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イアン・マキューアン5作の初読と再読と積読と未読を巡るこの夏の記録

1『Machines Like Me』(『恋するアダム』)2019年

朝、ウォーキングのお供にアマゾンのオーディブルで小説を聴き始めて7カ月。ふと、昔数冊読んだことがあったイアン・マキューアン(Ian McEwan)の作品は無いかと探してみたら、2019年に出た新刊が目に留まった。『Machines Like Me』(邦題『恋するアダム』)だ。

カズオ・イシグロの『Klara and the Sun』(『クララとおひさま』)を読んだところだったから、同じくAI搭載の人型ロボットを巡る空想小説という、その設定に飛びついた。1ヵ月ほどかけて英語で(多少再生速度を遅くしながら)聴いて、ストーリーはとても面白くて心が揺さぶられる経験だったのだけれど、マキューアンが背景として選んだ1980年代のイギリスの政治・社会状況について私の知識が追いつかず(なぜAIロボットの話をあの時代のパラレルワールドに設定する必要があったのか、という根本的な問いも残り)、そこだけが心残りとなって、いずれ和訳をちゃんと読むことに決めた。

それがまだ読めていないので、感想を記すのはおあずけになっている。いずれ、また。

2『Amsterdam』『アムステルダム』1998年

マキューアンに再び惹きつけられた私は、続けて、自宅に新潮クレスト・ブックス版が残っている『アムステルダム』の英語版をオーディブルで聴くことにした。なにせ翻訳書で読んだのが2002年のことなので、なにやら記者とか編集者の話で、たしか安楽死に関わるストーリーだったなあ、ぐらいしか覚えておらず、ほぼ初読と同じぐらいの驚きと感動をもって聴き終えた。なるほど、この作品でブッカー賞を取ったのも大いにうなずける。

せっかくなので、と埃をかぶっていたクレスト・ブックス版も出してきて、毎晩就寝前に読み進めた。20年近くも書斎の書棚の同じ場所でずっと開かれるのを待っていたのかと思うと、妙にこの本がいとおしくなる。ずっと閉じられていたのに、長い年月によって全ページが茶色く変色していた。最近購入した同じクレスト・ブックスの本と並べてみたら、その違いが明確にわかる。

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キャリアで成功した熟年男たちの、友情と裏切りにまつわる話。倫理的であるとは何なのか、を問いかける話でもある。人は自分の関知できない出来事に偶然に遭遇し、それがその時の行動と感情に作用し、その結果、長年の友情も憎悪へと切り替わってしまう。それも、すべてはタイミング。「そこ」へ行ったのがほんの数十分ずれていたら、人生はまた違う展開になったかもしれない…。残酷とも滑稽とも言える、そして数奇に見えて実は普遍的にも思える、人生と人間関係の紆余曲折が見事に紡がれた傑作だと思う。

3『贖罪』(『Atonement』)2001年

もう1冊、昔『アムステルダム』の2年後に読んだのが、この、おそらくマキューアンの中で最も評価が高く有名な作品だった。衝撃的な内容に、『アムステルダム』と違って、そのストーリーをはっきり覚えていた。その後映画化され(「つぐない」2007年)、それを観ていたこともあって、イメージも鮮烈。ただ残念ながらオーディブルにはラインナップが無く(なぜ!?)、しかもなぜかうちには単行本が見当たらず、いずれ新潮文庫で買って再読したい!と、これまたわがウィッシュリストに載ることになった。

さて、この『贖罪』についてネットで調べていたところ、映画「つぐない」で主人公ブライオニーの少女時代を演じた印象的な子役がシアーシャ・ローナン(当時13歳)だったことを知った。たまたまネットで映画「ストーリー・オブ・マイ・ライフ~わたしの若草物語~」(Little Women/2019年)を観た直後で、主人公ジョーを演じたローナンがとても魅力的で心惹かれるものがあった。

そのシアーシャ・ローナンが、『つぐない』に続き二度目のマキューアン原作作品に出演していたことも、同時に知った。ならば、次はその作品を読まなくては…!ということで、これも残念ながらオーディブルにラインナップが無かったので、新潮クレスト・ブックス版の中古を取り寄せた。

4『初夜』(『On Chesil Beach』)2007年

それが、この『初夜』だ。「チェジル・ビーチにて」を意味する原題を無視してこの日本語タイトルをつけた訳者あるいは編集者は、また相当勇気があったと思うけれど、映画のタイトルはさすがにそういうわけにはいかず「追想」(2017年)となっている(映画の原題は原作と同じ)。

