ひさびさに。言いたいことや書きたいこと。
なんか、このアカウント、もう少し自由に何でも書いてみようかなと思った。
摂食障害の人に役にたつ、とか、拒食や過食にThemaを置いたものにしようとかいろいろ思ったけど、がんばろうとしすぎた。
もっとてきとーに、好きなことや言いたいことつらつら書こ。
最近、仕事減ったわけじゃないし、でっかい事件は起き続けてるのに、前より追われてる感がないのは、セミナーや執筆がないからかなと思ってみたり。私にとって、人前で話をすると言うことがどんだけ負担が大きかったんだろうかと思う。
よっぽど人前にでることが苦手だったんだろうね。でも、物事成すにはポジション持ってる方が圧倒的優位だし。やりたいことあるなら手段としては権力持った方がいい。
やりたいことあるなら人目にはついた方がよいし、そう言う意味では感謝しかない。
そうして、引きちぎれるような気持ちになりながらひとつひとつ乗り越えていくのを成長というのか。
落ち着いて心が楽になった気がしているのを衰退というのか。
基本、自分に自信がないから、まず構成が思い浮かばない。言葉が出てこない。手が動かない。
必死に絞り出して、形にして。
そしてどれだけ準備しても、足りないような気持ちになって、ずーっと頭から離れなくて。
予定も入れられなくて、人付き合いも疎遠になり、家族をほったらかしにし、そう言う自分が嫌で、さらに自己嫌悪に陥り。
そういうのを超えたくて、数やったら慣れるかなと思ったけど、少しは慣れたけど苦しさは変わらなかった。
やればやるほど、外からの見た目は褒めてもらうことが増えるからさらにギャップがあって。
なぜだか知らない人が私のことを知ってて、憧れですとか言ってくれるひとがいて、それは嬉しくもあり、苦しくもあり。
わたしはそんな私じゃない。
見られている自分と自分が思う自分に乖離がありすぎて、苦しかった。でも、言われれば言われるほど、期待に応えなきゃと思って、期待に応えられる自分になろうと努力した。でも、自分のキャパを超えなきゃと思うから苦しい。そして期待に応えられるとまたハードルが上がって、また自分の虚像ができあがってまた苦しい。
人はそれを成長というのか?
じゃあ、何のために成長するのか。
人は、誰かのために何かのためにと思うとがんばれる。でも私はそれが言語化できないから、求められるまま、求められる像にならなきゃいけないと思って、あがく、あがく。
そしてその結果、家族が蔑ろになっている気がして、凹む。
自己肯定感のひくさ、って、変わらないんだなとおもう。
こういう気質が、摂食障害を呼んだんだろうなと、おもう。
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