思春期やせ症

当時まだ「摂食障害」という言葉はなかった。いや、あったのかもしれないけど、私は知らなかった。「拒食症」という言葉はかろうじてあったかな。

その代わり雑誌などでよくみかけたのは「思春期やせ症」ということばだった。週刊誌には、ガリガリの女の子の写真が掲載されていた。

カレン・カーペンターが拒食症が原因でなくなったとか。カレン・カーペンターってだれ?そういう人がいたんだ。ふーん。洋楽に興味のなかった私にとってはそれも衝撃ではなかった。

思春期やせ症の原因?大人になることへの拒絶?女性らしさの拒絶?全然ちがうし。早く大人になりたいし、胸だって大きくなりたいし、生理だって早く来てほしいと思ってた。彼氏も欲しいし。アイデンティティのなんとか?アイデンティティってなによ?

書かれていることのどれもこれもが的外れでピンとこなかった。母との確執?ん-、まあ、母のことは嫌いだったけど。で?

雑誌の中の記事は自分とは別の世界のことのような気がしていた。

病院にいった後、学校に行ったら保健の先生が明るく「なんだー、どうせ行くなら木曜日行けばよかったのにー(^^)。木曜日なら思春期外来あるのよー」と言った。

へえ、そんなのがあるんだ。ま、いっか。

その頃、いつしかなぜだか保健の先生と時々話すようになっていた。辛ければ保健室に行ってもいいんだよ、みたいなことを言われて、なんとなく行ってみたのが始まりだったような気がする。別に、辛いつもりは全然なかったので、周りの大人がだんだん私に気を遣うように接してくるのが不思議だった。本人は、周りが心配するより元気だと思っていた。

でも気持ちの元気さとは別に、体は骨と皮だけだったので、肉体的、体力的にはどんどんつらくなっていった。

教室の椅子は木だったので、授業中お尻の骨に当たって痛くて、座っているのが苦痛になった。それだけでなく、単純に、授業中、座っていることそのものが辛くなっていった。

外を歩くと足の裏の骨がぐりぐりアスファルトに直撃されるように感じて痛くて、歩くのがつらくなった。一歩一歩、痛い。痛みをかばうのと体力がないのとで、ゆっくりしか歩けなくなった。今までの靴はだんだんぶかぶかになっていった。やせると、足も小さくなるんだなー。

ある日、毎日一緒に登校していた友達に伝えた。

「ごめんね。ちょっと、一緒に学校行くのがつらくなってきて。明日からい一緒に行けなくなった」

「あ、うん。わかった」

言った後、ほっとした。これで一緒に通わなくてすむ

友達は「やっぱり」という感じと、でもそれを感じさせないように気を使ってくれてるんだな、という風に、明るく答えてくれた。ちょっと胸が痛んだ。

そのあたりから、だんだん保健室によく行くようになった。学校に行きたくない気持ちもなかったし、自分は全く普通のつもりだったけど「授業受けなくても保健室でもいいんだよ」なんて言われてしまうと、怠け心というか。保健室で寝てる方が楽だし。最初はその程度だった。

そこで初めて「保健室登校」という言葉を知った。世の中には、授業には出ないけれど保健室には行く、というのがあるとは知らなかった。

へえ、そういうのがあるんだあ。という感じ。

保健室には、他にも決まった女の子たちがよく訪れていた。髪の毛が茶色くて、ちょっと怖そうだなあ、不良っぽいなあ、と遠くから見ていた子たちだった。

保健室の先生は彼女らと友達のように話していた。彼女たちも屈託なくしゃべっていた。私にもなんのへだたりもなく接してくれた。不良っぽいなあ、なんて思っていた自分を恥じた。

学校が嫌なら登校しなければいい。でも、彼女たちはここには集っている。学校に来たくないわけじゃないんだ。ここは、わけへだてなく、フラットなんだ。

保健室は、光が差し込んで、ぽかぽかして、女の子たちの笑顔があって、温かかった。

最初は、なんとなく行ってみた保健室だったけれど、一度行き始めると、だんだん通常の教室に行くのが恥ずかしく、気まずくなってしまい、だんだん保健室にしか行かないようになっていった。

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