まず原作(日本語訳)を読み終えて、昨日ようやくアマゾン・プライムで映画も見た。「若草物語」の撮影時よりおそらく2歳ほど若いシアーシャ・ローナン、美しく可憐で、心優しくも芯の強いヒロイン、フローレンスのイメージにぴったりだった。映画も原作同様、1960年代初頭に結婚式を終えたカップルのホテルでの夕食の場面からその夜の出来事を追いながら、それぞれの家族の生活、二人の出会いから愛情をはぐくんでいく日々のエピソードが差しはさまれていく。

これ以上何を書いてもネタバレになりそうなのでストーリー展開には触れられないけれど、これまた私はけっこう好きな作品だと思った。たったひとつの出来事が、いやたったひとつのある態度が、その後の運命を決めてしまう、その恐ろしさたるや…!(『アムステルダム』や『贖罪』と共通のテーマ?) けれども、いや、それは本当にたったひとつの出来事だけが原因なのか? そこに至るまでにも密かに積み重なっていた要因があるのではないか? いやいや、たとえそうであっても、どちらに転ぶかは、やはりその日その時の出来事に左右されるのではないか? ――読後はそんなふうに思いをめぐらせることになる。

そして、ここに来て確信したのが、マキューアンという人は政治・社会的要素をかなり目立つ形で書き込む作家だということだ。最初の『Machines Like Me』ではフォークランド紛争とその後の政治状況、『Amsterdam』ではもろに政治家が重要人物として登場し、新聞社の編集者が政治家をどう扱うかが主要なストーリーになっている。そしてこの『初夜』では核兵器廃絶を目指す市民運動の集会が二人の出会いの場であり、ホテルのロビーでかかっているラジオでも核兵器に関するニュースが伝えられ、家族との確執を示す場面にもこの話題が登場する。マキューアンが特に政治的なのか? それともイギリスという国の文化が、日常生活に政治社会的話題を溶け込ませているのだろうか。

そしてもう一つ、『Amsterdam』同様、この作品には野心的な音楽家が登場する。花嫁フローレンスその人だ。富裕層の彼女が自ら率いる弦楽五重奏のユニットで活動し、労働者階級のエドワードが大衆音楽であるジャズやロックしか聴かないというのもステレオタイプに見えるけれど、案外50年以上も前だと本当にそうだったのかもしれない。

5『愛の続き』(『Enduring Love』)1997年

さて、実は新潮クレスト・ブックスのマキューアン作品はうちにもう1冊あって、これは『アムステルダム』の直後に読んでいたようなのだけど、内容はおろか、読んだことさえ覚えていなかった。そのこと自体が自分にとってはショックだった。けれど、マキューアンにこの夏突如としてハマった私は、これは再読(ほとんど初読だけど)してからでないと次に進めない、と判断した。というわけで、今はこの『愛の続き』を読んでいる。

まだ序盤なのだけど、これがのっけからかなり衝撃的なシーンが展開する。主人公が気球の事故に巻き込まれ、他人の死に直面することから物語が始まるのだ。そのあたりは、夜寝る前に読むと目が冴えてきてしまって困った。読了してから、また感想を書くかもしれない。

ひとつどうしても気になっていることもある。原作タイトルの『Enduring Love』と訳書の『愛の続き』の意味は、似ているけれどイコールではない(前者の意味はどちらかというと「続いていく愛」だと思う)ので、なぜ邦訳のタイトルがこうなったのか、が疑問だ。ストーリーだけでなく、これも確かめなくては、と思っている。

そして、この作品もやはり映画(「Jの悲劇」原題は原作と同じ/2004年)になっているらしい。怖いけど…観てみたいかな。

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というわけで、この夏はいつのまにか「ひとりマキューアン祭り」になっていて、秋の声を聞いてもまだまだ続いている。マキューアンのストーリーは、破天荒とも奇想天外とも違うのだが、「どことなく変」な話が多い気がする。インテリっぽい叙述が続くかと思えば、いきなり暴力的な描写があったりする。ちょっと奇妙で滑稽で、よく考えると怖い。唯一無二の高評価や人気を得ているのもうなずける。

『未成年』『ソーラー』『土曜日』など他の作品も、どれもそれぞれに全く違うテーマを扱っていて、なかなか面白そうだ。できれば全作読んでみたい!と、現時点では思っている。現代英国作家でマキューアンと並び称されるイシグロは、寡作なので全作読むのはさほど難しくなかったけれど、マキューアンを読み尽くすのはなかなか時間がかかりそうだ。


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