今「こころ」を再読してみて思うこと:2022年2月21日(漱石の日)
2月21日は文豪・夏目漱石が明治44年に、文部省からの文学博士号授与を辞退したことから漱石の日と呼ばれているそうです。
夏目漱石といえば、「吾輩は猫である」や「坊ちゃん」、「三四郎」など多くの文学作品がありますが、私が一番心に残っているのは「こころ」です。
中学校の時の国語の授業で取り上げられたからかもしれません。
「こころ」は親友Kを裏切って好きな女性と結婚した先生の話。
当時は「中学生になんてものを読ませるんだ」とモヤモヤした思い出があります。
「こころ」は、青空文庫でも全文が読めるようになっていますし、Kindleでも電子版は無料です。
改めて読んでみると、中学生の時には感じなかった日本語の文章の美しさ、そして今になって分かることもありますね。
私自身も大学生の時にサークルで友人と同じ先輩を好きになってしまったことがあります。
結果は友人と先輩は付き合うことになって、そのことを泣きながら友人から伝えられ、「泣きたいのはこっちだよ」と思った青い春でした。
今となっては既に思い出ですが、「こころ」の中でも先生が言った「恋は罪悪」という言葉のとおり、この後私は一生懸命やっていたサークル活動も足が遠のいてしまったのです。
ただ、捨てる神あれば拾う神あり。
サークル活動から遠ざかってできた時間の空白を埋めるためにアルバイトを始めた結果、多くの人に出会い人間関係を広げることができました。
ですが、先生の親友であったKは自殺してしまいます。
私の場合ですが、先輩と付き合うことを泣きながら報告してきた友人のおかげ?で感情が外に向いたのかもしれません。
当時は泣きながら報告してきた友人に対して、正直軽蔑に似たような気持ちもありました。
そして、「こんな人のことを考えるくらいならもっと他のことを考えよう!」とある意味あきらめにも似た境地だったのかもしれません。
対して、Kは先生からではなく奥さんからその事実を聞いて、先生の口からは直接に聞けず命を絶ってしまいます。
私は外に向いた気持ちも、Kの場合は先生が直接言わないものだから、ずっと内に自分自身を責めるような気持ちになって命を絶つという結果になったのではないでしょうか。
Kの本当の気持ちは作品の中では語られていませんが、自分のちょっとほろ苦い思い出を思い返しながら「こころ」を読んでいると、あの時もし友人が泣きながら報告せずに黙ったまま隠されていたら?今の私はいないかもしれないなぁと考えました。
大人になって改めて読んでみる「こころ」、中田敦彦さんがYoutube大学で取り上げられていました。
こちらの解釈も時代のことなども絡めてお話されてにたのでとても興味深かったです。
気になる方は30分程度の動画で、中田さんのお話も面白くてあっという間に見終わってしまいますので、ぜひご覧ください。
本日もお読みくださりありがとうございます。
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