やっぱりいつも答えは自分の中:2021年12月10日(世界人権デー)
窓のない部屋で生活して今日で7日目/最終日になりました。
隔離生活も今回で4回目です。
そのうちの2回は日本の実家での自宅隔離、マレーシアでは政府指定のホテルでの隔離は前回は14日間、そして今回は一番短い7日間。
窓がない部屋から一歩も外に出られないという経験は、なかなかできるものではありませんね。
幸いにもWi-Fiが安定して接続できて、食事もそれほど悪くなく、仕事もいい感じに他のことを考える暇もないくらい忙しくなったので、あっという間に時間が過ぎました。
こうして外からの刺激がなく制限された生活というのも、日ごろの生活での自分の周りの「ある」ことへの感謝、そして「なくてもいい」と思えることを整理できるので、心のリセットのためにも定期的にやってもいいかもしれないとも思います。
実家での隔離生活では、家族と沢山の話ができました。
隔離中は仕事もフルリモートで集中してできたので、この仕事(IT)やってて良かったと思っていると、不思議と仕事の成果も出ました。
Kindle Unlimitedを契約して沢山の本と出会えて、オンラインでどこからでも繋がれる勉強会もある、LINEや電話で友人や家族とは話ができて、noteを書く時間もあります。
「自由がない」「時間がない」などの「ない」という環境は、「ある」という視点への転換に必要な場合もあるかもしれません。
仏教用語で「知足(ちそく)」という言葉があります。
「足るを知る」という意味ですね。
私自身も「あれが欲しい」とか「人から好かれたい」とかいう欲はもちろんありますし、自分でもまぁまぁ強欲なほうだと思います。
「欲」は活力にもなるので決して悪いばかりのものではありません。
でも、欲にかられる前に、今一度自分が持っている、既にあることをまずは見ていけば、意外と近くに本当に大事なものが見えてきたりしますね。
12月10日は世界人権デー。1950年の第5回国連総会で制定された国際デーです。「世界人権宣言」がフランス・パリで採択された日で、この宣言は、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」で始まる全30条と前文からなります。
マレーシアでの隔離生活の話を日本の友人にすると「マレーシアでは人権がないんだね」と言われたことがあります。
「外に出られる自由」は確かに隔離生活ではありません。
でも、その代わりに自分が得られたものは何もないのでしょうか。
また、人権は義務がない代わりに「他者の人権を侵してはならない」という制約があります。
色んなことに共通しますが「欲」を言ってはきりがありません。
代わりに得られたものがあるはずなのに、「もっともっと」と言っていては、それはただの我儘になってしまうかもしれませんし、心も疲れて果てていってしまいます。
「他者の人権を侵さない」ということは、人それぞれで捉え方が異なるのでバランスが難しいところもありますね。
自分の人権を主張するような場面では、他者の存在を忘れてしまってはいけません。
世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。
私たちは互いの関係で生かされている存在であること、そして自分の心だけはいつまでも自分と一緒です。
やっぱり答えはいつも自分の中にありますね。
さて、それでは週末は1か月ぶりにマレーシアの家に帰ります。
皆さまも良い週末をお過ごしください。
本日もお読みくださりありがとうございます。