MARIOKA
雑記帳
英語に触れると別人格が発動するので、その部分。
インドの表層しか触っていないんで深いことは言ってません。
純粋芸術とかアートは芸術ではないとかアートは終わってるとかスーパーフラットで展覧会とか、どうでもいい話。正確に言えば「描いてる時」はどうでもいい話。・・・それが、作品が出来上がった後はどうでもよくない話に変わる。 それが私だった。 注文が先にあって後から絵を描けば、それで文句なし、ってわけでしょう?お金にならないことを夢中でやってるのを笑いたければ笑え。絵は描きたいから描くんであって展示会目的で作品を制作するって苦手だ、ましてお金のために描くなんて、できようもない。・・・
この地上で息してる間にしか 感じられないことがたくさんある 体があるっていろんな苦しさを持ち込むけど 爽快な時だってたまにある お土産って そこに行ったことのない人にも楽しかったことをお裾分けすることだし お土産はもらった人にも喜んでもらうものだよね 死んでからも持っていけるのが自分の体験なんだとしたら やっぱり「こんな素敵な体験だった」がお土産になるよね たとえ地獄だろうが天国だろうがどんなところに行くとしても 「こんな嫌なことがあった」なんて、やっぱりいやげ物だよね
「失敗しました。」 私はそう言う癖がある。 ところが、バイト先が医療関係になってから仕事中「失敗」って言うのは患者さんの前で厳禁になった。失敗しても、代わりに「もう一度お願いします。」と言うようになった。 仕事じゃないと気にしなかったけど、普段でも言葉を置き換えてみようか、と思った。 そう思ってみると、一日何回も「失敗!」って言ってた自分に気がづいた。 それもほとんど、リカバリできることについて。 縫いつけた名札の位置が曲がったのを「失敗しちゃった。」と言った。その後
本当の私というものは普段とはちがったところにいて、何か特別な時に顔を出すものだという考え。私にもそういう考えに駆られていた時期があった。特別な時の私が思いを強くすると、普段の私は嘘なんじゃないかって考えがパラレルで持ち上がってくる。でも日常と非日常どっちも私なのだ。分離はない。
最後の投稿から一年半過ぎてるのか!2021年の抱負は全く守れず草 この年7月にコロナ陽性になって。それから1年経った今2022年7月になっても自閉強まった。うん。まぁ、このほうが私らしいのかもな。・・・え?バレてた?
2021年がはじまりました。 〝はじまり〟は新しさを約束しているわけではないけど元気づけてくれます。 人や社会 地球や天体 それらと自分が交わる点 自と他 それぞれの軸の動きの交点があって 初めて 時の流れを知る 時節 とは みんなで一緒に 気持ちをリセットすることかな それ案外と意味のあることなんだ いま いろんなリセットが起きている 何を感じてますか? 私は 存在している世界に恩を感じます。 今年の抱負。 汗って余裕のない時こそ 笑顔で! 笑顔で
Endeavour (努力、と一般に訳される)を使う状況=未完であるということが示されている。 チベットの仏教の教え(ダルマ)はタントラ(経)であるため師(グル)からの直接的な伝授で伝えられるという。弟子として師に受け入れてもらえるまでに数年かかることも多いという。その間に、弟子となるべく努力をするのだが、必ず師に受け入れられる保証はない。晴れて弟子になれたとしても解脱に至れる保証も、またない。 それでも、結果に執着せずに淡々とした努力を続けているうちに、こころは成長す
正しくあろう、とするそれ自体は悪くない生き方だけども結果が出ないことも多い。いちいち、正しさを考えてたらキリがない。明るく 軽快に シンプルに いこう、今日も。
#祈り 友からメッセージをもらいました。✨ Om...は 日本語では 「すべての生きとし生けるものが幸せでありますように」です。 ✨ ーーー 「22時の祈り」 知人が22時に数人で「Om Lokah Samastah Sukhino Bhavantu 」を108回唱えるという事をしていて、去年の夏にアンマからも祝福をして頂いたそうです。 今、世界の為にみんなで祈る事はとても重要だと思います。この3週間が特に重要らしく、この時期真摯に祈る事により、状況の改善の可能性があるとア
老いに抗う、という 必ず負ける戦いに参加するのは嫌だ。
ここ3日くらい、うっすらと頭痛がある。 頭痛といっても・・・わたしにとっては物心ついた頃からいつもひっそりと潜んでるわたし、なので持病と呼ぶには他人行儀というかあまりにも馴染みがありすぎる。 それでも、ラージャ・ヨーガで姿勢を整えるようになったこの5、6年は、急激に痛みに襲われて吐いてぶっ倒れるような醜態を他人にさらすことなく、コントロールできるようになった。そして、1年位前から頭と首の位置を、正しい骨格配置へと徐々に自力で矯正している、せいだと思うのだが、頭痛のときの
ときどき、読み返したくなるのはガルシア・マルケスの短編小説。「予告された殺人の記録」が好みではあるけれど、自分の体験をうっすら重ねることのできるエレンディラのほうが印象は強めだ。 ガルシア・マルケスの名を知ったのは、大学卒業し社会人になったばかりで或るひとから薦められたから。だけど「百年の孤独」は最初の1ページで『もう、無理!』と思った。 ポドロフスキーのホーリー・マウンテンも好きで学生のとき映画館で観たくらいだし、宮内勝典が好きでラテンアメリカの空気感は慣れてたずなのだが
1月17日の先生との対話記録。 インド占星術における「わたし」の取り扱いの基礎であり、日本におけるアイデンティティ産業の流れについて。 M:はわたしのあいづち + + + + + + + + + + + + 自分が苦しいってのはさ。アイデンティティっていう幻影にしがみつこうとするから苦しい。 M:自分は本当はどっちの人間なんだろう?とかですね。 本当の自分、っていうのが意地悪な罠みたいなもんでさ。 「それ以外は本当の自分じゃない」っていうかたちで排除する苦しさを
とても好きな唱歌。
小学生のときからカミングアウトしてる友達がいたせいか、なんか他人ごととは思えないLGBT。このおおざっぱ過ぎるネーミングも好きでないってのもあるし、真夜中の弥次さん喜多さん知ってる人ならわかるとおり、日本って同性愛については欧米から輸入した自由なんか要らなかったんじゃないかと想像する。✖️✖️が絶対悪という教義自体が存在しないところでは、✖️✖️が世間から抹殺される要因になりはしない。 そのうえで、この記事(ジャックさん、生前はよく拝読していたブログ)を改めて読んでみた。