋とカロリーブック

          達成感。期末テストでいきなり10位以内。

          前の学校では、成績はいつも学年で5番以内くらいでしたが、転校先で初めて受けた12月の期末試験は学年で100位くらいでした。でも、それは全く気になりませんでした。田舎から県庁所在地に来てレベルが高くなっていることも覚悟していましたし、転校したばかりで使っている教科書も授業の順番も異なり、前の学校では習っていない部分がテスト範囲になっていたりしたからです。まあ、しょうがないよね。くらいで。 年が明けて3学期の期末試験でも、そんなに気負ってはいませんでした。 ただ当時、どうして

          達成感。期末テストでいきなり10位以内。