「82年生まれ、キム・ジヨン」: 私たちを苦しめるもの
たまたま、アマゾンプライムにお薦めされて観た映画。この小説の原作についてはさして興味を持っていなかったが、この映画は、80年生まれの私の心をひどく揺さぶった。
以後、ネタバレを気にせず書き進める。
映画の終盤、キム・ジヨンは次のような胸の内を吐露する。
それは、私の頭の中に居座って、折に触れ何度も何度も浮かび上がってくる思考そのものだった。
この映画には、頭の中を覗かれたような不思議な驚きと、思いを誰かに聞いてもらったような満足感があった。
アマゾンプライムは吹替え版のみだったため、字幕版が見たいとすぐにDVDと原作小説を購入した。(韓国語を約4年独学中)
DVDの映像特典で、この作品を撮った女性監督が「これは私たちの映画です」と語り、主人公夫役のコン・ユ氏も「今の時代を生きる大勢の「ジヨン」の物語」と言っていた。
最初は「私の」映画だと思ったが、これはまさに「私たちの」映画だった。私も大勢の、ジヨンと同じ価値観に共鳴して苦しむ一人だった。
正直、このことを書くのは、何年同じことやってるんだよ!っていうダサい自分を晒すようでためらわれた。
あんなに受験勉強を頑張ったのは何のためだったのか。日々終電まで仕事をして何を得たのか。など、過去の自分の頑張りが何にもなっていない、と時々陥る思考の沼がある。報われない気持ちが湧くたびに、また来たのね、と受け入れてきた。
好きでやっている、好んで葛藤している、と言えばそれまでだが、そんな思いを掬ってあげられるのも私しかいないのだから。
映画を観て、「私たち」の代表としてのジヨンを苦しめるのは、韓国社会の厳しさや閉塞感といった環境以上に、「今の女性はかくあるべし」という「思考」なのではないかと感じた。
ジヨンの母親にとっては、女性の自立を認めない社会が、生きづらさそのものであった。
一方、ジヨンにとってはそうした時代を経ても、環境が整備されないままに謳われる「女性の社会進出」という理念と、子育てなど「暮らす」「生きる」ことを重要視しない社会的価値観の中で、それらに取り組むこと、しかも「両立させなければならない」ということが、生きづらさなのではないかと感じた。
時代の目指すものは違えども、2人とも結局、こうある「べき」という理想と、自分の思い、現実とのギャップに苦しんでいる。
映画には、ジヨンの夫が「俺が働けと言ったか」と彼女に声を荒げる印象的なシーンがある。このセリフには様々な事情が詰まっていて、ここだけを切り取るとミスリードになりかねないが、彼は確かにそんなことは言っていない。
ただ、ジヨンにとって、そんなことは問題ではない。
「働いていない」と自分を責める声は、彼女自身の中にあるのだから。彼女が家族のために注いだ思いや時間、労力を、経歴の「空白」としか見なさない社会的価値観に、他ならぬ彼女自身が共鳴し続けているのだから。
もし別の人生を歩んでいたとしても、もっと頑張れ、もっとできるはず、怠けるな、他の人はもっと・・・と言う声が彼女の中で響き続けていたことだろう。
原作小説の後書きで、訳者の斎藤 真理子氏は以下のように書いている。
ささやかすぎて声に出せない思い、自分より大変な人がいるのだから贅沢は言えないと言う思い、ジヨンを追い詰めたもうひとつの原因がそこにある。
彼女の心は助けを必要としてたのに、内面の異常が表出するまで、本人も周りもそのことに気づくことができなかった。
「あの人と比べたら自分は恵まれている、だから我慢しなければ」という話はよくあるが、そんなのは嘘だ。「私は辛い。」でいい。そこから歩き出せばいい。
DVDの特典映像で、監督は「私たちがどう生きて来たのか、これからどう生きていくのか、一緒に考えることのできる映画」と語る。小説のシニカルなオチも好きだが、「映画館を出るときには前向きな気持ちになってほしい」という監督の意図は大成功している。
この映画に出会えたことに、感謝したい。
追記:ジヨンを苦しめているのは「思考」ではないか?という着想は、バイロン・ケイティ氏の「ワーク」という学びから来ている。
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