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恥ずかしげもなく愛について語ろう〜第18回『大人の「男と女」の付き合い方』川北 義則


年齢を問わず、いくつになっても異性とは付き合うべきだろう。
そうすれば、同性だけでは気づかなかった「ものの考え方」も理解できるようになる。
もちろん男女平等はいいが、歴然として性差はある
男は女と付き合うことによって「女はそんな考え方をするのか?」と改めて驚いたり、
また逆に「へ〜男ってそうなんだ!」と女性が男の意外な一面に気付いたりする。そこが面白い。


そもそも男女の間には、「わかんないな、理解不能だな」
だからめんどくさくて・・・
という思いがどうしても出てきてしまうものですね。

めんどくさいから分かりたくもないんだけれど、
やはり1人では寂しい・・・
異性を求める気持ちが出てくるのですよね。


もし、異性とパートナーシップを築いて仲良くしていきたいという思いがあるのなら
男を知る、女を知る、そして付き合い方を知るは是非積極的にやっておいてほしい

というわけで、今日はこちらの本をご紹介します。



結婚に必要なのは「はずみの感度」

「大事な思案は軽くすべし、小事の思案は重くすべし」という格言がある。
「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で有名な「葉隠」の一節である。
この「葉隠」は江戸時代の中期、佐賀鍋島藩の武士・山本常朝が説いた武士の心得をまとめたものとされている。この書には生きていく上で参考になる教えが数多く書かれている。”
結婚するかしないかの境目は、一言で言えば一種の「はずみ」なのかもしれない。
冒頭の「葉隠」の言葉になぞらえて言えば、要は結婚という「大事」を前にして「軽くはずめる」かどうか、ということである。


私自身、今まで結婚相談業をやって来ていて、
「結婚についてはしっかり考えたほうがいい」
という姿勢を取って来ていました。

でも、これは良くなかったかな、時代にあっていなかったかな?
と今は感じているのです。

こういう姿勢は、より結婚するということを重く捉えさせ、
パートナーを見つけるということのハードルを高くしていた
ように思うのです。


結局、すでに結婚している私たちはどうでした?
結構勢いで決めていた部分は多いのではないでしょうか。

逆に今の時代、離婚がこれだけ通常デフォルトに近い形になっているにもかかわらず、「失敗が怖い」と思いすぎて、
ある程度の勢い、ここでいう「はずみ」がなければ、余計に結婚を決めきれない、2人で生きてみるというトライをしづらい環境ではないでしょうか。


死なないために生きているわけじゃない


今回、私たちはコロナの影響で、余計に思ったのではないでしょうか。

いつ会えなくなるかわからない人との大事な人間関係。
濃厚接触してもいい人としか、会う必要ないな
と感じて結論づけてしまいそうな、世の中の流れ。

出会いを自然の流れに任せていたら、成就するものもうまくいかなくなってしまう。

逆にコロナのおかげで、自分がどう生きたいのかがわかって来た人も多かったのではないでしょうか。


私は、コロナにかからないように、死なないために生きているわけじゃない。日常に愛がある生き方をしたい!と強く思いました。

だから、今できることを、自分ができることをやってみたい。

そうなると、慎重になりすぎず、ある意味、勢い、はずみは大事です。

「結婚は大事だから、よくよく考えないと・・・」と言って
結婚を意識してから、慌てて結婚相手という教材に取り組み始めるようでは、正しい答えを見つけられない。

この「はずみの感度」を敏感にするには、
日頃からどういうポリシー、どういうモラルに従い、
自分がどう生きるか、どういう人間、どういう女性を好ましく思うか?
という尺度をしっかり持つこと
が大切なのだ。
そのためには、知識、経験、そして、日々人と前向きに対峙していくという姿勢、この「小事」をないがしろにせず、重ねて言った人間が上質な弾みの感度を持てるというのである。
そういう人間なら、
結婚という大事な思案を軽くしても、そう間違った答えにはならない。


そう、日々の積み重ねですよね。

自分を知り、自分がどうありたいか、そのためにどういう人と共に人生を生きたいか?
無意識でいないで、意識的に生きたいです。

正解がないこの時代に、決め手になるのは自分自身。

今まで決めてこなかった、どうしたらいいかわからないという人は
迷いに迷ってしまうでしょうから。


旅立ちの流儀、残り方の礼儀

最愛の人がなくなれば悲しい。。。
ちょうど今日7月1日は、愛犬が亡くなって四十九日にあたります。

まだメソメソ泣いている自分が情けないけれど、今日を一つの区切りにできるかな。

そんなことを考えながら、今日は心のままにゆったりと過ごしています。


ちょうど最愛の人との別れについて、このような物語が本書にありました。

最愛の夫を亡くしたことは彼女にとって受け入れがたい死だった。
しかし、彼女は夫の死後数カ月で二つの答えを見つける。

「一つは、『彼の死をいつまでも悲しんでいるのは自己愛にすぎない』ということ。
彼はあの痛み、苦しみから自由になって、今本当に静かな世界で生きている。
それをいつまでも悲しんでいる私は、自己愛の塊だと気付いたんです。

二つ目は、『夫の死は私の生まれて初めての大失恋だった』と思えたこと。
これまでの私は、人を失うことが何も怖くなかった。相手が望んで去っていくなら追う必要はないと。
だから失恋した以上、彼を追うのはやめようと思ったんです。
最愛の伴侶を失う悲しみは、例えようのないほど深いものだろう。
それを「失恋」と位置付けて、ひとまずの悲しみを封印する彼女の生き方はたくましい。


そうか、今悲しんでいる気持ちは、自己愛の塊、そして単なる失恋。
そうやって気持ちの切り替えをしていくわけですね。

これが、残される私たち、残る側の礼儀なのですね。
私の中でも一つ、気持ちの整理ができた気がします。


ありがとうございました。それでは、今宵はこの辺で。。。



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